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その日の授業は滞ることなくすべて終え、体育の授業もそつなくこなした。
放課後。慶尚に時間をもらい、昨日休んだ分の授業のノートを写させてもらっているときのことだ。
自分の席ではなく僕の前の席を陣取っていた慶尚がおもむろに口を開いた。
「で、どうしてそんなことになっているわけ?」
歩武は警備班員の集まりがあるとかでこの場にはすでにいない。B組の教室には僕と慶尚の二人だけだった。
なんの前触れもなかった慶尚の突然のその発言に、僕は心臓をドキッとさせる。
「なにが」
「一昨日までは足にそんな痣はなかったと思うけど。いつからあるの? それ」
じ、っと慶尚の視線を感じる。視線の先は僕の足首だ。
慶尚の言うとおり、僕の足首の辺りには痣が浮き上がっている。昨晩ははっきりと色濃く足に現れた痣だったが、今朝は一見してわからないほどに色が薄くなっていた。これなら誰にも気づかれることはないだろうと、普段どおりに僕はくるぶしが見える短めの靴下を穿いてきたのだ。
まさかそんな些細なことに気づくなんて、と動揺してしまう。
適当に誤魔化そうかとも考える。だが自分の知る限り、慶尚はそういうのが通じる相手ではない。それに僕が信頼している友人の一人だ。彼に隠し事はしたくない。
僕は観念して、一つ息を吐き出す。
「めざといなぁ。その眼鏡、実は千里眼の機能とかも備わっているんじゃないの?」
「茶化す余裕はあるんだ」
「ないよ。本当は、誰にも知られたくない案件」
「了解。で、なにがあった? 一昨日の儀式に関係があるんだろう?」
慶尚がいきなり確信をついてきた。さすがだな、と僕は肩を竦める。
「なんで。そう思うの」
「今朝から。やっぱり様子が変だと思って。なんかつくろってる感じがあるし。いつもの儀式の後なら一日休みをはさんでいるから、すっきりした感じで登校してくるだろう。疲れも大抵みられない。けど、今日は違った。だから観察してみた」
「それで、結果は」
「体育のときに柔軟体操があっただろう。ペアだったし。その足首の痣が見えた。妙だと思って。これまでにそんなわかりやすい痣があったなら、とっくに気づいていたはずだからな。それでちょっと考えてみた。体に異変が起きていることと、儀式は関係があるんじゃないか、って。もしかして、儀式の場でなにかあった?」
「っ!」
息を飲んだ。的を射ている。なんて鋭い勘をしているのか。内心で称賛する。
押し黙ると、僕のその様子で自分の考えが間違っていなかったと確信したのか慶尚が、やっぱりそうか、と納得したように呟いた。
「……うっかり怪我をしたってわけじゃないんだろう? その様子だと」
問われて、頷いた僕は声をひそめる。
「慶尚、このことは」
「誰にも話すつもりはないよ。外原にも話してない。他の誰にも。まだ気づかれてもないんじゃないかな。それで実際は。何があったわけ」
「それなんだけど、さ」
僕は一昨日の儀式の最中にあったことを打ち明けた。儀式の邪魔が入ったこと。そのことで儀式が失敗に終わってしまったこと。その後自分の体に起きた異変のこと。そして体の異変は儀式の失敗によって起きたものであることを、慶尚に洗いざらい話した。
慶尚は僕が話し終えるまで黙って聞いていた。気難しい顔をして、いつものように少しずれた自分の眼鏡を定位置に持ち上げる。レンズの奥から真剣な瞳がこちらを見ていた。
そんな慶尚が口を開く。
「自分だけは大丈夫、だなんて。のんきに考えてはなかったと思うけど。めったに起きないことが起きたわけか」
―自分だけは大丈夫。
その言葉にドキッとした。胃の辺りがキリキリと痛む。
心のどこかでそう思っていた。一昨日の夜に実際にそうなるまでは。あんなことが起きるなんて思いもしなかった。
だから今は身を持って実感していて、苦い思いを抱いている。
「実際になにか起こるなんて想像もしていなかったんだ。現実味がなかったっていうか。それで焦ってさ。とりあえず、すぐに。儀式が失敗したことは理事長に伝えた。電話が繋がらなかったから、メールで報告になったけど。今は連絡待ちの状態だよ」
「それが最善だな。最高責任者である学院の理事長なら、儀式の失敗で起きる事態もその対処方法も知っているはずだからな。指示を仰ぐのが手っ取り早い」
「僕もそう思ったんだ。他の誰かに相談するわけにもいかないし、さ」
「当事者でないおれたち一般生徒には儀式に関することはなにも知らされていないからな。過去に一例だけ儀式を失敗したクイーンがいて、内容は具体的には伝わっていないけど大変なことが起きたらしいってことは周知で。だからみんなを不安にさせないために儀式の失敗があったとしてもクイーンは口外しない、って。前におヒメ言ってたよな」
「うん。気づかれちゃったけどね、慶尚には」
「見ていればわかるんだよ。おヒメの異変くらいは。だから。なにかおれにできることがあれば手伝うから、言って。見捨てる気はまったくないから」
「うん。ありがとう、慶尚」
慶尚に笑みを向ける。これが精一杯だった。気を緩めれば今にも表情が崩れてしまいそうになる。
本当はすでに理事長からのメールの返信で儀式の失敗の対処方法はわかっていた。いくつか選択肢があったが、僕はそのどれを選ぶべきか悩んでいた。
―たぶん、どれも選べない。
そしてこれは、誰かに相談することができない。僕には時間がないというのに。それでもその対処方法はすぐに決断できるようなものではなかった。
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