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一瞬、言われた意味が理解できなかった。呆けた顔をしているであろう僕に、鯉ヶ沢が親切にも携帯電話をこちらに向けて時刻の表示を見せてくれる。
まるで信じられない。そんな気持ちで僕はその表示を食い入るように見つめる。
「完全に寝過ごしているじゃないか。どうして起こしてくれないわけ」
「え? だって姫さん、なんか疲れてるって感じで眠ってるもんだから。そんなの起こしちゃ悪いでしょ。あ、授業のほうなら大丈夫みたいですよ。始まる前に、この間の慶尚? って先輩が来て、姫さんが寝ているのを見て。『じゃあ体調が良くなくて保健室に行ったってことにしておくから』って言ってたんで」
「慶尚が? 起こしてくれても良かったのに」
「次の授業はそんなに重要な授業だったんです?」
「そういうわけじゃないけど。探しに来てくれたんじゃないのかな、って」
「たぶんそうでしょうね。けど、よく寝ていたから。気を遣ってくれたんですよ、きっと。仲が良いんですね、あの人と」
鯉ヶ沢は携帯電話をズボンのポケットに再び押し込んで、少し視線を空へ上げた。僕もつられたようにそちらへ目を向ける。空はいくつもの細長い薄い雲が流れていた。日射しも秋にしては暖かい。これで風が冷たくて気温が低ければ慶尚も、きっと鯉ヶ沢も。寝てしまった僕を強引にでも起こしていたはずだ。
確かに気を遣われている。そのことを嬉しく思うと同時に、一つの疑問を抱いた。
「まあ、慶尚は付き合いが長い友人だし。……あれ? じゃあ、鯉ヶ沢も同じような理由で保健室に行っていることになっているの?」
「まさか。おれはただのサボりです。体調も万全だし」
「へ? 良いわけ、それで。僕に付き合っちゃって」
「問題ないでしょ。授業の内容は後でクラスの連中に聞いておきますし。それになによりおれは。姫さんが眠っているところを邪魔したくなくて、見ていたかっただけなんで。自分の意思でサボりたかったんですよ」
鯉ヶ沢が笑顔を向ける。見守るような優しい目をしているように見えて、僕の鼓動は少しばかり早くなる。
「悪趣味だな。寝顔を見ていたいだなんて」
「そうですか? そんなに特別な嗜好じゃないと思いますけどね」
首を傾げた鯉ヶ沢は今度は苦笑して、自分の頬を指でかく。
―僕を起こさないためにわざわざ僕に付き合って、サボったりして。お人好しか。
悪態をつく。それは照れ隠しだ。なぜだか鯉ヶ沢の笑みが眩しく思えてうろたえてしまう。僕は誤魔化すように視線をさまよわせ、そしてそれを見つけた。
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