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第七節 ビアンカの特技
「お待たせっ!!」
意気揚々とした楽しげな様子で、ビアンカが屋敷から飛び出してきた。
ビアンカのその手には、棍術で使う木製の棍が握られている。それは、ビアンカの身の丈以上はある、やや太めの棒だった。
ハルが以前、ビアンカの棍術の師匠であったゲンカクに聞いた話によると、この東の大陸より更に東――、海を渡った先にある“オヴェリア群島連邦共和国”という小さな島が点在する国で、古くから伝わる武術の一つらしかった。
その棍術は、今は扱える者が殆どいなくなってしまったと言われるほど希有な武術であり、ビアンカは“護身用”という名目の下で、この棍術を幼い頃より習っていたのである。
棍術は長短万能の武術であり、かつ木の棒という一見武器として役立つのかと思える物を扱うのだが――。使用されている白蝋と呼ばれる柔軟性の高い木の性質から、通常の木より強いしなりを生む。それ故、地面に叩きつけてもそのしなりが衝撃を逃がし折れることが無いため、意外なほどの破壊力を持つのだった。
棍術に関する知識は、過去にビアンカが棍術の稽古を師匠であるゲンカクに付けてもらっているのを目にし、何となくの知識としてハルは知っていた。当初は、「なんでお嬢様の“護身用”なのに棍術なんだよ」――と。そう内心で思ってしまったほどである。
そして――、棍術に際し達人並みの腕前を持つ者が、自身の手足のように棍を取り回し戦えることを。そのこともハルは、とある過去の出来事がきっかけで存知していた。
「おー……」
ハルはビアンカが飛び出してきたことで、寝転がったままだった上体を起こす。
もう剣術の訓練と鍛錬試合で疲れているため、正直言うと面倒くさい。そんな雰囲気をハルは体面で醸し出しているのだが――。ハルの様子を敢えて無視しているのか、本当に気が付いていないのか。ビアンカは「早く立ってよ!」と声高にハルにせがむ。
「まあ、慌てんなって。棍を使うの久しぶりだろ。ちょっと身体慣らしをしてから始めないと、怪我すんぞ」
立つのが面倒くさくて、ハルは正論と言えるような言葉でビアンカを諭す。
ハルの言葉にビアンカも、「あっ、それもそうか……」――と、納得した様子で声を零した。
「そうしたら少し身体慣らし、しますか……」
ビアンカは言うと、手に持っていた棍の先端を地面に軽い音を鳴らせて立てる。
そこでビアンカは背筋を伸ばして姿勢を正し、棍を握る手とは反対の手を静かにその棍に添える。そして、目を閉じ、「ふー……っ」――と。神経を集中させるように、深い息を吐き出した。
そんなビアンカの様子を座り込みつつ、ハルは静かに見守る。
深い息を吐き出したビアンカは、伏していた目を開き真剣な面持ちで、身体慣らしのための動作を取り始める。
始めはゆっくりとした動きで、研ぎ澄ました眼差しを見せ、棍術特有の構えを取りながら手にした棍を両手で握り、宙を滑らせる。
ビアンカは自身の身体全体を使って右に左にと棍を取り回し、器用にそれを両手で回転させ――、空を切る鋭い音をさせて棍を横に薙ぐ。時に頭上で素早く回転させ、その勢いのまま地面を叩く。それと同時に、地を叩く乾いた音が辺りに響く――。
次には足を大きく踏み込み、吐き出す息の声と共に、中空に刺突の動きを見せる。
今度は身体の前方で幾度か棍を回転させ、ビアンカは足に力を込め跳ね上がり――、大きな音をまた辺りに響かせて再度地面を叩きつけた。かと思うと、その場で身体を捻り、再度空を薙ぎ払う。
ビアンカが次々に繰り出す棍の動きと共に空を切る鋭い音が響き、ビアンカの一括りにした亜麻色の長い髪も、その動きに合わせて勢い良く翻っていく。
それは優雅でいて無駄のない動きで――、まるで舞を舞っているようだとハルは思う。そうハルが感心して見惚れてしまうほど、ビアンカの棍の取り回しは見事な動きを見せていた。
幼い頃より習っていたというビアンカの棍術の技は、一国の将軍の娘――貴族の令嬢が戯れで行っていたものではなく、本物の武術だとハルは感じる。
ただ――、あの勢いの木の棒を叩きつけられたらさぞ痛いだろう。いや、痛いでは済まないだろう。打ち所が悪ければ下手をしたら相手が死ねるだろうとさえ思った。
ハルがさように考えていると、再びコンッ――と。棍の先端を地面に付け、ビアンカは始めと同じように静かに息を吐き出していた。
「うん。大丈夫だと思う」
「あの……、俺が大丈夫じゃないと思う……」
今しがた考えていた思いからの言葉を、ハルは右手で挙手をする仕草をしつつ零す。
これは相手にしたらいけないやつだ――と、本気でハルは思っていた。
「えー、大丈夫だってば。ほらほら、早く立って。勝負しようっ!」
ビアンカは座り込んで動こうとしないハルの腕を取り、グイグイと引っ張り上げ、無理矢理立たせる。
「うええ……、勘弁してくれよ……」
あんな動きの演武を見せられてしまっては敵う気がしないと、ハルは思う。
だが、ビアンカは試合を行うことを諦めた様子をまるで見せず、地面に置かれたハルの木剣を拾い上げ、ハルに「はい」――と、声を掛けながら投げつけた。
投げられた木剣を、ハルは器用に柄の部分を掴み取り受け取る。そして、仕方なさそうに大きな溜息をワザとらしく吐き出す。
言い出したら聞かないビアンカの性格を、ハルは良く理解していた。
ハルは大人しくビアンカの言葉に従い、木剣を構える。
そのハルの様を目にして、ビアンカは満足げな表情を浮かべた。
「ホムラ師範代の鍛錬試合と同じ。地面に身体を先に倒した方の負け、ね」
「はいよ」
いつものホムラが行う剣術鍛錬の試合。それと同じルールをビアンカは示す。
ビアンカは足を大きく開き、棍を両手で握り棍術の構えを取る。
棍を握るビアンカの眼差しは真剣で、今まで仕方なさげにしていたハルも、釣られるように真剣な色をその瞳に宿し始めた。
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