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翌日の昼休み。一年生の教室が並ぶ校舎の一階の廊下では、ちょっとした騒ぎが起きていた。
鈴なりの一年生の中心にいるのは藍染先輩だ。興奮状態にある一年生たちは競って藍染先輩に話しかけている。先輩の気を引くために誰もが自分をアピールしている。
藍染先輩は周囲に群がる彼らに丁寧に対応をしているようだった。さすがだ。あしらい方がうまい。下級生とは一定の距離を保っていて自分に触らせることはさせない。上級生の威厳とカリスマ性がうかがえる。
一年生たちの気持ちはよくわかる。藍染先輩はこの学院ではアイドル的な存在だ。面倒見が良い性格は学年問わず知れ渡っているし、なによりその容姿はこの学院では一際目立つ。
憧れないわけがない。
僕は同じ役目を持つ同志のようなものだから傍にいることが周囲からは許されているが、もしそうじゃなくあの人に気に入られでもして傍にいることになったら。間違いなく藍染先輩を慕いすぎて崇拝までするファンの羨望の的になり、妬みを買い、穏やかでない学院生活を送るはめになる。
想像しただけで身震いしてしまう。
同じクイーンで良かった、と合掌する。
そして心の中で謝罪した。
―先輩、ごめんなさい。来るのが遅くなっちゃって。
決して、こうなることが予測できたからわざと遅れてやってきたというわけじゃない。
僕は廊下の曲がり角からそっと先輩とそれを取り巻くその様子を覗き見ていた。
午前中の授業が終わってすぐに教室を飛び出し、僕は学院内にある購買店に向かった。
昼食の菓子パンと飲み物を購入するためだ。購買店には昼休みのこの時間、地元の商店街にある角屋のパン屋から配達されたパンが並ぶ。その店のパンはおいしいと評判で、僕も気に入っているのだが、昼休みが始まると同時に買いに行かないとすぐに売り切れてしまう。
学院内にも学生寮にも食堂はある。そちらを利用することもあるが、昼休みに予定が入っているときは手軽に昼食をとるほうを選ぶ。
そんなわけで購買店を利用して、無事に目的のものを買い終え、それらは今僕の腕に抱えられた紙袋の中に収まっている。
そして遅れてやってきた僕は先輩と合流する機会を逃し、現在は遠目から見守っている状態だ。
藍染先輩の周囲を探る。一年生は多くいるが、先輩の様子から、目的の転入生の姿はないように思えた。僕が思い浮かべているあの男の姿もない。
―先輩のことだから、転入生のクラスは把握していると思うんだけど。
僕が首を傾げたとき、不意に背後から声をかけられた。
「ねえ、あんた。こんなところでなにしてんの?」
「―っ!」
飛び上がるほど驚いた。とっさに上がりそうになった声をこらえる。
声をかけてきた相手は僕を通り越し、藍染先輩がいるほうを覗き見た。
「あー、あれか。なるほど。あんたひょっとしてあの美人な先輩のファン? だったらこんなところに隠れてないで、あんたもあの集団に混じってみればいいのに。あんたほどの容姿なら絶対見初められるよ? 可愛いんだから」
「な……っ!」
カッと頭に血が上った。勢いよく振り返る。
見知った顔の男がそこにいた。湖で儀式をぶち壊してくれたあの男だ。高等部の制服を着ている。やはり学生のようだ。
―こいつ、さりげなく可愛いとか言った? なんなの、いきなりっ。
やっぱり失礼な奴だ。ムカムカして腹が立ってくる。
天から与えられた僕の可愛さは僕が一番よく知っている。今さら面と向かって言われたところで舞い上がったりはしない。
けれど、新鮮な褒め言葉だ、とは思った。
僕だって男だ。いくら花のように愛らしく可愛くても、女の子のように容姿を直に褒められることは多くない。
―って。それに深い意味なんてなくて言ったんだろうけど。……ああ、恥ずかしい。
急に顔が熱くなる。社交辞令に決まっている男の言葉を一瞬、真に受けてしまった。
僕は気を取り直して一つ息を吐き、その男を睨みつけるようにゆっくりと見上げる。
「……見つけた」
「え? え? なに?」
「あそこにいる藍染先輩は、一年生に入ったっていう転入生に会いに来たんだよ。それってお前のこと?」
「あの美人さんがおれに会いに? なんで? 確かにおれは転入してきたばかりだけど」
彼が不思議そうに首を傾げる。確証を得た僕はやや前のめりになって男に詰め寄る。
「じゃあ、やっぱりお前がそうなんだな。僕も同じ目的で会いに来た。確認したいこともあったし」
「あ、それって一昨日の山でのこと? だったら安心していいよ。あんたのあんな姿、見たことは誰にも言ってないから」
僕の耳に口を寄せた男が、こそっとささやく。
瞬間、山中でこの男に裸体を見られたことを思い出した。
「ちが……! あれは別にどうでもいいんだよっ。いや、誰かに話されても困るけど! 黙っていたのは褒めてやる。とにかく! 転入生っていうのがお前だって確認できたからそれでいいんだ。それだけ! そのうちまた、今度は先輩と出直してくるから」
早口で告げて体を反転させて、この場を一刻も早く立ち去ろうとした。居心地が悪い。この男と話していると妙に心が乱される。
男の脇をすり抜けようとしたとき、不意に僕の肩を男が掴んだ。
「ちょっと待って、あんた! 名前、まだ聞いてない。センパイ?」
「そうだよ。二年B組。姫月智洋。もういい?」
「まだ。おれは鯉ヶ沢柊人。一年C組です。センパイ、その腕に抱えているの、ひょっとして昼食? お昼ご飯まだだったりします?」
「これからだけど」
「だったら一緒に食べよーよ。おれもまだなんだよね。弁当持ってくるから、どこか落ち着ける場所を知っていたら教えてくれません?」
「なんで、僕が」
「いいから、いいから。校内を散策してみたいし。じゃあここで待っていてくださいね」
「ちょ、ちょっと待ってよ。僕はまだ、一緒に行くなんて言ってないだろ」
鯉ヶ沢は僕を置き去りにしてさっさとこの場を離れる。隠れていた僕は追いかけることもできず、残されて立ちつくす。
待っている義理はない。そう思うものの、考えを巡らせているわずかな間に弁当を持った鯉ヶ沢が戻ってきてしまった。完全に立ち去るタイミングを逃してしまう。
残っていた僕を見て、鯉ヶ沢が嬉しそうに笑みを見せた。
「じゃ、行きましょうか」
そう促されて、仕方なく、不本意ながら鯉ヶ沢と昼食をともにするために僕はこの場を後にした。
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