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第四節 「ごめんなさい」の言葉
リベリア公国の中央広場。そこは緑に囲まれ穏やかな空気を漂わせる、リベリア公国の国民にとって憩いの場である。
そんな広場の片隅にあるベンチに座り、“友達”という間柄になったハルとビアンカは、和やかに談笑をしていた。
「――ハルはどこから来た人なの?」
ハルがリベリア公国に来ることとなった経緯の話をしていると、ビアンカはそんな質問をハルに投げ掛けた。
「ん? 俺?」
ハルはビアンカの質問に思わず聞き返してしまうが、そのハルの返答にビアンカは然りを意味して頷く。
「どこの出身の人なのかなって、思ったの」
ビアンカの問いを聞き――、ハルは一瞬だけ言葉に詰まる。だが、瞬刻何かを考え、口を開いた。
「俺もこの東の大陸の出身だ。――この国よりずっと南の方、この国の国境を越えた先にある、小さい里の出だ」
どこか言葉を選ぶように、ハルはビアンカの質問に返す。ハルの返答にビアンカは「へー」っと、目を輝かせて聞き入っていた。
ビアンカが先ほどから、自身の旅路の話を楽しそうに聞く様子を見て、ハルは「箱入りのお嬢様だから、外の世界のことが珍しいんだろうな」――と、微かに思う。
「どうして旅をしようと思ったの?」
「んー……。里での生活が嫌になったから……、かな?」
「退屈なところだったの?」
立て続けに質問攻めをしてくるビアンカに、ハルは思わず苦笑いを浮かべた。
「まあ、そんなところだな……」
やや考えるようにしながら、ハルはビアンカの問いに答える。
ビアンカの問い掛けで、ハルは自身の出身地である小さな里のことを思い出していた。
ハルの出身地――。
その場所は人々の生活から隔離され、深い森の中に隠されるように存在した小さな里だった。
ハルはその地での責務と重責、――“近しい者に不幸と死を撒き散らす呪いを受け継ぐ一族の長“という立場に嫌気がさし、里を逃げるように出てきていた。
果たしてその里が未だに存在するのか、ハル自身にも判らなかった――。
それほどの永い年月が流れていることを、何気ない少女の問いの一言でハルは痛感する。
ハルは無意識の内に――、革の手袋を嵌めた左手の甲に添えた右手で、その左手を強く握りしめていた。
(――これ以上、出自の話をするのは不味いな……)
人々の目から隠され存在する呪われた里の話は、決して他言して良いものではない。その考えは、里を逃げ出した身でありながら、今もなおハルの思考を縛り付けていた――。
ハルは話題を変えようと、ビアンカに対し――、気になっていたことを聞くことにした。
「ところで――、ビアンカはなんであんな悪戯を屋敷でするんだ……?」
ハルは、料理番の青年がビアンカの悪戯に対し、酷く怒っていたことを思い返す。
ビアンカの父親であるミハイルも嘆息し、『悪戯をしては乳母や家庭教師たちを日々困らせている』――と。そう語っていた。
それ故に、ビアンカが普段から相当な悪戯をしているのだろうと。ハルは推し量る。
突として話題に上がってきたハルの質問の内容に――、ビアンカは気まずそうにして視線を泳がせていた。
「ビアンカが悪戯ばかりして困っているって。ミハイル将軍も言っていたぞ?」
追い打ちをかけるよう、ハルはビアンカの返答を促す。
ハルの促しに、ビアンカは「だって……」――と、小さく声を漏らした。
「遊んでくれる人がいないから、つまんなかったんだもん……」
ビアンカは頬を膨らませるように、不貞腐れた様子で答える。
(ああ。やっぱり、か……)
ハルは、そのビアンカの言葉を黙って聞いていた。ハルは――、ビアンカの内心に勘付いていたのだった。
城下街では友達もおらず、ウェーバー邸はミハイルに仕える大人たちばかり――。
そのような環境下で、ビアンカは遊びたいという欲求を“悪戯をする”という方法で発散しているのだろうと。ハルは思い至っていた。
「――そうしたら、その悪戯も今日で卒業だな」
「え……?」
ハルがぽつりと呟いた言葉に、ビアンカは驚いた表情を浮かべる。ハルを見据えたビアンカの表情は、「なんで?」と。そう言いたげであった。
「友達の俺がいるんだからさ。もう屋敷で悪戯する必要はないだろ?」
ハルは自分自身を指差し、優しい笑顔をビアンカに向ける。
「そう……、だね。お友達のハルが一緒なら、お家でも寂しくないね!」
「だろ?」
「うんっ!」
ビアンカは心底嬉しそうに笑っていた。そのように表情をコロコロと変えるビアンカを、微笑ましげにハルは見つめる。
周りの大人たちが、彼女を腫れ物に触れるように扱うせいで、寂しそうにしていたり悪戯をしたりする――。しかし、本当は素直な良い子なのだと。ハルはビアンカを見ていて思う。
「そうしたらさ。料理番のお兄さんに、ちゃんと謝っておくんだぞ」
「う、うん……」
ビアンカは次に眉間を寄せ、歯切れの悪い返事を零す。ハルの言葉を聞き、自分が悪戯をしたため中央広場まで逃げて来ていたということ。それを思い出したようだった。
「――『ごめんなさい』は“魔法の言葉”だ。素直に謝れる良い子なら、あのお兄さんも許してくれるさ」
「でも……、凄く怒っていたから。大丈夫かな……」
「心配なら、俺も一緒について行って見ていてやるからさ」
心配そうなビアンカに、ハルは優しく言葉を掛ける。そのハルの言葉に、ビアンカは素直に頷き返事をする。
「ありがとう、ハル」
「友達なら当たり前だろ。さあ、屋敷に戻ろう」
ハルはベンチから立ち上がり、微笑みながらビアンカに右手を差し出す。ハルの差し出されたその手を取って、ビアンカもベンチから立ち上がった。
◇◇◇
ハルとビアンカはウェーバー邸へ戻り、共に調理場に足を運ぶ。
ビアンカが訪れたことに気付いた料理番の青年は、表情を険しくして身構えていた。
「今度は何の御用ですか? ビアンカお嬢様?」
料理番の青年は自身に近寄ってきたビアンカに、警戒心を見せつつ声を掛ける。
ビアンカは警戒した様子の青年に意を介さず、ハルが先ほど助言した通りに――、不意に青年に対して頭を下げた。
「ポーヴァル。悪戯して鍋にカエルを入れて……、ごめんなさいっ!」
ビアンカの唐突な謝罪に料理番の青年――ポーヴァルは「へ……?」っと。間の抜けた呟きを漏らす。
何を言われたのか。そのことを理解できていない様子を、ポーヴァルは見せていた。だが、すぐにそれが謝罪の言葉だと気が付き、驚いた表情を浮かべる。
「い、いえ。ビアンカお嬢様、そんな……、頭を上げてください!」
ポーヴァルは慌て、ビアンカに頭を上げるように促す。
促されたビアンカは首を垂れていた頭を上げ、ポーヴァルを見上げた。
「……許してくれる?」
「勿論ですよ。素直に謝ってくださるのなら、これ以上、私は何も言いません」
ポーヴァルの言葉を聞き、ビアンカは安心した様子を見せる。
「もう悪戯はしないから。――今まで本当にごめんなさい」
ビアンカの宣言に、ポーヴァルは再度驚いたような表情を見せたが――、すぐに優しげな笑みを浮かべていた。
――やっぱり素直な良い子だな……。
ビアンカとポーヴァルのやり取りを、黙して静かに見つめるハルは、満足そうに微笑んでいた。
その後――、ビアンカは宣言した通り、ウェーバー邸に仕える者たちに悪戯をすることが無くなった。
代わりにビアンカは、ハルと楽しげにして過ごすことが多くなっていた。
そんな二人の様子をウェーバー邸に仕える者たちは微笑ましげ見守り、穏やかな日々が過ぎていった――。
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