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花川家を出てから、一成は楓に尋ねる。
「お小遣いはもらってないの?」
「もらってない。頼んではみたんだけど、必要な時はその都度言えばいいからって」
スーパーは白志多の本道から数メートル入った地点にあった。駐車場は砂利である。その周りは土。雨が降れば極端に客足が遠のくのではないかと予想された。
小規模店である。野菜、生鮮食品と、乳製品や豆腐などのチルド品、それから洗剤や日用品。ペットボトル飲料は酒と並べて隅に置かれている。楓は真っ直ぐその棚に向かい、サイダーを手に取った。
「一成さんは何飲む? 一緒に買うよ」
「えっ? いいよ、そんな。自分で買うよ」
「いいの。僕が奢るの。おじいちゃんの木で飲もうよ」
「いや、でも」
「どれがいいとか言わないと、僕とおんなじのにしちゃうからね!」
そう言われても、選ぶほどの欲求もない。
「いいよ、同じので」
「わかった。これ二本……」
そこで出し抜けに声が途切れた。
楓の目線の先には、中年の女がいる。道源の妻だ。まだこちらには気づいておらず、総菜コーナーを物色している。
彼女を見る楓の目はひどく冷たい。
――時々すごく嫌な、怖い目つきで私を見るの。
道源の妻が言った通りの、敵意に満ちたまなざしだった。
「楓君、あの……」
それが道源の妻にも聞こえたらしい。彼女はぱっとこちらを見て、口元に険を乗せた。
先に目をそらしたのは向こうの方だ。身を翻し、違う通路に消えていく。
白志多では買い物をする場所もほかにないため、会いたくない相手であっても完全に避けることは難しい。楓も踵を返し、レジに向かった。
会計を済ませて店を出た。一成は楓を呼び止める。
「楓君、一昨日は何があったんだ?」
楓は答えずに歩き続けた。
「警察に行かなくて本当に大丈夫なのか? 病院とか、カウンセリングなんかも……」
楓が立ち止まった。一成の言葉を受けてではない。前方を凝視している。
一成も見た。三十前後の女が道を歩いている。足取りは重く、ふらついて、酔っ払っているかのようにおぼつかない。
そして楓の行動にも驚いた。彼は足音荒く女に近づき、その手首を掴んだのである。
「愛美ちゃん、こんなところで何してるの。出てきちゃだめだよ!」
彼は明らかに怒っていた。
愛美、と呼ばれた女は呆けたように楓を見つめている。特に何も言わず、言葉を解しているのかどうかすら怪しい。ぐいと楓に引っ張られ、たたらを踏みつつも、文句を言うこともなくおとなしくついていく。
「ほら、帰るんだよ。さっさと歩いて」
普段の楓に似つかわしくない口調だった。
これはいったいどういうことだ。多少おかしくとも、無邪気で寂しい子だと思っていた楓が、別の弱々しい女を詰っている。そんな彼の姿には、彼の母親や、道源の妻が重なって見える。
一成は間に割り込んだ。
「ちょっと待って。この人、具合が悪そうじゃないか。大丈夫ですか?」
愛美の双眸に一成が映った。
「ご自宅はおわかりですか? 救急車を呼びましょうか」
愛美はぼんやりしている。彼女の瞳は一成の姿を捉えているのではなく、ただ映しているだけだった。なんの感情も、また考えも浮かんでいない。
一成は怖気立った。この女は正真正銘の病気だ。
楓が一成を振り払う。
「愛美ちゃんはいいの。構わないで。僕が家まで連れていくから、一成さんはおじいちゃんの木で待ってて」
「だけど、この人……大丈夫なのか? ご家族を呼んだ方が……」
「いいんだよ。別にどこも悪いわけじゃないんだから。とにかく一成さんは来ないで。向こうに行ってて」
「でも……」
が、愛美を見下ろした一成は絶句してしまった。彼女はブラウスのボタンを外し始めていたのである。胸元がはだけ、白い下着が覗いていた。
楓が彼女の手を叩く。
「だめ! この人はそういうのじゃないんだよ。ちゃんと服着て。行くよ!」
彼は愛美を引いていく。一成はただただ見送ることしかできなかった。
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