或午后のひととき

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 晴れているので、庭のテーブルで本を読む。  ふと目を上げると、ひとひらの公孫樹が目に入る。テーブルに落ちた公孫樹の葉に刻まれた精巧な皺。近くで見ようと手を伸ばしたら、風に吹かれて地面に落ちた。  芝生に落ちた松葉の上を歩く蟻の銜えた草の実。水を吸い込んだやわらかな土が黒い。  私はまた本の世界に戻る。    途中、名付けようのない衝動を覚え、落ち着こうとボーンチャイナのティーカップを手に取る。紅茶を透かしてアラベスク模様が見える。一口含むと、たちまち馨しい香りに包まれる。  この感情はなんだろう。これまで知らなかった感情、どこにも分類できないおののき。新しい感情をおぼえている時、私はこれまでになかった意識の状態にいる。これまで知らなかったモードで世界を見ている。    ふたたび本を開く。影がくっきり落ちて、紙は発光し、私は本を読むことができない。晴れている。晴れている。光。風が吹くので影が揺れる。何の影? この木の名前を私は知らない。  過剰だ。複雑すぎる。今この庭を味わっているのは私だけなのに。あまりに精妙なこの庭。  椅子を日陰に移動させ、私はふたたび本の世界に戻る。  結局、「愛憐」まで読んで本を閉じる。美しすぎて読み進められそうにないから。  この詩だけが素晴らしくて感動したのではない。この詩は詩集の十七番目に位置するが、それまで私の身内で育っていた感興がここで閾値を超えたのだ。  『萩原朔太郎詩集』を読んでいて、美がどれほど高い抽象性を持って人を打つかを思い知らされた。私の持っている感情の内に分類することができない、名前のつけられない衝撃。涙を流すことなど出来ない。溜息一つつくことが出来ない。ただ息を詰めて、詰めて、読み進める活字によって自分の感覚が拡張されるがまま、震えていた。
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