第二章 来てくれてありがとう

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第二章 来てくれてありがとう

 自宅の最寄り駅から電車に乗り、途中で乗り換えて三時間。一成は九田町の駅に降り立った。駅前は小さなロータリーになっており、花壇が作られているが、通る人は少ない。  駅前にあったはずの小さなホテルは、自動ドアにガムテープが貼られていた。見るからに古く、老朽しているのがわかる。中は真っ暗だった。閉鎖されて長いのだろうと思われた。  駅舎にバスターミナルが併設されている。数人の乗客がベンチに座っていた。一成はスマートフォンのナビアプリを確認しつつ、「六」と書かれた乗り場を目指した。  停留所掲示の路線図を見ると、白志多の文字は一番端にある。バスで三十分程度らしい。時刻は正午を回ったところで、出発は一時間後だ。それを逃すと夕方まで便はない。SNSで聞いた通りである。  腹の虫が空腹を訴えていた。幸いにしてロータリーの正面に蕎麦屋があり、人影も見えた。のれんをくぐると、無愛想なおばさんが出迎えた。  一成はざる蕎麦を頼んだ。味は悪くない。つゆが美味かった。この辺りは水がいいのかもしれない。  土曜の昼時だというのに、客はまばらだった。一成は食べ終えてからおばさんを捕まえた。 「ちょっとお伺いしたいのですが、白志多というところはどういう土地かご存じですか?」  おばさんはむっつりしたまま答える。 「白志多? なんにもないところですよ」 「おいでになったことはありますか?」 「あるわけないでしょう、あんなところ」  SNSでも「あんなところ」だった。九田町の人間にとって、白志多はいらない場所らしい。 「ここに白志多出身の人が来たことは?」 「そりゃあ、あるでしょうよ。だけど、いちいちそんなこと訊きませんからね。どこ出身だろうがこっちも気にしませんよ」  おばさんはうるさげに手を払って行ってしまった。  会計を済ませ、一成はバスターミナルに戻った。六番乗り場にほかの乗客はいない。やがてやってきたバスに乗り、運転手とふたりきりの道のりが始まった。  しばらく走って市街地を抜けると、バスは谷へ下っていった。左右はうっそうと茂る森だ。木々が途切れたと思ったら川が現れて、一成ははっと息を呑んだ。  これは、かえでの写真にあった川ではないのか。  川幅は三メートルほどで、水は底まで澄みきっていた。あいにく今日は曇天のため、かえでが撮ったような踊るきらめきはない。  バスは橋を渡り、少し行って右に曲がった。広い空き地めいたスペースである。ここが停留所らしい。「白志多」の表示を見て、一成はバスを降りた。バスの方は扉を開けたまま動き出す気配がない。時刻表によると、十分後に町に戻る便が出るようだ。  なるほど。つまりはここが道の終わりで、転回場なのだ。白志多から先はない。これではよほどの用がなければ立ち寄らないと言われるのもわかる。  一成は周囲を見回した。畑と家。それしかない。街灯もぽつりぽつりとあるだけのようだ。早めに集会所を探して交渉しなければ、暗くなったら身動きが取れなさそうだ。  スマートフォンを手に歩き出す。こんなところでも電波は来ている。画面と見比べながら進んでいくと、畑で作業中の男を発見した。 「あの、すみません」  一成の声を聞き、男は腰を伸ばした。五十がらみの、いかつい顔をした男だった。 「東京から来たんですが、ここにはホテルや旅館みたいなものはないんですよね?」  しかし男は答えず、黙って作業に戻った。  一成はあっけに取られた。目が合ったのだから、聞こえてはいるはずである。それなのに無視されようとは思いもしなかった。  めげてもいられない。一成は気を取り直し、先程よりも心持ち声を張り上げた。 「泊めていただきたいんですが、集会所にはどなたかいらっしゃいますか?」  結果は同じだった。返ってくるのは重たい沈黙のみである。  最初の尋ね方が気に障ったのか。田舎だと馬鹿にしていると取られたのかもしれない。一成はそれ以上は質問を重ねる気になれず、軽く会釈だけしてそこを離れた。  集会所もバス停から割合に近い。普通の住宅とそう変わらない、ただの一軒家である。「白志多集会所」の表札だけが目立っている。そして「CLOSED」の札がかかっていた。中の明かりは消され、人の気配もない。玄関前に植木鉢が置いてあり、きちんと手入れされているところを見ると、使われてはいるようだが。  それ以上どうしようもなく、一成は道に戻った。五分ほど行くと民家に行き当たった。平屋の大きな一戸建てである。集会所より数段立派な家だ。四十代半ばとおぼしき男が庭に出ており、ホースで水を撒いていた。 「あの、すみません」  一成は片手を口元に当てて話しかけた。  相手の男は手を休め、いかにも胡乱(うろん)げに目を(すが)めた。 「あちらの集会所を開けていただくことはできますか? もしよろしければ、今夜泊めていただけないかと思いまして……」 「集会所は開けないし誰も泊めない。夕方にバスが来るから、それで帰れ」  男はそれきり家に入ってしまった。  一成は立ち尽くす。畑の男といい、いまの男といい、白志多の人々はいったいどうなっているのだろうか。返事もしない、帰れと突き放す、拒絶する。よそ者と関わるのを避けているのだとしても、あまりにひどい。こんな態度では「あんなところ」と蔑まれるのも無理はない。  かえでの写真ではあんなに輝いて見えたのに。いま一成が見る景色も美しく、のどかだというのに、ここに住む人たちの冷たさはどうだ。  だが、怒っても仕様がなかった。泊まるところがないとすれば、いまの男が言った通り夕方のバスで帰らなければならない。わかった。ならば、それまでの時間とにかく町内を歩き回ってみよう。きっと何かが見つかる。かえでに繋がるものが。
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