第二節 将軍の娘

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第二節 将軍の娘

 リベリア公国内に入ると、賑やかな民衆の声に将軍一行は迎えられる。  賑やかな歓声――。それは、ミハイルという将軍が、どれだけ国民たちに支持をされているかを物語っていた。  出迎えの民衆が作る人垣の間をリベリア王城に向かい馬を進める一行に、一際大きな声を張り上げ、人垣を掻き分けながら一人の少女が走り寄ってきた。 「お父様!! お帰りなさいっ!!」  年の頃は十歳ほどか。亜麻色の長い髪をなびかせた少女が、ミハイルの乗る馬へと駆けていく。  その少女の姿を見止めたミハイルは馬から降り、微笑みを浮かべながら身を屈め、少女を抱きとめた。 「――ただいま、ビアンカ。良い子にしていたか?」  ミハイルは少女――、ビアンカを愛おしげに抱きしめ、その頭を撫でる。  ビアンカに語り掛けるミハイルの表情は優しく――、屈強で強面(こわもて)な一国の将軍の顔ではない、一人の父親としての表情を見せていた。 (――あの女の子がミハイル将軍の娘か……)  ミハイルとビアンカの様子を目にして、ハルは思う。  ハルの目に映るビアンカは、あどけなさの残る少女ではあるが――、年頃になればさぞ美人に育つであろう可愛らしい容姿をしていた。そのことが、ミハイルの亡くした妻――、奥方であった女性がどれほどの美人であったのか。それをハルに窺わせる。 「ちゃんとお父様の言いつけを守って良い子にしていました!」  ミハイルの問い掛けに、ビアンカは胸を張り得意げな表情で返す。 「それでは――、その良い子は何故、お供もつけずにここにいるんだ?」  ミハイルの一言にビアンカは「う……っ」――と。しまったと言いたげな面持ちを見せる。  そんな様子のビアンカを見て、ミハイルは呆れを混じらせた溜息を漏らす。 「ハル君、ちょっといいか?」  凱旋の際には馬から降りて最後尾にいるようにと言われ、一行の後ろに控えて馬の手綱を引いて歩いていたハルに、ミハイルは目を向けて声を掛ける。 「はい」  ミハイルに呼ばれたハルは馬の手綱を従者の一人に預け、ミハイルの元に駆けていく。 「この子が先ほど言った私の娘だ――」  ミハイルはビアンカの両肩に手を置き、自身の元に来たハルの前にビアンカを立たせて紹介してきた。  急に見知らぬ少年の前に立たされたビアンカは、どこか訝しげな表情をハルに向ける。 「君がビアンカお嬢様、だね。俺はハル。よろしく」  ハルは腰を落として屈み、ビアンカに優しげな表情で笑いかける。 「ビアンカ・ウェーバー、です。よろしくお願いします」  ハルの自己紹介に対して、ビアンカは貴族の令嬢らしい振る舞いで、身に着けていたワンピースのスカートを手に取り、(こうべ)を垂れと、礼儀正しい自己紹介を返す。  人見知りはしない性格らしく、一瞬だけハルに対して訝しげな表情を窺わせはしたが、ビアンカはすぐに屈託のない少女らしい顔を見せていた。  そんなハルとビアンカの様子を見てミハイルは頷き、またビアンカの頭を優しげに撫でてやる。 「ビアンカ。父さんは先にリベリア国王陛下への報告に行かないといけない。だから良い子のお前に頼みがある」 「なあに?」 「ハル君は、これから我が家で一緒に暮らすことになった“家族”だ。ビアンカはこの国を知らない彼と“友達”になって、仲良くしてやってくれ」 「ともだち……?」  ミハイルの言葉を不思議そうに反復して、ビアンカはミハイルとハルの顔を交互に見やる。やや間を置いて、ミハイルの言葉の意味を察したのか――、ビアンカは嬉しそうな笑顔を浮かべた。 「できるかい?」 「うんっ!」  優しげなミハイルの問いに、ビアンカは満面の笑みで頷く。 「そうしたら――。早速だが、ハル君を屋敷に案内してやってくれないか?」 「はーいっ!!」  元気な返事をするビアンカにミハイルは満足げに微笑み、再びハルに目を向ける。 「私は城へ行かねばならない。先に屋敷に行って待っていてくれ」 「分かりました」  ミハイルはハルに言い渡すと、再び馬に(またが)り、リベリア王城へと向かって行く。  ミハイル一行をハルはビアンカと共に見送り――、チラリと(かたわ)らに佇むビアンカに目を向ける。すると、自身を見上げていたビアンカの翡翠色の瞳と目が合う。  ハルと目が合った途端、ビアンカはニコリと――、まるで花が咲いたような、可愛らしいとさえ思う笑顔をハルに見せた。 「お家まで案内するよ。行こう、ハル」 「あ、ああ……」  全く物恐じしないビアンカに手を引かれ、どう見ても自分の方が年上の見た目なのだから「ハルお兄ちゃんとか呼ぶべきじゃないのか……?」――と。ハルは名前を呼び捨てにされ、内心で腑に落ちなさを感じつつ、ビアンカに従って歩き始めた。    ◇◇◇  ハルはビアンカに連れられ、リベリア公国の将軍――ミハイルの屋敷。堂々たる建て構えが印象的な大きな豪邸に案内された。  そうして、その屋敷の中に通された途端だった――。  調理場から大きな声を上げ、料理番らしき格好の青年が鍋を片手に持ち、ビアンカに怒りながら足早気味に近づいて来たのだ。 「ビアンカお嬢様っ!! 鍋にカエルを入れるなとあれほど言ったでしょうっ!!」 「やっば……っ!!」  慌てた様相で小さく言い残し、ビアンカは(きびす)を返したかと思うと――、屋敷から走り出て行ってしまった。 「えええええ……」  あまりにも唐突な出来事にハルは戸惑ってしまう。  リベリア公国への帰路の際、ミハイルが語ったビアンカの性質や悪戯の話は、揶揄(やゆ)などではなく、事実であったようだった。これは本当に前途多難な任務だ――と。ハルは改めて思う。  果たして自分に、“鉄砲玉娘”と実の父親にさえ揶揄(やゆ)され嘆息(たんそく)されるビアンカの、“護衛兼お目付け役”が務まるのか不安になる。 「――仕方ない……。まずはお友達から始めますか……」  ハルは頭を掻きながら嘆息(たんそく)を零し、誰に言うでもなく呟いた。
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