一章

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「何やってるんだ!」 男が動きを中断して後ろを向く。「やべっ」と小さく独り言を吐いたのが聞こえた。 男は私を放ったらかして全力疾走を始める。男の下にされていたのが私だと知った彼は眼の色を変えた。 「待てよ! 下衆が!」 血走った眼で男を追いかけようとする彼を私は金切り声で止める。 「やっ! 桐一!」 私の鞄を片手に抱えた桐一は、振り向いて私の顔を見ると、気遣わしげに近寄ってきて膝を折った。 「悪い……怖かったな……病院に行こう……辛いだろうが……落ち着いたら……警察……」 「行かなくていい! いいから、側にいて……」 私は夢中で桐一にしがみついた。震えが止まらなくて、涙が溢れて、呼吸もままならない私の肩を、桐一は優しく撫でてくれる。 「……大丈夫、ここに、ちゃんといるから」 懐かしい感覚、桐一は昔はこんな感じだった。私が泣いてる時、辛い時、ずっと側にいて慰めてくれる優しい性格だった。 そんな桐一にどんなに辛く当たられても、存在すらないように扱われても……決して忘れられなかった。
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