第六章 僕もああなる

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 花川家を出てから、一成は楓に尋ねる。 「お小遣いはもらってないの?」 「もらってない。頼んではみたんだけど、必要な時はその都度言えばいいからって」  スーパーは白志多の本道から数メートル入った地点にあった。駐車場は砂利である。その周りは土。雨が降れば極端に客足が遠のくのではないかと予想された。  小規模店である。野菜、生鮮食品と、乳製品や豆腐などのチルド品、それから洗剤や日用品。ペットボトル飲料は酒と並べて隅に置かれている。楓は真っ直ぐその棚に向かい、サイダーを手に取った。 「一成さんは何飲む? 一緒に買うよ」 「えっ? いいよ、そんな。自分で買うよ」 「いいの。僕が奢るの。おじいちゃんの木で飲もうよ」 「いや、でも」 「どれがいいとか言わないと、僕とおんなじのにしちゃうからね!」  そう言われても、選ぶほどの欲求もない。 「いいよ、同じので」 「わかった。これ二本……」  そこで出し抜けに声が途切れた。  楓の目線の先には、中年の女がいる。道源の妻だ。まだこちらには気づいておらず、総菜コーナーを物色している。  彼女を見る楓の目はひどく冷たい。  ――時々すごく嫌な、怖い目つきで私を見るの。  道源の妻が言った通りの、敵意に満ちたまなざしだった。 「楓君、あの……」  それが道源の妻にも聞こえたらしい。彼女はぱっとこちらを見て、口元に険を乗せた。  先に目をそらしたのは向こうの方だ。身を翻し、違う通路に消えていく。  白志多では買い物をする場所もほかにないため、会いたくない相手であっても完全に避けることは難しい。楓も踵を返し、レジに向かった。  会計を済ませて店を出た。一成は楓を呼び止める。 「楓君、一昨日は何があったんだ?」  楓は答えずに歩き続けた。 「警察に行かなくて本当に大丈夫なのか? 病院とか、カウンセリングなんかも……」  楓が立ち止まった。一成の言葉を受けてではない。前方を凝視している。  一成も見た。三十前後の女が道を歩いている。足取りは重く、ふらついて、酔っ払っているかのようにおぼつかない。  そして楓の行動にも驚いた。彼は足音荒く女に近づき、その手首を掴んだのである。 「愛美(えみ)ちゃん、こんなところで何してるの。出てきちゃだめだよ!」  彼は明らかに怒っていた。  愛美、と呼ばれた女は呆けたように楓を見つめている。特に何も言わず、言葉を解しているのかどうかすら怪しい。ぐいと楓に引っ張られ、たたらを踏みつつも、文句を言うこともなくおとなしくついていく。 「ほら、帰るんだよ。さっさと歩いて」  普段の楓に似つかわしくない口調だった。  これはいったいどういうことだ。多少おかしくとも、無邪気で寂しい子だと思っていた楓が、別の弱々しい女を(なじ)っている。そんな彼の姿には、彼の母親や、道源の妻が重なって見える。  一成は間に割り込んだ。 「ちょっと待って。この人、具合が悪そうじゃないか。大丈夫ですか?」  愛美の双眸に一成が映った。 「ご自宅はおわかりですか? 救急車を呼びましょうか」  愛美はぼんやりしている。彼女の瞳は一成の姿を捉えているのではなく、ただ映しているだけだった。なんの感情も、また考えも浮かんでいない。  一成は怖気(おぞけ)立った。この女は正真正銘の病気だ。  楓が一成を振り払う。 「愛美ちゃんはいいの。構わないで。僕が家まで連れていくから、一成さんはおじいちゃんの木で待ってて」 「だけど、この人……大丈夫なのか? ご家族を呼んだ方が……」 「いいんだよ。別にどこも悪いわけじゃないんだから。とにかく一成さんは来ないで。向こうに行ってて」 「でも……」  が、愛美を見下ろした一成は絶句してしまった。彼女はブラウスのボタンを外し始めていたのである。胸元がはだけ、白い下着が覗いていた。  楓が彼女の手を叩く。 「だめ! この人はそういうのじゃないんだよ。ちゃんと服着て。行くよ!」  彼は愛美を引いていく。一成はただただ見送ることしかできなかった。
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