第3章 目標

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第3章 目標

 うえぇぇぇっ!!  うえぇぇぇっ!!  部屋の中に、由紀恵の嗚咽(おえつ)の声が響き渡る。初めての抗がん剤治療は、由紀恵にとって想像以上に辛いものだったらしい。私は由紀恵のベッドの脇に椅子を置いて座り、背中を擦ってやる。背中を擦ったところで吐き気がおさまるものじゃないことくらいわかっているけど、それでも何もしてもらわないより幾分マシだ。  ガーグルベースンの中は、由紀恵の嘔吐物でいっぱいになっている。ナースコールのボタンを押すと、すぐに看護師がやってきて、ガーグルベースンを新しいものに取り替えてくれた。そんな由紀恵の様子を、景子と優美も心配そうな表情で見つめている。 「由紀恵姉ちゃん、大丈夫?」  景子が声をかける。男勝りで強気な由紀恵なら、いつもは無理をしてでも『大丈夫』と答えるのだろうけど、今はそんな無理すらできないらしく、ガーグルベースンから顔を離さない。 「横になった方が少しは楽かもよ?」  私がそう勧めると、由紀恵はゆっくりと体を倒す。いつ吐いてもいいように、私はガーグルベースンを由紀恵の顔の脇に置いた。 「少し、楽になった。ありがとう」  由紀恵は絞り出すように声を出す。だけど、血の気のない青ざめた顔からは、とても大丈夫だという感じは見受けられない。 「眠れそう?」  私は尋ねてみる。私の場合、気持ちが悪くても、一度寝て起きれば、吐き気が落ち着いていることが多い。  由紀恵は何も答えなかった。気持ち悪さでそれどころではないのだろう。これ以上、私にできることは何もない。それは、私が治療を受けた後だって同じことだ。 「何かあったら言ってね」  私が言うと、 「ありがとう」  と由紀恵は答えた。私はそれを確認してから自分のベッドに戻って腰掛ける。  買ったばかりの本でも読もうかと思い、手にとってみるけど、由紀恵のことが気になって内容に集中できそうにない。私は本を枕元に置いて、部屋の中を見回した。  景子も優美も由紀恵を気遣って、声を出さずにじっとしている。彼女たちとしても、由紀恵のことが気になって何も手につかないのだろう。もちろん、部屋を出て、図書室やら談話室に行くことだってできる。それでもそうしないのは、やはり由紀恵に対して仲間意識を持っていて、苦しんでいる仲間を放って自分だけどこかに行くことはできないということなのだろう。
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