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第5章 脱走
一ヶ月が過ぎ、ついに試合の日がやって来た。いつもより早く目が覚めた私は、落ち着かずにそわそわしてしまう。向かいのベッドを見てみると、由紀恵ももう起きていて、やはり落ち着かなさそうにしている。
空はもう白み始めている。幸いなことに雨は降っていない。見る限り、今日は晴天に恵まれそうだ。
「なあ、脱走計画は上手くいくかな?」
由紀恵が少し心配そうな表情を浮かべて言った。
「大丈夫……だと思う。まあ、ここから試合のある競技場までは歩いて十分くらいだし、病院さえ抜け出しちゃえば、後は何とでもなるよ」
「そうだといいんだけどな。まあ、実際に試合を見てられるのは一時間くらいだけど、時間的には先輩が出る走り幅跳びは見れるし」
「そうだね。昼ごはんまでには帰ってこなくちゃならないし。でも、由紀恵ちゃんが見たいものを見れるなら良かったよ」
「ああ」
由紀恵はコクリと頷いた。
「ところで、告白はどうするの?」
「告白? それならしないって言っただろう? 私なんかに告白なんかされたら、先輩だって迷惑だ」
「そっか。わかった」
私はそれ以上、何も言わなかった。私がどんなに告白を勧めたところで、由紀恵の気持ちは簡単には変わらないだろう。
だけど、上手くいくにしろいかないにしろ、告白されるだけで迷惑がられるのだとしたら、私たちは何のために生きているのだろう。病気になんてなりたくてなったわけじゃない。私たちは何も悪いことなんかしてはいない。いたって普通の中学生なのだ。
ちょっと憂鬱な気分になりかけたそのとき、由紀恵が口を開いた。
「そういえば、琴美、小説はどうなったんだ? 今日までに書き上げるのが目標だったはずだろう?」
「もちろんできてるよ。昨日の夜、最後のシーンまで書き上げたから」
「へえ。じゃあ、今日、外から帰ってきたらさっそく読ませてくれよな」
「う、うん。ちょっと恥ずかしいけど、約束だからね」
「それで、結局、ハッピーエンドにしたのか? それともバッドエンド?」
「それは読んでからのお楽しみだよ」
「ちぇっ。まあいいや」
由紀恵はそういうと、自分の荷物棚をガサゴソと漁り始めた。そして、スケッチブックを取り出すと、ペラペラと数ページ捲って私の方に見せた。そこには絵が描かれている。しっかりと絵の具で彩色もしてある。
私はベッドから降りて、由紀恵に近づき、その絵を間近に見る。窓から見える外の景色を描いたその絵は、病気という鎖に繋がれて外に出ることができない私たちの今をそのまま表しているようだ。だけど、今日、私たちはたった一時とはいえ、あの窓の外に見える光景の中に飛び出してゆく。
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