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この学院では昼食に弁当を持ってくるのは非常に珍しい。そんな鯉ヶ沢の弁当の中身は自身の手作りのものだった。
本人いわく、ご飯は詰めただけだし、卵は焼いて巻いただけ。ソーセージは軽く炒めておかずやら野菜やらは冷凍食品で自然解凍をしたものだという。手軽に誰でも簡単に作ることができると鯉ヶ沢は言うが、普段から料理をしない僕には作ることはできないし、卵焼きなんかは形が素晴らしい出来栄えだと内心で思った。
使用されていないときであれば、材料を持ち込んで学生寮の食堂の調理場を借りて調理をすることは可能だ。けれど普段から料理をする頻度が高い、料理部に所属している学生は校舎にある家庭科調理室を使用するので食堂の調理場は使わない。
学生寮の調理場を借りてまで自分で料理がしたいと思っている人間には、僕はまだ遭遇したことがない。鯉ヶ沢が初めてだった。
鯉ヶ沢はまだ誰も起きていない早朝に調理場を借りて弁当を作ったようだ。この男がそれをする理由。それは好きなときに好きな場所で好きな物を食べることができるから、だそうだ。前の学校に通っていた頃から自分で弁当を作っていたらしい。
意外な特技だ、と驚いて賛辞を言葉にすると、彼はわかりやすく嬉しそうな顔をした。
人気のない場所を探して、僕と鯉ヶ沢はクラスの教室がある本館ではなく、専門科目や演習などを行う実習棟の屋上にたどり着いた。午後の授業を行う教室からは遠いが、ここなら他の誰かと出会う確率は低い。
今は十月の月初めで、気候は悪くない。雨が降る気配もまったくなく、少しばかり薄い雲があるくらいで、空は澄んだ青色をしている。風があるとほんのり肌寒く感じるけど、たいしたことはない。
コンクリートの床に直に座って空を見ていた。のどかだ、と普段なら穏やかな気持ちで思うところだが。生憎と、隣にいる相手のせいで心の中はざわついている。
鯉ヶ沢は僕の気も知らず、横に座ってのんきに自分の弁当のおかずをすすめてくる。
「あ、食べます? タコさんウィンナー。ちょっと焦げていますけど」
「いらない。自分で食べなよ」
「そう言わずに。このタコのウィンナー、実は中にチーズが入ってるんですよ。おいしいよ?」
「チーズ……」
「いります? はい、どーぞ」
ウィンナーを口元に差し出される。僕はためらったものの、その食欲をそそる匂いには勝てず、結局口を開けてしまった。
ウィンナーに罪はない。塩コショウの加減もチーズも抜群にうまい。思わず味わって食べてしまうくらいに上出来だ。
「ね、おいしいでしょ?」
鯉ヶ沢にそう訊かれて、僕はもぐもぐと口を動かしながら頷いた。
だがしかし、こんなことでほだされたりはしない。僕はあさっての方向を見ながら、自分の昼食のパンをひたすら食べることに集中する。
ふと鯉ヶ沢が話しかけてきた。
「センパイ。まだ礼を言ってなかったと思うから。言っておきますね。あの晩は道に迷っていたところを助けていただいて、ありがとうございました。おかげさまで、あの後無事に学生寮に着けたんで。本当に助かった」
ニッ、と笑顔を向けてくる。この男は笑うと目が糸のように細くなる。なにを考えているのかわからない笑みを浮かべることもあるが、今は純粋に喜んでいるような笑みを見せられて、僕の心臓はドキリと跳ねる。
妙に鼓動が速くなる。例の件を黙っているから、後ろめたい気持ちが胸の内にあるからだろうか。そわそわする気持ちを押し隠して、僕は鯉ヶ沢を横目で見る。
「それは良かった。せっかく道案内をしたっていうのに、迷われたら善意が無駄になるからね。それで、鯉ヶ沢はどうしてあんな山中に迷い込んだわけ? 最寄り駅から学院までは直通のバスがあるんだから。迷うはずはないんだけど」
「え? バスなんてありましたっけ? おれ、それに乗っていませんよ?」
「はあ? じゃあまさか。駅から学院まで歩いてきたって言うわけ? そりゃ歩けない距離じゃないけどさ。かなり時間はかかると思うんだけど」
「日が暮れてあの時間になるくらいには、結構歩いた気がしますね。本当に。たどり着けて良かった」
のんきに鯉ヶ沢は言う。僕は呆れて言葉もなく鯉ヶ沢を眺めた。
そうだった。この男はあんな時間に山中に迷い込んでいたのだ。普通なら、と常識で考えても仕方がない。
―変な奴。
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