第15章 想いの行方

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第15章 想いの行方

雨上がりの街は、お日様の光を受けて、キラキラと輝いている。 所々に残った水溜りや、木の枝葉に付いた水滴が光を弾いて、小さな虹色を作っていた。 午前のまだ早い時間だというのに、ルマ・デュラム領主邸の敷地内にある音の広場には、驚く程多くの人が集まっていた。 今日は、ここで音姫の公演が行われる。 今回の音姫の公演は特別だった。 暫く前から病に臥せっていた音姫は、快癒したものの、その象徴であった美しい高音域の歌声を失くしてしまったのだそうだ。 そこで、歌の次に得意な縦笛を今回は披露することになっていた。 そして、音姫の命をその歌声と引き換えに救ってくれたという代々の音姫の側にあって見守り続けてくれていた音の神様を、この程正式に音姫を輩出する領主家で奉じることになり、その契約の儀式を同時に行うのだそうだ。 というのが、一般に流された情報だった。 シオナは、音の広場に設置された舞台を、複雑な想いで見詰める。 これから、ここでスセンがヴァラトヴァ神殿の“覡の長”として、新しき神を領主家で奉じる為の契約の儀式を行う。 「シオナちゃん、大丈夫か?」 ナダの町からの帰りに倒れて、体調を崩していたシオナの顔色は、未だ余り良くないそうだ。 「これが済んだら、また出発なんだろ? 無理せず宿で休んでたら良かったのに。」 キルクの気遣う言葉にシオナは首を振る。 「ううん。見ておきたかったの。好きだった人の晴れ姿。きっと今日も綺麗に卒なく熟してしまうんだろうな。」 強がってみたものの、作る筈の笑顔が強張る。 「本当は、まだ過去のことには出来ないけど、でも、いつか振り返って綺麗な思い出にする為に、私には必要な儀式だって決めたの。」 見守るキルクの顔が僅かに曇る。 「そっか。じゃ、精々音姫様の初披露の縦笛の音くらいは楽しもうか。」 努めて明るく返してくれたキルクに、シオナは頑張って微笑む。 そうこうしている内に、舞台に司会者が立って、今日の公演に関する説明が始まる。 音姫リエルの縦笛は、歌声に比べて知られていないが、昔から相当な技量であったこと、それ故にこれからもこの縦笛一本で遜色なく音姫として務めていく旨の報告があり、それをこの場で聴く皆様がご確認下さいと、強気に締められた。 そして、音の神を奉じる為に、音楽堂の今後の活用を見直すこと。 今日の儀式が、ヴァラトヴァ神殿の“覡の長”によって取り仕切られること、今後はヴァラトヴァ神殿の協力の下、神殿の建立を行うこと。 それに、アウナランガ国王の正式な許可が下りていること等が説明された。 戸惑う聴衆を置いて司会者は下がって行き、暫くしてから、音姫リエルが縦笛を手に舞台に上がった。 光を受けてきらきらと輝く飾りを散りばめた水色の衣装を纏い、長い髪の鬘を着けて化粧を施した今日のリトラは、どこから見ても、美しい少女にしか見えない。 音姫リエルは、言葉を発することなく聴衆をゆっくりと眺めると、少しだけ足を開いて縦笛の吹き口を咥えた。 華奢に見える肩が少し上がって、澄んだ音が空気を震わす。 伸びやかに澄んだ音が広場全体に広がって行き、聴衆の騒めきはあっという間に止んだ。 美しい音の粒がリエルの吹く縦笛から溢れ出してきて、場の空気すらも塗り替えて行く。 音の合間の息継ぎですら音楽の一つだと感じる程に、入り込んで心を揺さぶる音色に、広場からは物音一つしなくなった。 聴衆は曲の切れ目にだけ溜息のような呼吸をしているのではないかというくらい、あっという間に時間が流れて行く。 「凄い、な。」 曲の切れ目に、キルクが小さな声で一度だけ呟くのが聞こえた。 予定されていた5曲がいつの間にか終わって、余韻に浸る空気の中で、スセンがそっと舞台に上がってくる。 リエルと意匠を合わせているのだろう、スセンは白地にやはり光を受けて輝く飾りを施した覡の正装を身につけて、いつもよりも丁寧に身なりを整えている。 美しい音姫リエルと並んでも遜色のないスセンは、場慣れした様子で舞台にリエルと並んで立つと、横のリエルと目を合わせて頷き合った。 今日の儀式の流れはどうなっているのか全く知らないが、改めて縦笛を咥えたリエルと少し足を開いて息を吸い込んだスセンは、やはり音楽で音の神を呼ぶのだろう。 リエルの笛の余韻に浸っていた広場の聴衆は、スセンの登場に期待と反発の入り混じった視線を向けている。 音姫として聴衆に受け入れられ、熱狂的な支持を受けることになりそうなリエルと同等に並ぶスセンに対する反感なのだろう。 リエルの笛の音が流れ始める。 古風で単調な調べだが、どこか懐かしいような曲調だ。 それに、スセンの良く通って低く伸びやかな中低音の詠が重なる。 今日の詠は、誰の耳にも届く肉声で、ただ、古い言い回しの難しい言葉が使われていて、神殿でそういう勉強をした者でなければ、意味も分からないだろう。 シオナも半分以上想像で聴いていると、それが音の神を呼び寄せる祝詞なのだと分かって来た。 臆せず紡がれるスセンの声は、胸に心地良く深く染み渡るように広がり、リエルの縦笛の音と絡み合うように合わさって、その音色には色が付き始める。 いよいよ音の神の登場だ。 聴衆は、2人の音色に付いた美しい虹色を見ることは無いのだろうが、それでも息を詰めるように舞台に釘付けになっている。 現れた音の神はスセンとリエルの奏でる音の流れを遡って行く。 心地良さそうに、様々な色に染まりながら。 遡ってスセンとリエルの前に至った音の神は、2人と見つめ合うように動きを止める。 「(あまね)く音を司る神ソルアフアザよ。ヴァラトヴァの正司祭にして覡の長たる私スセンが、御身とルマ・デュラムの音姫との契約を仲介致します。」 まだ止まずに続くリエルの笛の音を不思議と邪魔しない落ち着いた声音で、スセンが奏上する。 『ヴァラトヴァ様が仲介者よ。我はルマ・デュラムの音姫が続く限り、その者達を守り導くことを約しよう。そして、その周りに集いし音を愛す者達の守護者となり、見守ることに致そう。』 ソルアフアザの言葉にスセンは恭しく頭を下げると、リエルに目を向ける。 『我言葉を聞き取れぬ音姫には、如何にして伝えようか。』 「私をお通し下さい。そして、音には音で。」 そう言って両手を広げたスセンに、音の神が降りて行く。 スセンが音の神の色にまた染まって行く。 音の神を降ろしたスセンは、未だ笛を吹き続けるリエルに向き直って、その邪魔をしないようにその額の高い位置に、そっと優しく一つ口付けを落とす。 途端に、シオナの心が騒ついた。 驚いて見上げるリエルの視線の先で、スセンの中から音の神が出て行って、リエルの吹く笛の音に合わせて音楽堂の鐘が鳴る。 それを見守るスセンの顔は穏やかで優しく、シオナは胸が締め付けられるような気がした。 リエルが本当は男の子だと分かっている筈なのに、切なくて堪らなくなる。 じきにリエルの笛は曲の終わりを迎え、音楽堂の鐘がそれを惜しむ様に、余韻を残すように幾度か鳴って、ぴたりと止まった。 一瞬の後に、音の広場は割れんばかりの拍手と喝采に包まれる。 その中で、スセンが聴衆に向かって静かに頭を下げ、無駄の無い綺麗な身ごなしで舞台を下りていく。 リエルには、鳴り止まない拍手と歓声が贈られた。 「シオナちゃん、大丈夫か?」 キルクに問われて初めて、シオナは自分が涙を流していることに気付いた。 「狡い、よね。あんなの。どうやって諦めていいのか分からないよ。」 震える声を振り絞るように言うと、キルクが小さく溜息を吐いた。 それから、シオナに手拭いを差し出した。 「シオナちゃん、どう考えたって、慰めるのは俺の役目じゃないから、やらないけど。その涙は誰にでも見せちゃ駄目だよ。」 シオナは手拭いを受け取って、顔を覆う。 堪え切れない嗚咽が漏れた。
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