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厄介なクラスメイト
大人しそうな人が、実ははっちゃけてノリノリで紙芝居をする、という事実も相当インパクトがあるが、あの熱血スポーツ少年・芝田勝人と読書という組み合わせも、真由にとっては相当な衝撃を与えた。
週明けの登校日、いつも通り一時間目ギリギリに芝田勝人は教室に入って来た。
「またかー、芝田―」
「おはようございます、先生!」
彼はこれまたいつも通り元気よく挨拶を返す。
真由はそれを横目にちらりと見たものの、すぐに教科書とノートの用意を始めた。
先日、彼の思わぬ側面を知ってしまったものの、だからといって特にどうということもない。学校の皆には言うなと口止めもされたが、別に言うつもりもなかった。
(ていうか私、アイツのこと苦手だし)
できればあまり関わり合いたくない。
――と思っていたのに。
「あ、いたいた高橋―」
「……何で」
なぜあんたがここにいる。しかも馴れ馴れしく声までかけてくるとは。
図書室で本を選んでいた真由は、近寄ってきたジャージ姿の彼に思いきり顔をしかめた。
「え、その反応ヒドくね?」
「私あんたのこと誰にも何も言ってないわよ」
先に言ってやると、芝田はきょとんとした顔で真由を見下ろした。
「は?」
「は? じゃないわよ。あんたとの約束はちゃんと守ってるって言ったの」
「ああそう。それで?」
彼は納得したように頷き、しかし要領を得ないと言ったふうに首を傾げる。――質問しているのはこっちだ。
「私に何の用があって来たの」
今から部活ではないのか。
「あ、それなんだけど、ちょっと相談のって欲しくて」
「はあ?」
なぜ私に? 真由は心底不可解な表情で彼を見返した。
芝田はどこか楽しげに笑いながら、近くのイスに腰掛けた。
「来月、小学校でおはなし会するんだけど」
「ふーん」
「何かオススメない?」
「へ?」
「高橋、本好きだろ。今度は小学校中学年向けだから、何か物語系がいい」
「……」
確かに本は好きだ。特にファンタジーが好きで、高校生になっても児童図書を楽しんでいる。図書館でのアルバイトのおかげで、小学校中学年向きの本も一応チェックはしているが……。
「何で私が」
この期に及んでなお、真由の口からはそんな言葉が漏れる。
「あんたも読書好きだって言ってたじゃない。自分で探しなさいよ」
本棚の上段に位置する文庫本に手を伸ばした時、
「……高橋って」
ふいに芝田の呟きが耳に届いた。
「何」
本を抱えながら彼の方を見遣ると、彼はイスの背に肘をついて、真由をじっと見つめていた。
「?」
真由の眉間に皺が寄っていく。
「オレに結構冷たいな」
「だって私あんた苦手だもの」
思わず本当のことを言ってしまった。芝田の目が見開く。
(あ、やっちゃったか――)
勢いとはいえ正直に言い過ぎたかと真由が顔を逸らしかけたところで、
「真顔でそんなこと言われたの初めてだわ」
芝田はぷっと吹き出した。何がおかしいのか、そのままクスクスと笑い始める。
それを見て逆に真由は仏頂面になっていく。
一体何なのだコイツは。
「オレは結構お前のこと面白いヤツだと思ってるけど」
しかも何か変なことを言い出した。
真由は小さく息を吐くと、芝田に背を向けた。
「いい加減部活行きなさいよ。あんたはここにいるよりも体育館の方がお似合いよ」
これ以上彼とここにいるのがなぜか気まずかった。
芝田はまだ笑う口元を押さえながら、イスから立ち上がった。
「分かった今日はこれで。でもオススメ考えといてね」
「知らない」
「頼んだから」
彼は真由の返事も聞かずに勝手に言い置き、図書室を後にした。
これからキャーキャー女の子たちが応援するバスケットコートに向かうのだろう。
(あーあ、厄介なヤツに目ぇ付けられた)
真由は一気に疲れ果て、先程まで芝田が座っていたイスで一休みすることにした。
「たーかはーしさーん」
今日も来やがった。図書室にいた真由は、仏頂面を隠しもせずに読んでいた本から目を上げた。本当は目を上げたくもないが、彼はしつこいので早く対応した方が良いと悟っていた。
「何」
「例の頼み、考えてくれた?」
「……」
真由はため息を吐き、机の中から一枚の紙を取り出して彼に渡した。
「はい、とりあえず二、三冊ピックアップしといたから」
さあもう用は済んだ。真由は再び本に目を落とした。が、
「え、解説とかないの?」
「自分で読みなさいよ。すぐ読めるから」
一冊一時間もかからない。どうせ読み聞かせをするのは芝田なのだから、彼が読んで感じたようにすべきだろう。
「この本、高校にはないな」
「そりゃあね。公立図書館で借りればいいじゃない」
「じゃあ明日部活休みだから行く。高橋もな」
「はあ!?」
思わず大きな声が飛び出た。幸い周りに人はいなかったが、カウンターから図書委員が怪訝そうにこちらを窺った。真由は愛想笑いを返し、芝田を思いきり睨み付けた。
「何で私があんたに付き合わなきゃいけないのよ!」
「自転車で三十分もかからないだろ。ランニングでも四十分くらいだし。付き合ってくれてもいいじゃん」
「自転車で三十分!? 四十分はかかるわよ。さらにランニングなんてバカ言わないで」
これだからスポーツバカは嫌なのだ。運動嫌いな真由の敵と言っても過言ではない。だいたいどうしてランニングで行こうと思うのか理解できない。
「ウオーミングがてら一人でひとっ走りしてこればいいでしょ」
「気持ちいいぞー」
「あんただけよ!」
「じゃあ高橋は自転車でいいよ」
「何であんたが決めるの」
彼と話していると疲れてくる。真由は再び大きなため息を吐き出した。
「だいたいねえ、何で私に構うのよ。他のボランティアの子たちと一緒に相談しないの?」
すると芝田は不思議そうな顔をした。
「だって、絶対お前の方が本知ってるだろ」
当たり前のように言う。その自信はどこからくるのか。
「高橋が休み時間とか授業中に色々読んでたのオレ知ってる」
「!」
「この前の化学の講義もこっそり文庫本読んでただろ」
「……」
教室なら彼の方が前の席だが、化学講義室では真由の方が前の方に位置する。
「それは私を脅してるの?」
「まっさかー。ただ、お前の本好きは知ってるよ、って言いたかっただけ」
芝田はふふと笑い、頭の後ろで手を組んだ。今にも体育館でバスケットゴールを目指し走り出しそうな者が図書室のイスに座っている様は、真由の目にはとても奇怪に映った。
「……分かったわよ。行けばいいんでしょ」
真由はため息と共にそう言うと、面倒臭いものを追い払うかのように彼に手を振った。
何だかんだこの前から彼の言う通りに動かされている気がするが、仕方ない。
今まで真由にこのような相談を持ちかける者などいなかったのである。図書館のボランティアをやっている者としても、本好きな者としても、彼を放っておく気にはなれなかった。
(でも私はコイツが苦手だけどね)
彼が人懐っこいことは認めよう。しかし真由の苦手意識が消えたわけではない。熱血スポーツ少年が苦手というのは偏見といえばその通りなのだが、かといってそう簡単にそれを取り消すことはできない。
「約束な。授業終わったら自転車置き場の近くの裏門に集合」
「はいはい」
「絶対だぞ。すっぽかすなよ」
「分かってるわよ!」
全くしつこい男だ。芝田は気持ち悪いくらい上機嫌な笑みを浮かべ、図書室を後にした。
「しかしあれが読み聞かせになったらあんなに変わるんだから……」
謎だ。悔しいが、真由も思わず引き込まれる朗読だった。聞いていた子どもたちも、皆彼に注目していた。
「ホント厄介なヤツに目を付けられたわ……」
真由は貸出手続きをするため、本を抱えてカウンターに向かった。
「あら真由ちゃん、どうしたの」
顔馴染みの図書館員さんはそう訊ねて、真由の後ろにこの前大活躍だった読み聞かせ少年がいるのに気付いた。
「あらあら、この前の」
「先日はどうもお世話になりました」
芝田がいつもの愛想良さで挨拶をする。
真由は丁度いいとばかり、図書館員さんに今日来た目的を話した。
「なるほどね。うん、真由ちゃんの選んだ本、どれも良い線行ってると思うよ」
「良かった」
図書館員さんにそう言われるとうれしい。真由はほっと息を吐いた。
「なかったらまた声掛けてね」
「はい」
真由は頷き、礼を言って芝田と棚の方へ向かった。
さすがに高校生二人が児童図書コーナーに入ると目立つ。平日の夕方前なのでまだ人は少ないが、早く借りてしまった方が良いだろう。他の子どもたちの邪魔になる。
真由は手早く本を抜きだして、机のある所に場所を移動した。
「どれにする?」
「ちょっと時間ちょうだい」
イスに座った芝田が珍しく真面目な顔をして、持って来た三冊を手に取る。どうやら全てに目を通すつもりらしい。
彼の言う「ちょっと」がどれだけか分からない真由は、自分も読書をしようとふらりと席を立った。
「どこ行く?」
「……私も読書するの」
「そ」
芝田がふっと笑って、一冊目を開く。それが、親に置いて行かれないと分かった子どものように見えた。……全く、ガキか、あんたは。
真由は呆れたようにため息を吐き、一般図書の文芸棚へと向かった。
多分一時間もかからなかったと思う。三冊を読み終えた芝田はうーんと悩んだ挙句、読みやすいと思ったのだろう二冊を手に取った。
「後は他のメンバーに相談してみる」
「あっそ」
真由は読みかけの本を閉じ、この図書館のカードを取り出した。自分も借りて帰ろうと思ったのだ。
「あんたここのカード持ってるの?」
「当たり前だろ。小学校の頃から持ってる」
彼はなぜか威張りながら言い、財布から青い図書カードを取り出した。
それぞれ貸出手続きを終え、図書館を出る。もう日が暮れ始めていた。
「あんた、家どっち方面?」
「オレは北の方」
「そう、じゃあ私は東だから、ここで」
真由はあっさり自転車の向きを変え、芝田を置き去りにしようとした。が、
「ちょい待て! 東ってもう真っ暗だろ。送ってく」
「大丈夫よ。自転車だし」
真由は微かに眉をひそめて言い返す。
「その顔、オレがいたら迷惑だって言ってる?」
「あらご名答」
真由は思わず声をあげた。芝田が苦々しい表情で、乾いた笑いを漏らす。
「ほーんとオレって嫌われてるのな」
今さら何を。真由ははっと鼻で笑う。
「何、何が気に入らないの」
若干拗ねたように訊く芝田が、本当に小学生くらいの子どもに見えた。
「何って……私の苦手な熱血スポーツ系だから?」
「うわそれただの偏見じゃん」
「分かってるわよ。でも、苦手なものは苦手なの」
真由の答えに芝田は煮え切らない表情で「うー」と唸る。
「というわけだから、もう行くわよ」
真由は何だか居心地が悪くなってきて、改めてペダルに片足をかけた。
お腹もすいてきたし、早く帰ろう。
「じゃーね」
最後に彼をふり返ると、彼はまだ微妙な表情で、しかし微かに頬を緩ませた。
「……ああ、付き合ってくれてありがとうな」
どこか弱々しい彼らしからぬ声に少し後ろ髪を引かれながら、真由は逃げるように勢いよく自転車を漕ぎ出した。
そして翌日からはもう、芝田が声をかけてくることはなかった。
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