その物語のはじまりを僕は知らない

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 本校舎に戻って鯉ヶ沢と階段の前で道をわかれる。 「じゃあ、僕は上の階だから、ここで」  そんな風に告げたとき、上の階の踊り場に慶尚が現れた。僕を探していたのか、こちらを見るなり安堵したように息をつく。 「おヒメ、やっと見つけた。次の授業の教室だけど、いつものところじゃなくて変更になったから」 「あ、そうなの。ありがとう、慶尚。すぐ行くよ」  慶尚の元へ向かおうと階段に足をかける。そんな僕を鯉ヶ沢が引き止める。 「センパイ。あんた、お姫様って呼ばれてんの?」 「呼ばれてないよ。誰が姫だよ。僕は男だっての。あいつは友人だから。茶化して呼ぶのは許してるけど。ああ呼ぶのはあいつだけ。……なに?」  怪訝な目を向ける。鯉ヶ沢は僕をまじまじと見つめていた。面白がっているという感じはないのだが、なにか興味深いものでも見るような目をしている。  そんな鯉ヶ沢が小さく頷いた。 「いや、なんか納得っていうか。可愛いなぁ、って」 「はあ? なに変なことを言ってるの。だから僕は男だって……! ハァ。もう、いいから。さっさと教室に戻りなよ。次の授業の準備とかあるだろ」 「おれのことを心配してくれるんです? 優しいんですねえ、姫さんは」 「だから……! その呼び方っ」 「あんたのこと、気に入ったんで。また暇なときに相手してくださいね、姫さん。それじゃあ」  引き止める間もない。鯉ヶ沢は身をひるがえしてさっさと自分の教室のあるほうへ去って行った。  もう一言ぐらい鯉ヶ沢に文句を言ってやりたいところだったのだが、待っていた慶尚が痺れを切らす。 「おヒメ、時間がない」 「ごめん、慶尚。今行く」  急いで階段を昇って慶尚に追いつく。  振り向いていた慶尚が僕に視線を落とす。 「さっきの。誰? あいつ。後輩? 初めて見る顔だけど」 「後輩だよ。えっと。転入してきたばかりらしいね。藍染先輩に誘われて会いに行ったんだけど。先輩が期待するような人物じゃなかった、というのが僕の見立てさ」 「藍染先輩関連ってことは、ひょっとして新しいクイーンの候補だったりする?」 「僕もそうだと思っていたんだけどね。見たらわかるだろう。見当違いだよ」  僕は首を竦める。すると慶尚は少し違った反応をした。 「まあ。クイーンは外見も重視される傾向があるから。そう言った意味じゃさっきの後輩は見目麗しいとは、ほど遠いかもしれないけど。でも。言うほど悪くもないとも思う」 「ええ? そうかなあ?」 「それに。なんか、おヒメが好きそうなタイプだったな。楽しそうにしていたし」 「僕が? なにそれ。そんなわけないだろ。知り合ったばかりだよ」  それこそありえない、と僕は妙に焦って必死に否定する。なぜか心中がざわついて耐えられなくて、話題を変える。 「そんなことよりさ。次の教室が移動になったんだろ。一度教室に戻って準備しないと」 「ああ、教室には戻らなくていい。外原が準備して先に行っているから。このまま向かおう。あと一分で始まる」 「それ、ギリギリで間に合わないパターンだよ」 「大丈夫。次の教室はすぐそこだから」  階段を駆け上がり目的の教室がある階に出ると、廊下は慌ただしく行き交う生徒たちでごった返していた。誰もが時間に追われるみたいに急いた顔をしている。  彼らと同じように次の授業のことを考えながらも、僕の脳の大半は別の考えごとで占められていた。  鯉ヶ沢柊人。僕のことを気安く『姫さん』などと勝手にあだ名で呼んだ後輩のことだ。 ―あれが。僕が好きそうなタイプだって……? 慶尚の奴。なに言ってんだろ。そんなわけないじゃん。神出鬼没であんな軽そうでわけわかんない後輩。失礼な奴だし。話したのだってまだ二回目だし。僕があいつと話したのも、例のことがあるから探りを入れるためで。別に。好んで近づいてなんか、ないんだからな。  妙に胸の内がざわざわする。そんな落ち着かない気分のまま次の教室に着くと、先に待っていた歩武が心配した顔で近寄ってきた。 「遅いぞ二人とも。もう授業が始まる。急げ」  間を置かずに午後の授業の開始を告げる本鈴の音が、校内に響き渡る。
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