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「では、失礼します」と動揺を悟られないように電話を切った後、未だかつて大事な得意先への営業に電車遅延で遅刻した時を超えるダッシュ力を見せたことは無かった。しかし今夜はその記録を超えるほどの全力の走りで家路を急ぐ。ちなみに俺は今年三十三歳を迎える軽くおっさん入った年である。
いつもならゆっくり歩いて六分の道程を二分で自宅マンションに到着し、エレベーターで四階へ。一番奥の角部屋に向かって廊下を走る。が、「相田」の表札の我が家の前には誰もいない。
肩を上下させながら、ほっと一息吐いた瞬間、また嫌な予感がした。まさかなあ、と思いながら、恐る恐るドアノブに手を掛けゆっくりと回し手前に引く。
何の手応えも無くドアが開いた。廊下の奥の部屋から光が漏れている。血の気が引いた。
慌てて靴を脱ぎ捨てると、廊下、ダイニングキッチンを通り過ぎリビングへのドアを開け放した。
風呂上りなのか上半身裸の格好でソファに悠々と座り、何か本を読んでいる男。十年振りで身長がとんでもなく伸びていても――一七二センチの俺よりはるかに大きい――恐らくその顔は若くした勝仁おじさんそのもので、誰かなど想像しなくても一瞬で分かった。
「ど、どうやって入った!」
俺は全力疾走したせいで息を切らしながら声を荒げた。秀仁は相変わらずマイペースに本から目を逸らすことも無くこちらを無視する。
「本読んでないで人の話を聞け!」
ずかずかとソファに座る秀仁に詰め寄り、本を取り上げた瞬間、それが何であるかに気付いてしまった。
「城ってゲイなのか?」
専門ではないがたまに購入しているゲイ雑誌を手に、俺は固まった。独身で誰も部屋に入れないので普通にその辺に置いていたのだろう。
更にソファーの前のガラス製のテーブルの上には、俺が愛して止まない五十代以上の芸能人の写真集や「カレセン」というそのままの名前の写真集が乱雑に置かれている。完全にバレた、と思った。
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