第三章 僕のうちに来て

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 楓は出かけていき、一成は風呂に入った。特に質素なわけでも、また豪華過ぎるわけでもない、普通の風呂だ。シャンプーやボディーソープも珍しくはない、よく見かけるもの。  ――普通の家の、普通の子なのに……。  爪を噛む癖だとか、「えらい人」だとか、お化けだとか。  それにしてもおかしな一日だった。関東圏内にいるというのに、地の果てまで来てしまったかのようだ。時間の流れも、空気も、人もまるで違う。東京の人間だって他人には無関心だが、白志多の人間はそれに加えて悪意を感じる。思った以上にストレスだったらしく、熱い湯に浸かってようやく肩の力が抜けた。  道源さんから連絡があった――と、楓の母親は言っていた。あの男は好きになれそうにもない。居丈高で、威圧的で、ぞんざいで、嫌な奴だ。もしもあれが上司だったら、さぞかし苦労することだろう。 「えらい人、か」  一成は呟いた。田舎での「えらい人」は強烈だ。楓は大丈夫だろうか。  楓の母親に礼を言い、早々に二階に上がった。主のいない部屋は、怖いくらい静かだった。  時刻はまだ早く、横にはなってみたがなかなか眠れない。一成はスマートフォンを手に取り、今日撮った写真を見返してみた。楓を写したものが現れる。「おじいちゃんの木」だ。  ――俺はいったい、何を望んでここに来たんだろう。  画面上の楓は、固い面持ちがかえって新鮮なくらいの涼やかな少年だった。それこそ本物の彼に会う前思い描いたように。  一成は深く嘆息した。とにかく今日は疲れた。眠れないとしても眠りたかった。  規則正しく打つ秒針の音を聞いているうち、いつしか一成にも眠りが訪れる。夢を見た。暗く寂しい森をさまよう夢だ。ほのかな月明りを頼りに森を抜けたら、そこは楓に案内された沼で、本来ならば透き通っているはずの水が灰色に濁っていた。  楓が言う。  ――お化けが来るよ……。  彼はその日、帰らなかった。
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