第一章 とてもきれい

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第一章 とてもきれい

 SNSにはさほど興味はない。まして、たまたま流れてきた写真を目にして、その投稿主にコンタクトを取ろうとする――なんて。  一成(いっせい)がその画像を見たのは、一月上旬の日曜日だった。年明けにも関わらず仕事が忙しく、連日深夜帰宅が続いていた。忙しいとストレスが溜まる。たとえば電車で誰かと肩がぶつかったり、いつも飲んでいるミネラルウォーターがたまたま売り切れだったりと、どうでもいいことにいちいちイライラしていたのはそのせいだろう。寝不足と、疲れの蓄積。思考は悪い方悪い方へと向かっていく。  スマートフォンを弄っている最中も眉間に皺が寄っていて、それを自覚しているのにどうしようもなかった。そんな状態だったから、ふと見つけた写真の清らかさにかえって衝撃を受けた。  川の写真だった。水面(みなも)が太陽の光を受けてきらめき、水飛沫と反射が幻想的かつ明るく画面を彩っていた。妖精か、あるいは妖怪でも出てきそうな、現実離れした風景だった。  キャプションにはこう書かれている。 『とてもきれい』  どことなく、たどたどしい印象を受ける文章だった。  一成は投稿主のホーム画面を開いてみた。どうやら彼――か、彼女かは知らないが、ともかく投稿主は写真を撮るのが趣味らしい。川の写真が何枚かと、空、そして人気のない水田。田舎のようだ。最初の投稿まで遡っても二十枚あるかないかで、比較的新しいアカウントらしかった。  どの写真にも、ひとことふたことの文言が添えられている。「とてもきれい」「滝」「かかしくん」「きらきら」――稚拙ともいえるキャプションしかついていないのは、この景色を前に言葉を失ってしまうからだろうか。この美しさ、爽やかさを前に、一成だってきっと何も言えなくなるだろう。 「いいなあ」  一成は呟いた。  投稿主のユーザーネームは「かえで」。なるほど、写真にぴったりの名前だ。  少し考え、一成はかえでにリプライを送った。 『初めまして。写真拝見しました。きれいなところですね。何枚か保存しても構わないでしょうか』  かえでからは、しばらく後に返信があった。 『初めまして。話しかけてもらったの初めてなので嬉しいです。僕のうちの近所です。保存して大丈夫です』  僕、というからには、男性なのだろうか。写真とともにあったものに比べ、意外とまともな文章だった。  一成は数枚の写真を保存する。殺風景だったスマートフォンのギャラリーが、急に色彩を帯びた。  かえではこの写真を自分の家の近所だというが、こんな景色を毎日眺めていられるのならばストレスも少ないだろう。いくつくらいの子なのだろうか? いや、キャプションの感じから勝手に若いと思い込んでしまったが、案外自分と似たような年頃なのかもしれない。  が、どうしても年上とは思えなかった。  かえでの住まいほどではないにせよ、一成も田舎の出身である。のどかな風景や、ゆったりと流れる時間が恋しくなった。大学進学に伴い上京した時には、田舎に帰りたくなるなどと思いもしなかったが。  故郷を離れて十年、一成は二十八歳になった。仕事に追い立てられ、今年度はろくに休みも取っていない。久しぶりにしっかり休んで、故郷に帰るのもいいな――などと、珍しくも考えてしまった。  しかし、どうせ休みを取るのなら、故郷ではなくここ(・・)に行ってみたい。かえでの住む、この美しい場所に。  一成はかえでをフォローした。  思えばこの時、なぜフォロー外のかえでの投稿が流れてきたのだろうか。それはいくら考えてもわからなかった。かえではフォロー・フォロワーともにひと桁で、一成と共通した者はいなかった。何かの偶然が重なったのだろうが、不思議なできごとではあった。  そのため、後になってあれは運命だったのだと言われた時には、否定できなかった。そんなはずはない……そんなはずはないのだが、どこかでそうかもしれないと思った。なぜならこの時にすべてが始まったからである。  たった一枚の写真で。小さな偶然の一瞬に。
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