その物語のはじまりを僕は知らない

1/49
前へ
/49ページ
次へ
 これが、僕と鯉ヶ沢柊人(こいけざわしゅうと)のはじまりの物語である。  その日の朝は目覚まし時計の音が鳴る前に目が覚めた。普段と変わりなく視界は良好。意識がはっきりしていて頭の中もすっきりしている。体のだるさもない。心地の良い目覚めだった。  夜には浄化の儀式があるからと、昨晩は早くに就寝したのが良かった。その晩の入浴も時間をかけてゆっくりとすることができたし、体が冷めないうちに布団にも入った。就寝する前にはきっちりと髪を乾かすこともした。だから毎朝整えるのに少しばかり時間がかかるこの猫っ毛も、今朝は寝癖もなくて気分はいい。  朝食は好きな物を食べて、昼食は軽めに済ませた。晩ご飯は抜かなければいけなかったけれど。儀式が終わってから大好きなスイーツを食べると決めていたので、少しの間の空腹なんて我慢するのはたやすい。儀式の後はいつものように熱いシャワーを浴びて湯冷めしないうちに布団に入って眠って、休みをもらっている明日は学校を休んでのんびりと過ごす。  そう予定していた。いつものように。本当に、良い一日だったんだ。 ―今、こうなるまでは。  S県N市の北部、とある山中。ここに全寮制男子校である私立聖・泉ヶ原(せい いずみがはら)学院高等部がある。人里離れた場所に建つこの学院には一部の人間にしか知らされていない秘密の制度があった。  クイーン制度。月に一度、月末に、人間の体内に蓄積された穢れを浄化するシステムである。  国土で生活をするすべての人間は、目には見えない穢れと呼ばれる負のエネルギーを毎日生産してその身にため込んでいる。穢れは生きている上で必ず発生するもので、運動や喜怒哀楽といった感情を起こすことで体外へ発散していくのだが、多くはその身にとどめてしまう。穢れを体内にため込み続けると人は自分の感情を管理することが困難になり、思考を巡らす力が衰え、いさかいや争いが起きやすくなる。  たまった穢れを定期的に、人体から一斉に祓うことを秘密裏に行っているのが政府の指定機関である聖・泉ヶ原学院高等部の選定された学生たちである。学院では毎年全国から一人、選定をしてスカウトをし、穢れを浄化する儀式を行う人材を確保している。  穢れを浄化できる人間にはいくつか条件があって、年齢が十代後半の男子であること。生まれてからこれまで人やその他と唇での接吻をしたことがないこと。他人と性交渉をしたことがないこと。そして儀式を行う学生の身である間はそれらを継続して守り、行わないこと。  現在、儀式を行える学生は二名だ。一年生は空席になっていて、三年生の藍染祥生(あいぞめ しょうい)先輩と、そして二年生である僕、姫月智洋(ひめつき ともひろ)がその役を担っている。  儀式を行う役の学生はクイーンと呼ばれる。  その名の由来を僕は知らないのだが。クイーンと聞いて連想するのは、頂点に君臨する美しい女王、そんなイメージだ。  僕の想像が当たっているかどうかは定かではないけれど、歴代のクイーンは見目麗しい者が選ばれていたようで、僕も藍染先輩も間違いなくその部類に属していると思われる。  そして月末恒例の儀式は現在、僕と藍染先輩が交互に行っていた。九月下旬は僕の担当の月で、その儀式の最中に事件は起きた。  儀式が行われる晩は基本的には学生は学生寮からの外出を禁じられている。クイーンの警護のために一部の学生たちで結成された警備班だけは外出を許可されていて、学院の敷地内である山中を警備して夜回りをしているが、山中のさらに奥にある儀式の場である泉ヶ原湖には決して彼らも近づかない。  儀式の最中にクイーンはその姿を人に見られてはいけない。それが絶対の規則だからだ。  なのに、儀式の真っただ中、一糸まとわない姿で湖に半身を浸からせていた僕の前にその人間は不意に現れた。
/49ページ

最初のコメントを投稿しよう!

83人が本棚に入れています
本棚に追加