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おはなし会の後で
とうとう「おはなし会」の日がやってきた。児童センターは公共図書館の近くで、家から自転車で四十分と少し。晴れていたのと電車代を節約するため、珍しく自分から自転車を選んだ。
始まる時間は午後一時。真由が到着すると、先に準備に来ていた芝田が出迎えた。
「お、来たな」
まるで自分がお話を聞きに来たみたいに笑顔だ。
「なーに、その子が芝田の言ってた子? あれ、この前図書館でも会った?」
同じ年くらいの、彼のお話会メンバー三人が集まってくる。
「本選んでくれたんだよね。ありがとー。あたしもあの本好きだったからうれしかった」
長い髪の眼鏡をかけた女の子が真由に礼を言った。
「あ、いえ。喜んでいただけたなら良かったです」
言いつつ、役に立てたうれしさが心を温かくした。
「私たちも頑張るから、今日は楽しんでいってね」
こちらはショートカットの女の子が、ふふふと笑ってブイサインを送ってくる。この子は何となく芝田に似ていると思った。
「俺も好きな本だった。今度また何か紹介してくれないか」
三人目の男の子が言う。彼はどちらかと言うと、芝田とは違って落ち着いたタイプだ。そう、まさに読書という言葉がピッタリと当てはまる。
「私でよければ」
真由が同じ読書好きの匂いに惹かれ笑みを返すと、
「ちょっと待て」
芝田が若干眉をしかめて間に割って入って来た。
「何よ」
真由が呆れたように訊くが、彼はむううと唸って答えない。
男の子の方がクスリと笑い、芝田の頭をポンとたたいた。
「ほら、妬かない。そろそろ準備するぞ」
そのまま真由に会釈し、芝田を引きずって行ってしまった。
(妬く? 何に?)
真由は首を傾げながら、部屋に集まり始めた子どもたちの後ろの方に腰を下ろした。
真由が選んだのは、一冊が童話、もう一冊は縄跳びの練習に励むある小学生のお話であった。
芝田といえば熱血スポーツで、少しその要素が入ったものを選んでしまった。同時に、運動が苦手な自分と重なる部分も見え、個人的に好きな話だったというのもある。
彼がこの物語をどのように朗読してくれるのか。少し期待した部分があったのだ。
「大丈夫。跳べるまで見ててあげるから。ほら、もう一回」
芝田の朗読に、真由は物語の世界へと惹き込まれる。自分が跳べない主人公と重なる。それをそばでずっと見ててくれるのは、彼だった。
(こいつはとことん付き合うんだろうなあ……こっちがうっとおしくなるくらい)
そう思って、おかしくなる。
彼を囲む子どもたちが、跳べないけど頑張る主人公の挿絵に釘づけだ。その顔は悔しそうな、歯痒そうな、複雑なものだった。きっと自分も同じような表情をしているのだろう。
(今度、教えてもらおうかな……)
物語が終わる頃、不思議とふいにそう思った。
拍手をしながら、芝田の照れた顔を見ながら、そう思った自分にふふと笑ってしまった。
「挨拶してくるから、待ってて。絶対だぞ! 先に帰るなよ!」
散々釘を刺して、芝田はメンバーと共に児童センターの職員さんの元へ向かった。真由は先に自転車を取りに行こうかとも考えたが、入り口で待っていることにした。
少しして、彼ら四人が荷物と共に外に出て来た。
「ちゃんと待ってたな」
よしよしと頷く芝田を、
「私は犬じゃない」
真由は睨み付けた。だいたい待ってろと言ったのはそっちだ。
「じゃあね。あなたもありがとう」
「また連絡するー」
「気を付けて」
他の三人はあっさり解散してしまった。
「何、反省会とかしないの」
「今日は皆用事があるらしい。で、早々に解散」
「ふーん」
真由は芝田と共に、自転車置き場に向かった。
「高橋はこれから何かある?」
自転車の鍵を回しながら、芝田が訊く。
「帰って本読む」
即答した真由に、
「……」
束の間沈黙が返って来た。
「えっと……丁度おやつの時間だし、お茶でもどうですか」
なぜか敬語で芝田が言う。
「え、お茶?」
真由はここまで節約した交通費を天秤にかけ、思わず顔をしかめた。その反応に、芝田が「ああくそ」と顔を手で覆った。
「お前、オレが嫌いだったな」
「え?」
思わずきょとんとする。何の話だろうと思って、前に彼のことが苦手だと言った件を思い出した。もしかして、あの時のことをそんなに気にしていたのだろうか。
「別に私、嫌いとは言ってないけど。苦手だって」
「一緒だろ」
なぜか恨みがましい声が返ってくる。
気まずい空気が周りを漂う。
真由はどうしようかと悩み、はあとため息を吐いた。
「……じゃあ、お茶の代わりに」
その声に、芝田が顔を上げる。――分かりやすいが、その期待に満ちた目は何だ。
真由は引きつりそうになる頬をなんとか抑え、気が変わらないうちに提案した。
「私にバスケ教えてよ」
「……!」
芝田の顔が驚きに溢れ、目を見開いたまま数秒固まる。
「ちょっとあんたに教えてもらいたくなった」
本を選んでやったんだから、これくらいお返ししてもらわなければ。
真由が若干の恥ずかしさに顔を横に向けると、
「分かった、やろう」
彼のうれしそうな弾んだ声が耳に届いた。
結論から言おう。彼の熱血は予想以上のものだった。本当にしつこい――失礼、根気よく指導が続いた。
基礎の基礎も怪しい真由は、まだ楽しいと思えるには程遠い。
「高橋、ドリブルできなきゃ立ったままじゃん」
「もうそれでいい!」
「ダメだって。皆動かなきゃなんないの」
当然ながら、バスケにおいて優位に立つのは彼の方だ。
(くそう……気軽に教えてなんて言うんじゃなかった!)
後悔してももう遅い。真由は彼に目を付けられ、彼の熱血指導スイッチが入ってしまった。
「力入りすぎだって。ほら」
スリーポイントの曲線から、芝田がふわりとボールを放つ。ボールは綺麗な弧を描き、リングに吸い込まれて行った。思わず、見惚れる。彼のフォームと、ボールの軌跡に。
「毎朝毎朝、よくもまあギリギリ教室に駆け込んでくるなあって呆れてたけど、何か納得したわ」
休憩にジュースを傾けながら、真由は呟くように言った。
芝田は本当にバスケが好きなんだろう。そして、この実力は練習の成果だ。
「そういえば毎朝、教室の方見たら窓際で誰かがこっち見てるなって思ってたけど、あれ高橋だったの」
芝田が軽く目を見張る。
「私だけかどうか知らないけど、いつも見事な走りだなって感心してたわ」
「ウソつけ。呆れてた、の間違いだろ」
彼の言葉に真由は言い返さず、軽く肩をすくめた。
「でも、ちょっと羨ましくもあったから」
理解できないその熱血ぶりは、どこから湧いてくるのだろうと不思議だった。そこまで熱中できるのはなぜだろうと。そして、純粋に運動能力のある彼が羨ましいと思ったのだ。
「チャイムと戦うのはイヤだけどね」
真由が苦笑すると、芝田がふっと頬を緩ませた。
「やっぱりオレ、お前に何かとことんスポーツさせたい」
「あ? 嫌よ、断固拒否る!」
この一時間程ではっきりと分かったことが一つある。やはり自分は屋内でゆっくり読書などをしている方が良い。百歩譲って、たまーに軽い運動をするくらいでいいのだ。
「それに上手いあんたを見てると、すごいと思うからムカつく」
「何それ、ヒド! 八つ当たりじゃん」
芝田が口を尖らせて抗議する。
「でも、観戦は嫌いじゃない。今度試合見に行こうかな」
真由はふふと笑い、思いつきを口にした。
「!」
水を飲んでいた芝田が咳き込んだ。
「上手いオレを見てるとムカつくんじゃなかったの」
「ムカつくけど、あんたよりすごい人もいるなら見てみたいし」
「うわ、性格悪」
「この前の体育みたいに、ポカすることもありそうだし?」
真由がからかうように言うと、芝田の耳が赤くなった。
「だからっ、あれはお前が!」
「私?」
「……ああもう、来てほしいけど、来てほしくない……」
「あんた何言ってんの」
芝田はしばらくぶつぶつと呟いていた。真由には意味が分からず、彼の声はスルーして青空の広がる天を仰いだ。
(まあ、今は前程こいつが苦手ではないかもね)
芝田を見て、クスリと小さく笑う。
(「おはなし会」は好きだな)
物語の中に惹き込まれる彼の朗読は、心地良かった。「おはなし会」の彼にはあまりガツガツした熱血さが感じられず、バスケをする彼を「動」としたら「静」という感じだ。しかし読む声とパフォーマンスには彼らしい熱があって、時々顔を覗かせる。
「もういい。ほら、練習再開!」
芝田が一人で言って、ボールを抱えた。
「ええ、まだするの!?」
勘弁してくれ、という真由の視線は彼に届かない。
本当に、厄介な奴に目を付けられてしまったようだ。
真由はもうすでにがくがくしてきた足を見遣り、明日からの筋肉痛の生活を思ってため息を吐いた。
(階段死ぬな……ていうか、これはいつ解放されるんだろう)
改めて、自分の体力の無さと彼の熱血さを恨めしく思った。
Fin.
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