第13章 音姫の納歌

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天幕から唐突にスセンが出て来て、難しい顔でこちらに歩いてくる。 あれ程の歌声を聴いた後だというのに、心揺さぶられなかったとは、流石としか言いようが無い。 カラトは何とも言えない顔のまま、近付いてくるスセンを待ち受ける。 と、スセンは隣に佇んでいたジオルの方に目を向けた。 「ジオル、三番の書簡を用意しておいて下さい。」 どこか苦い口調で言うスセンに、ジオルも右目を鋭くする。 「それはまた、重いのを行きますね。それ程のお相手ですか?」 内容の分からない会話が繰り広げられる。 「13年前、トゥヴァイラの花畑を踏み荒らした男を覚えていますか? 今回の交渉相手は、その方ですよ。」 ジオルの顔が能面のようになる。 「それはまた、お暇ではないでしょうに。」 「本人は、休暇だと言い張っていましたね。」 ジオルはそれに肩を竦めた。 「ところでスセン様、この弟子も側に置いて一年以上になります。そろそろスセン様のことを少しくらい知っておいて貰った方が良いでしょう。今回連れて行かれてはどうです?」 いきなり矛先がこちらを向いて、カラトは驚いたようにジオルの方を向く。 是非、放っておいて欲しかったのですが、とは言えずに黙って窺っていると、スセンがこちらをまじまじと見つめた。 「そうですね。カラトも付いて来なさい。」 何かのお仕置きでしょうか、と思いながら、カラトは渋々動きだしたスセンとジオルについて行く。 「モルド殿、参りましょうか。」 天幕の側で心配そうに中を窺っていた男に、スセンが声を掛けると、男はほっとしたように頷いて、スセンに付いて天幕に入った。 天幕の中では、リトラがコラドの前に突っ立っていて、その他はカラト達が天幕を出た時と変わりない様子だった。 スセンがリトラの隣に並ぶと、コラドがスセンに強い視線を向けた。 「お待たせしました。コラド殿、こちらはルマ・デュラムの領主殿よりの使者のモルド殿です。」 リトラの斜め後ろに並んだモルドが丁寧に頭を下げる。 が、コラドはそちらをちらりと見ただけで、スセンに視線を戻す。 「俺は、国王の特使の、コラドだ。」 コラドが何者かは分からないが、この偉そうな態度が当たり前のように許されているところを見ても、只者ではないのだろう。 「さて、反逆罪の領主とその息子はどうしてくれようか。」 コラドはわざとスセンの顔を眺めながら言う。 「領主殿の使者と彼には、話しをお聞きにならないので?」 スセンの問いに、コラドはまたやる気のない態度で、肘をついた手に顎を乗せる。 「取り調べは調査官にやらせればいいだろう?」 スセンは小さく溜息を吐く。 「成る程、では私の話しをさせて頂いて宜しいでしょうか?」 特に食い下がらずにそう切り替えたスセンに、コラドの目が面白そうに光った。 「その前に、もう一つ宜しいでしょうか?」 それには、コラドの瞳が面倒臭そうな色を浮かべる。 「宜しいでしょうかは一つに絞るものだろ。」 少し不機嫌になった様子だったが、コラドは特に止めはしなかった。 「無関係の者の退席をお許し頂きたいのです。」 スセンが一座の他の者達を見ながらそう言うと、コラドは面倒臭そうに兵士達に手を振った。 「俺はこの司祭様と遊ぶから、そっちの餓鬼共は離してやれ。」 何とも不遜な言い草だが、兵士達は全く意見もせずにトリク達を立たせた。 天幕を出されるトリク達は、心配そうにリトラに心を残すような目を向けてから、天幕を出て行った。 人の数が一気に減った天幕の中で、スセンがまた改まった目をコラドに向ける。 「では、私が今日ここへ来た本題に入らせて頂きます。」 カラトは、何を考えているのか分からないスセンの顔を眺めながら、今日の勝算はどれくらいあるのだろうかと考えていた。 「当代の音姫には、神が付いている。これは先程の件で信じて頂けたでしょうか?」 それを証明する為の音姫の歌声だったのだとカラトは納得した。 「まあ、普通じゃなかったのは理解できたな。」 このコラドという男、相当素直じゃない性格なのだろう。 何となく、これからの交渉が難航するに違いないと予測出来てしまった。 「あの神は、これまで誰にも認識されぬまま、知られざる神としてルマ・デュラムの領主一族に付いていた可能性が高いと私は思っています。」 コラドの眉が不愉快そうにぴくりと動く。 「知られてなかったなら、これからも知らずにいればいいのではないか?」 牽制してきたコラドに、スセンは小さく笑みを作ったようだった。 「そうですね。今の領主一族の有り様を変えようとしなかったなら、それでもまだ良かったのかもしれませんね。」 コラドの顔が怪訝そうになる。 「50年前、この辺りがまだデュランダレム公国と呼ばれていた頃、当時のアウナランガ国王はこの公国を攻めて併合した。その際、近隣諸国は挙ってそれに抗議したが、それだけのことでした。」 突然始まったスセンの昔話に、コラドが顔を顰めた。 「デュランダレム公国は昔から音楽が盛んで、それによって成り立っているような国でした。各国から音楽を志す者が(わだかま)りなく集う、中立性の高い国であったからこその抗議でしたが、アウナランガ国王はそれを汲んだのか、公国を併合してからも、公王の一族には自治権を与え、その有り様を変えなかったので、それで収まったのだと言われています。」 スセンがこの話しを始めた意図は、カラトにも解らなかった。 こっそり窺った他の誰もが、皆僅かに顔を顰めている。 「良く勉強しているようだな、だがそれがどうした?」 コラドは早々にこの状態に見切りをつけるつもりのようだ。 「というのは表向きの話で、実際にはアウナランガ軍は公王一族を滅ぼす為にデュランダレムに攻め入っていたのだそうですよ。驚く程短期間だった所為で他国に気取られることも無く、その事実は忘れ去られてしまいましたが。」 コラドの眉間に皺が寄り始める。 「当時の記録の殆どは丁寧に抹消された跡があって、その短期間に実際何があったのかはきちんとした文献で探すことが困難でしたが、俗話の類いにそれらしい記述が残っていました。アウナランガ軍は攻めあぐねて逃げた、と。その理由は、攻め入ったアウナランガ軍に死の病が瞬く間に広がったからだという説もありましたね。」 コラドの顔が冗談では済まされない程険しくなる。 そのコラドの横で、側近らしきボイツがすらりと剣を抜いた。 「貴様はアウナランガ軍を愚弄して、殺されたいのか?」 低い声だが、まだ抑えた調子のコラドの言葉が掛かる。 「いいえ。ですが、実際はどうだったのだと思われますか?」 冷静にそれでもまだ続けるスセンに、カラトは背筋が寒くなる。 「俺はまだ当時生まれてさえいないからな。知るか。」 低いコラドの声が、そろそろ限界を感じさせる。 隣のボイツがこれまた険しい顔で、主人の許可を待つ態勢に入っている。 「そうですね。真実の全てを知ることは、当事者にすら難しかったかもしれない。ですが私はそれを、今の領主一族に付いている神ならば出来たのではないかと思っています。」 コラドとボイツの眉が跳ね上がる。 「貴様、それは俺に対する脅しか?」 苛立ちを含んだ低い声が険しい顔のコラドから漏れて、ボイツが堪え切れずに一歩足を踏み出す。 「いいえ。ご存知のことと思いますが、私はヴァラトヴァの正司祭としてここに立っております。ですから、領主一族に一方的に肩入れをしている訳ではありません。」 ちらりと覗いたスセンの顔色はいつも通りの仕事中の引き締まった顔で、声の調子も淡々としている。 「私が言いたいことは、最初から一つです。恐らく50年前よりも更に力を付けた彼の神を、放っておくのは危険です。きちんと奉じて仲介を立てて置かなければ、思わぬ災害に前触れもなく見舞われる可能性があります。」 コラドがボイツに目で下がるように合図すると、ボイツが渋々というように剣を仕舞って脇に戻る。 「そもそも何でその神とやらは領主一族に肩入れする。」 コラドが苦虫を潰したような顔で問うのに、スセンはこれまた涼しい声で答える。 「神々の感覚はそもそも人とは違っています。彼の神は、領主一族を助けている訳でも、国家守護を行なっている訳でもない。ただ、気に入った音姫を脅かす者を排除しただけなのでしょう。」 コラドがまた忌々しそうな顔になる。 「神々が人とは違うその感覚に従って力を振るうと、人にとっての災害が起こることも珍しくない。ですから、神々と人を繋ぐ神殿が存在するのです。私達司祭は、神々と人の仲介を行なって、双方が生きやすい世の中を作ることを仕事の一つとしております。」 カラトの位置からははっきりとは見えないが、そう語ったスセンは余裕の笑みさえ浮かべているのではないかと勘繰りたくなった。 その証拠に、コラドが深い溜息と共に舌打ちした。 「だから、俺は昔から司祭は嫌いなんだ。有る事無い事持ち出して、はっきりと証明さえ出来ない癖にこっちを良いように言い包めようとしやがる。」 口調の崩れたコラドを、またボイツの咳払いが嗜める。 「だから絶対に折れてやらない! と言いたいところだが、お前は只の餓鬼でも只の司祭でもない。これは、お前個人に対する貸しにしておいてやる。」 コラドの言葉に、初めてスセンが身動ぎした。 「俺もな、13年前俺に偉そうに説教しやがった4つの餓鬼が何者か知りたくて調べさせた。これは、お前の将来に対する投資で貸しだ。いつかこの貸しはきっちり返してもらうからな。」 何と無く、この勝負は巡り巡って、スセンの逆転負けではないのかという気がして来た。 「私に投資して頂いても、将来何かをお返し出来るとは思えないのですが。」 そう呟くように言ったスセンは、密やかに溜息を漏らして振り返った。 その顔には、リトラと領主一族を守れた安堵と、コラドに借りが出来た忌々しさと戸惑いが現れたような複雑な表情だった。 心得たようにジオルが差し出した書簡を、スセンは受け取って進み出る。 「この話しを受けて、ヴァラトヴァ神殿よりのご提案です。目をお通し下さい。」 そう告げて書簡を差し出したスセンの元へ、ボイツが進み出て受け取る。 ボイツからそれを渡されたコラドは、開いた書簡にざっと目を通してから、じろりとスセンを睨む。 「何が提案だ。ご提案書とは名ばかりの要請書じゃないか。しかも何だ、署名欄の全てに自分の名前を埋められる役職の数とか異常だろ。お前、ヴァラトヴァ大神殿に帰ったら影から神殿を牛耳れるんじゃないのか?」 それに、スセンがさっと目を逸らしたようだった。 「たった三つの署名です。しかも、私の持つ役職は必要に迫られて取得したものばかりですから、寄せ集めても、何の権力にも繋がりませんよ。」 どうだか、という目を向けたコラドの内心に、カラトも賛成だった。 「やれやれ、つまらんな。欲が無さ過ぎるのは美徳じゃなくて、無粋だ。まあいい、ボイツ、神殿建立の許可書に署名が必要だそうだ。」 折れてしまえば、意外な程に物分かり良く署名までしてくれるというコラドに、カラトは疑問に思って隣のジオルを盗み見る。 すると、ジオルも肩を竦めたみせた。 「略印持ってきてましたっけ?」 ボイツが筆記具を用意しながら気楽な口調でコラドに声を掛ける。 「あん? 本名で署名しとけば印は何でも良いだろ?」 何と無く心臓に悪い会話がコラドとボイツの間で交わされている気がするが、ここは気付かない振りをするところだろう。 「それにしても、惜しかったですね。もう少しでルマ・デュラム領主の反逆をいち早く察知して潰した英断ってことで賞賛されるところでしたのに、これでは当初の通り、脱走して強制休暇取得したって言われて怒られてしまいますね。」 コラドが少しだけ不貞腐れた顔になる。 「煩い。俺は元々噂の音姫の歌を聴きに来ただけなんだ。休暇中に何で反逆の捜査だの尋問だの真面目に仕事をせねばならんのだ。」 それを聞いたリトラとモルドの顔が明らかに引きつった。 「いいんだよ。大きな投資が出来たんだからな。」 にやりと笑ったコラドにボイツが肩を竦めて印を渡した。 「はいはい、何か返ってくるといいですね。」 至って和やかに交わされる会話に、カラトは頭の中がこんがらがりそうになる。 「どうだ、うちの司祭様の仕事振りは?」 そんなカラトの様子に、隣からジオルが小声で話し掛けてくる。 「ああもう、絶対に寿命が縮みましたね。でも、誰にも真似出来ない、スセン様らしいやり方は流石でしたね。」 正直に答えると、ジオルがまるで自分のことのように嬉しそうな顔で優しく微笑んだ。
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