第一章 とてもきれい

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 それから一週間ほどは、何ごともなく過ごした。かえでのアカウントにも新しい投稿はない。一成は通勤中や寝る前のひとときに彼の写真を眺め、こう考える――話しかけてみようか。今度はもっと個人的なことを訊くのだ。たとえば、そう、好きなものや嫌いなもの、写真以外の趣味、家族構成なんかを。  ――学生さんなんですか?  ――いいえ。  自分がこうしてベッドに横たわり、スマートフォンを見ている間、かえでは何をしているのだろう。  この頃では、考えるのはかえでのことばかりだった。かえでの写真と、彼自身のこと、九田町白志多のこと。  だが実際にはリプライも送らず、時間だけが過ぎていった。  そうして二週めに入った頃、異変が起こった。  帰宅後、いつものようにかえでの投稿を確認しようとして、一成は気がついた。  かえでがいない。  フォローしているアカウントの一覧にも彼の名前はなく、忽然と消えてしまったかのようだった。  相互フォローの関係だったが、解消されてしまったのだろうか。まさか、ブロックされた?  一成はいつもそのSNSをスマートフォンのアプリケーションで見ている。アプリ版を閉じてブラウザ版を立ち上げ、ログアウトした上で検索をかけてみたが、かえでは見つからなかった。つまり、ブロックされているわけではない。  こうなると、考えられることはひとつである。  かえでは本当に消えてしまったのだ。アカウントごと、これまでの写真もすべて。  はっきりそれがわかると、一成は呆然としてしまった。  なぜだ? どうして彼は消えた? いったい何があったのだろう? こちらが何か気の障ることをしたのだろうか。いや、心当たりはない。最初にユーザーネームについて嘘をついたのを別とすれば、無礼を働いたことなどないはずだ。かえでが消えたのと一成は関係がないのだろう。  しかしそれならば、なぜ彼は何も言わずに消えてしまったのだろう?  友人になれると思っていた。もっと親しくなりたかったのに。写真だってもっと見たかったし、なんなら彼自身の話もと考えていたのだ。それなのに、この仕打ちは(こた)えた。  ――かえで。  一成は胸の内で彼を呼ぶ。これはただのユーザーネームだ。いくらでも変えられるもの。けれど、彼の存在を証明するよすがでもある。 「かえで……」  二度めは声に出ていた。このまま終わってしまうなど耐えられそうにない。なぜって……それは……かえでの写真は一成の癒しであり、日々の糧であり、失いたくないものだからだ。  保存した数枚だけでは足りない。もっと見たい。一成はかえでの目で見た景色が見たかった。あの純朴さが恋しかった。かえでの(・・・・)写真でなければ意味がないのだ。  とても諦めきれなかった。仕事の合間、通勤時間、夜と、手が空いた時はスマートフォンに張りついて検索を続けた。その気持ちがなんなのかは考えなかった。  そんなふうに数日続いたある日の昼休み、一成はSNSに九田町の名が含まれた投稿を見つけた。投稿主はその町に住む会社員のようだ。藁にもすがる思いでダイレクトメッセージを送った。 『初めまして。突然すみません。九田町の白志多というところについて知りたいのですが、何かご存じではありませんか?』  相手からの反応はない。こちらは昼休みだが、向こうは仕事中なのかもしれない。待っているうちに昼休みが終わり、仕事をこなしていたら定時を過ぎた。一成は再びメッセージを打った。 『白志多に友人が住んでいるんですが、突然連絡が取れなくなってしまって困っているんです』  今日は残業だった。一成はデスクの上で両手を組み合わせている。  返信が来た。 『初めまして。すみませんが、お力にはなれません。白志多のことは私もよく知らないんです』  この投稿主は女性なのか、男性なのか。いや、そんなことはどうでもいい。一成はこの細い望みに全力でしがみついた。 『どんなことでもいいんです。何かありませんか?』 『何かって言われても。あんなところ、よっぽどの用事がないと行かないと思いますよ』  相手も困惑しているようだ。 『そんなに田舎なんですか? 写真でしか見たことがないんですが』 『白志多に行くバスが一日に数本しかないらしいです。高校の同級生でそこから来ている子もいましたけど、親しくなかったのでよくわかりません』 『そうなんですか……。その人はいまどこに?』 『ですから、親しくないのでわからないんですよ。あまり根掘り葉掘り訊かれても困ります』 『すみません』  一成は率直に謝った。 『ご友人の方、見つかるといいですね』  気のない励ましをもらい、話は終わりだった。収穫はさしてない。白志多は日に数本のバスしか通っておらず、よほどの用がなければ誰も行かないような辺鄙(へんぴ)な土地だということがわかっただけだ。  東京から電車を乗り継いで、さらにバスである。日帰りは厳しいだろう。調べてみるとどうも白志多という地域内には宿泊できる施設がなさそうだった。となると、町の方にホテルを探さなければならない。  ――俺は何をしようとしているんだろう。  一成は自分でも可笑(おか)しかった。こんなことは全くもってばかげている。たかがSNSの知り合いを捜すため、わざわざ遠くまで出かけていくなんて。会えるかどうかもわからないのに。よしんば会えたとしても、きっと怪しい奴だと思われるだろう。  それでも気は()いた。たとえ白い目で見られようと、かえでの無事が確かめられればそれでいいと思った。  明けた翌日、一成は上司の前に立った。  有給休暇の申請に理由は必要ない。建前上はそうなっている。実際には上司を納得させられる理由がなければ、なかなか許可は下りないものだ。  母親が倒れたとか、親戚が死んだとか、一成もよくある言い訳を用意してはみた。ところが、上司に話す段になって気が変わった。この件では正直でいなければならないような気がした。 「課長。すみませんが、来週の月曜と火曜、二日間休ませていただけませんか」  上司は嫌な顔をした。年明けの忙しさが落ち着いたとはいえ、年度末が近い。のんびり過ごしていいとはとても言えない時期であった。  一成は続ける。 「友人と連絡が取れなくなってしまったんです。捜しにいこうと思っています。お願いします、有休を取らせてください」 「捜しにいくって、お前……」  上司は呆れたようだ。  だめか。考えが甘過ぎたのか。一成は唇を噛んだ。それがかえって同情を誘ったのかもしれず、上司はため息をついた。 「どうしても休みが欲しいんだな。仕方ない。だけど、来週はちょっと急だな。再来週なら、なんとか」 「本当ですか? ありがとうございます!」  我知らず、声が大きくなってしまった。  一週間の延期はどうということもない。休みが取れただけでも御の字だ。これで九田町に行って、かえでを捜せる。  月曜と火曜を有給休暇にして、土日を合わせて四日間。白志多は狭い土地だという。四日あれば全戸を回ることもでき、人捜しにも充分だろう。  その日自宅に戻ると、一成はすぐに地図アプリを立ち上げて九田町のホテルを捜した。駅前にピンが立つ。小さなホテルがあるようだ。しかし電話番号がない。ホームページも、旅行サイトへの記載もない。そしてよく見るとこんな文字が書かれている。 『閉鎖中』  なんだこれは。どういうことだ。  どういうことだも何もない。ビジネスでも観光でもあまり使われないような町だ。ホテルが経営していくにも厳しく、そのうちに閉鎖されてしまったということなのだろう。  なおも検索を続けると、駅から離れた地点に旅館が見つかった。こちらもホームページはない。予約を入れようと思い電話をかけるが、何度かけても繋がらなかった。  まるで、拒絶されているかのようだ。  一成は検索を再開する。白志多には宿泊施設はないが、集会所があった。なんとか頼み込んでここに泊まらせてもらおう。もうそれしかない。  ――かえで。  なぜ彼がアカウントを消したのか、なぜ何も言わずにいなくなってしまったのかだけは、なんとしてでも知りたかった。
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