六月二日(日)

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 さて、『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』の感想。  単刀直入に書いてしまおう。  すこぶる評判のいいこの映画だが、私は嫌いだ。  それはもう、大文字にルビつけて強調したいくらい大ッッッッッ嫌いだ。  おそらくは『けものフレンズ』のファンが『けもフレ2』に抱いたのと同じ種類の不快感を、私はこの映画に抱いている。  ご都合主義で助かり、ご都合主義で死ぬ登場人物。  ハリウッドの当世風のやり方を踏襲してるのだろうか、見づらいだけの暗い画面。  一個の映画として鑑賞しても粗雑なつくりが目立つが、この辺はまぁ許容できる。  問題なのはゴジラというコンテンツを扱う上で、絶対にありえない展開だ。  作中、瀕死になったゴジラを復活させるシーンがあるのだが、なんと蘇生の手段に核爆弾を用いているのだ。  しかもご丁寧に、起爆役(人柱とも言う)を務めるのは渡辺謙氏演じる芹沢博士ときた。  いやぁ、すごいね。 「反核」の象徴として生まれたはずのゴジラ映画で、まさか人類に勝機をもたらす契機に核兵器を持ってくるとは思わなかった。  さすがアメリカ人! 日本人に思いつけない事を平然とやってのける。そこにシビれもしなけりゃあこがれもしねェけどな。  悪意をもって製作したとしか思えないほどの無神経ぶりである。  だいたい、生物学者にすぎない芹沢博士が潜水艇の操縦から起爆まで担うのがおかしい。  そこは専門の技師に任せるべきじゃないのか。手違いがあったら計画はおじゃんでしょうに。  あるいは起爆したと見せかけてトンズラ、なんてこともありうるんじゃないのか。というかそうしてほしかった。なにしろ被爆二世で、前作では核の使用にはっきりと難色を示していたのだから。  「爆弾は手動でないと起爆しない、そして作動させた人は助からない」と説明くさいセリフがあるのだが、別に作動と同時に爆発するわけでもない。逃げるに足る時間はありそうに見える。  にもかかわらず、博士は馬鹿正直に死を受け入れる。貴重な生還のチャンスを、ゴジラに語りかけることに使って潰す。  それは尊い犠牲には全然見えない。なぜなら予定調和で死んだとしか写らないからだ。  つーかそもそも、今時手動でしか作動しない爆弾って。リモートコントロールという概念はあの世界にないのか。あんだけハイテクな巨大空中基地は飛ばせるくせに。  首をひねりたくなるような場面があまりに多いこの映画だが、ひとつ教訓は得られた。  こんな風に登場人物を殺しても、不快感を覚えさせこそすれ感動なんて与えられない、という教訓を。  かつてハリウッドは、今のシリーズとは別にゴジラを作った。  ミサイルで絶命する、巨大なイグアナの如きゴジラをファンはボロクソに言った。  こんなのゴジラじゃないと、アメリカのファンが貶したのである。  けれど私は断言する。  あのエメリッヒ版ゴジラの方が、今のゴジラよりよっぽどゴジラらしかった、と。 (他国に責任転嫁していたとはいえ)水爆実験を人類史の汚点と認めていたあっちのゴジラの方が、よっぽどゴジラ本来のテーマに誠実に作られていた、と。  まさかラドンやモスラやキングギドラさえ出せば、ファンは納得するとでも思ってるのか。  オキシジェンデストロイヤーの名前を(ものすっげえ雑に)使えば、過去のゴジラ映画のつまみ食いのようなオマージュ・シーンを用意すれば、スタッフロールに伊福部昭のメイン・テーマを用いれば、思考停止して賞賛するとでも思ってんのか。  アメリカに渡ったゴジラはレーゾンデートルを失い、単なるモンスターになり下がった。  願わくば偽りの王冠を棄て、本来の魂を取り戻して凱旋する日が来ることを。  ……まー凱旋したらしたで、アニゴジなんてロクでもない作品が作られたりするんだけどね。
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