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仕事終わりに行きつけの駅前のラーメン屋に寄って、家に帰る途中、年中マナーモードに設定された携帯が肩から提げた黒のビジネスバッグの中で静かに鳴った。取り出すと、途切れ途切れに街灯が灯る薄暗い路地裏で見慣れない「近松」という苗字が携帯の液晶画面にぼんやりと浮かび上がる。母方の叔父の家からだ、と慌てて出る。
「もしもし」
「やあ、やっと繋がったな。勝仁だけど」
久しぶりに聴く勝仁おじさんの声は、相変わらず低く渋い良い声で、胸が高鳴る。親戚の集まりがある度に、彼に熱視線を送っていることは誰も知らない。
「唐突で悪いんだが、頼みがあるんだ」
「おじさんの役に立てることなら、何でもやりますよ」
「私というか、秀仁のことでね」
その名前を聞いた瞬間思い出したのは、顔は勝仁おじさんに似て整った綺麗な顔をしているくせに無愛想で無口で、たまに口を利いたかと思えば生意気に俺を「城」と呼び捨てにする従弟である。元々一人っ子で年下が苦手な俺が、祖父の葬式の時に勝仁おじさんに頼まれて仕方なく面倒を看たことがあったが、俺の精一杯の問いかけを一切無視して持ってきたロボットの玩具で一人遊びをしているような糞ガキで、ろくな思い出が無い。いわば天敵のような存在だった。
「実はK大に受かって今年の春から上京することになったんだよ。でも、のんびりしてたら寮の申し込みが終わってしまっていてね。アパートを探さなくちゃいけなくなったんだ」
電話の向こうで、勝仁おじさんが苦笑する。
悪い予感がした。秀仁の名前を聞いた瞬間から、良くない話だというのは勘で分かった。一分前の自分はどうして話を聞く前に「何でもやりますよ」なんて軽口を叩いたのか、と後悔を始めるが、最早遅い。
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