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scene100*「鐘の音」
私の幼馴染は、ちょっと、あんまりにもお人よし過ぎると思う。
【100:鐘の音】
私が働いているダイニングバーの先輩・シェフ担当のヨーコさんが、かねてより交際していた人とめでたく結婚するはこびとなった。
小さなレストランを貸し切りしてのささやかなパーティープランと聞いて、私の実家である洋菓子店「キャリーノ」に引菓子をお願いされたのは3か月前のこと。
大好きな先輩の一世一代の晴れ舞台に腕がならないわけがないでしょう!
「って、なんでミドリくんのショコラご指名なのぉ~~~~~!!!???」
「そりゃあ俺が超優秀なショコラティエだからでしょ」
うちの洋菓子店は地元のほうではまぁまぁ有名な方だと思う。
私は既に実家を出ている身と言えど、繁忙期になると手伝わされるので厨房は勝手知ったるや。
職場のダイニングバーを早上がりした私は、店仕舞い後の実家に先ほど到着して、この真夜中に手伝っているというわけだ。
泣きながら作業補佐する私に、今や雑誌にも取り上げられちゃう勢いの幼馴染のパティシエ・ミドリくんはドヤ顔をした。
それがシンプルにむかつく。
今は何をしているかというと、三日後に備えた結婚式用のプチギフトのドラジェをセットしている。
新郎新婦ともに友人が多いこともあり70名分のオーダーだ。
ドラジェはアーモンドにアイシングをコーティングしたイタリアのお菓子で、結婚などのお祝い事でおなじみのお菓子だ。
幸せ色なパステルカラーの小粒たちを、プラスチック製の筒型透明ケースに虹色のグラデーションとなるよう入れている。
このあとにさらにラッピングしなければならないから大変だ。
私と同じパティシエの道に進んだミドリ君は、本当ならフランスでショコラティエ修行の真っ最中。
なんで日本にいるかというと、運悪く修行先の店の前のマンホールが壊れ、店内には盛大に水が入り込み……。
悲しいかな全面改装することになりお店にいられなくなってしまったのだ。
そんなわけでお店の改装が終わるまで日本に一時帰国しており、再び私の実家で働くことになった。
せっかく皆に盛大に見送られ意気揚々と修行に出たのに、一時的なものといえどすぐ帰国する羽目になった涙目のミドリくんを前に、オーナーである私のパパから「お前って、昔からそういうとこあるよな」と爆笑していた。
……たしかに、本当に、ものすごーく申しわけないけれど、昔からミドリ君ってちょっとだけついてないところがある。
けれど、キャリーノを出る前も渡仏してからも、色んなショコラコンクールで入賞したりしている実力をきちんと持っているので、
最近は雑誌取材など「これからの日本のショコラ界を引っ張るホープ!」なんてとりあげられている。
昔から「俺は有名でビッグになる!」とビッグマウス叩いているミドリくんなだけに、ちょっとそれが本物になりつつあって嬉しい。
それなのに、ちょっとだけ悔しいような複雑な気持ちも抱いているのは……
コンクールとかの大きな世界から逃げ出した私だからこそ、同じパティシエとしての僅かな嫉妬なんだと思う。
「ってゆーかさ、キャリーノに依頼されてんのになんで俺だけで作ってんの!??これ俺マージン全部とっていいよね!!??マジでオーナーにカノンから言ってよ!!??」
「パパの前でガチギレしてみればいいじゃん」
「できねーからカノンに言ってんの!!」
相変わらず無駄口が多いけど手元の動きは無駄がないのだから感心だ。
菓子業界も上下関係が厳しく、上の命令が絶対ゆえに逆らえない事は重々承知。
私だって実家と言えど「仕事」として手伝う時は粛々と黒子の一員の如く言うことを聞いている。
なんたって職人の世界なのだ。
ミドリ君の手元をチラ見していた矢先、「そいやドウモトさんの話聞いた?」とミドリ君から訊かれる。
何となくズキンと胸奥が痛んだ気がして「あ、……うん」と返事するも歯切れが悪くなってしまった。
ドウモトさんはパパの作るお菓子に惚れ込んで、うちでずっと働いてくれている一番弟子のパティシエだ。そして私の憧れの人。
来年、地方にある実家に戻って、知り合いの洋菓子店を継ぐことにしたらしい。
「あーあ、もうほんとに手の届かない人になっちゃったな」
「じゃあついてきゃあいいじゃん」
「ミドリ君、知らないの?ドウモトさん、幼馴染だった人と所帯持つんだって。こないだパパとママが話してるの聞いちゃった」
「ええええええ!!??あの人に女の存在なんてあったの!!??」
「ドウモトさんに失礼じゃない?それ」
「だって、まったくそんな気配も様子もない感じじゃん!」
「交際0日婚らしいぞってお父さん言ってたから、本当に今まで交際してなかったみたいだよ。急遽帰ることになって、なんか一緒になるんだってさ。大人の事情ってわかんないね」
「は~。そういうもんか……」
性格も真面目で腕もいいから独立するのではと常に囁かれていたけれど、本人はそのつもりは毛頭なくずっとコツコツと働いてくれていた。
背が高くてシュッとしてて寡黙な人だけど、試作品とかを子供にコソッとくれる優しい部分もあって、
私が小さい頃なんかはドウモトさんが空いているときに「美味しかったよ」とコッソリ伝えるたび、優しく微笑んで頭をポンと撫でてくれた。
そんなドウモトさんが私は好きだった。なんなら初恋の人と言いきれる。
もちろん私自身も何人かお付き合いしたことはあったけれど、そんなドウモトさんを小さい頃から近くで見てきただけに、同級生なんかてんで子供すぎてちっとも好きになんてなれなかった。
キャリーノは私のお兄ちゃんが継ぐことになっているけれど、ドウモトさんもお兄ちゃんを差し置いて乗っ取るような素振りもせず、
パパの本心は分からないけれど私たち兄妹も他の従業員さんも、ずっとここにいてくれるんだろうと思っていた。
そんなドウモトさんがいなくなる。
そのことは私から最近の元気をなくすくらい、衝撃だった。
ひととおり話した後、私たちは特にそのあとに続きそうな楽しい話題も浮かばず、なんとなく無言で作業を続けた。
* * * * * *
「終わったー!!!」
「おつかれ~!!!ミドリくん、ありがとね」
「とんでもない。お店の依頼だしな」
作業は深夜すぎになってやっと終わり、二人ともクタクタだ。
たまたま明日が店休で本当によかった。これだけ完璧にやれば式場に事前に納品しに行くパパも鼻高々だろう。
ミドリ君にハチミツ入りのホットミルクをあげたら、嬉しそうに受け取ってくれた。ミドリ君の子供のころからの大好物だ。
「改めて本当にありがとう。ヨーコさんは私の職場仲間でもあるから、私としても身内みたいな気分だよ」
「カノンも招待されてんだろ?」
「うん!婚約者のケンタロウさんもとっても優しそうな人で、ヨーコさんの事がすごく好きなんだろうなって感じ。それにバーテンダーのリカさんも去年結婚してラブラブだし。旦那さんは海外の人気ミュージカルでラテンパーカッション担当されてて、しょっちゅうお土産が贈られてきてるし。
ホント、ああいう風に好いてもらえるなんて羨ましいな」
仕事先のダイニングバーで働く同僚お姉さまのリカさんも去年結婚された。
リカさんはクールでカッコいいタイプなんだけど、結婚したらだんだん可愛らしく変化していって、良い結婚ってこんなにも人をハッピーにするものなんだな~と日々感じて羨ましくなっている。
うちはパパとママも仲がいいし、お兄ちゃんも長く付き合ってる彼女がいるっぽいから、私の周りはおしどりカップルや夫婦が多くて嬉しい。
なのに、なーんで私には何にもないんだろ。
そもそも、みんなどこで出会ってんの?
しんみりしてると、「もしかして、自分には何にもないな~なんておセンチになっちゃってる?」と、ミドリ君が冷やかしてきた。
それになんだかムカッとして「そんなんじゃないし!」とムキになって言い返した。
「なんだ、図星か」
「もー、なんか今日のミドリ君、意地悪でやだ!」
「やだって子供かよ」
「ミドリ君こそどうなのよ!フランスでモテモテ計画はどうなったのよ」
渡仏前に一度ミドリ君とご飯を食べたことがあった。その時には「いい男になって帰ってくるし?」的にヨユーぶっこいた発言をしていたのを思い出した。
すると途端にミドリ君はもう空になったマグカップを両手で遊びながら愉快そうに含み笑いする。
「結構楽しくやってたけど何か?アンジェラって可愛い子は毎日来てくれたし、ハンナもゾエも俺がいると絶対に俺にウインクしてから店出てくし?」
は~~~~~?だいぶ調子乗ってる!
それと同時に、ミドリ君がフランス女子からしたらイケメンかは分かんないけど、でも日本ではどうだったんだろうとふと気になった。
考えたら、小学校の頃からの付き合いだけど、ミドリ君から彼女の話とか今まで聞いたことがなかったことに気が付いた。
私はミドリ君に割と何でも話してて、彼氏がいた時も別れた時も普通に報告してたけど、その逆は1回もなかったかもしれない。
就職してからはあんまり会わなくなったけれど、ミドリ君から “気になってる子がいる” なんてワードも一度たりとも聞かなかった。
「アンジェラとゾエが結構ヤキモチ焼きで、日本にガールフレンドはいるのかとかめっちゃ聞かれてさ」
私が思案しているうちに、聞いてもいないのに満足げに話し出す。
その感じになんか、すんごいイラっとした。
この気持ちの正体は何なのか自分でも分からないけれど、何故か面白くない気持ちになった私は、この話題を続けたくなくてミドリくんのマグカップを無理やり奪って洗い場に行く。
「なに怒ってんだよ」
その所作が珍しく乱暴に映ったのかミドリ君は驚いたようだ。それがますます私を腹立たしい気持ちにさせる。
「怒ってないけど。アンジェラだかハンナだかゾエだか知らないけどさ」
「ほら、怒ってんじゃん」
「だから何で私が怒んなきゃいけないの」
「何も女の子の名前聞いた途端、そんな仏頂面しはじめなくていーだろ」
ミドリ君にそう言われて、横にあったレンジのガラスに映った自分の顔が、本当に怖い顔になってる事に気が付いた。
「子供の頃からいつも一緒にいたのに、なんで急にそんな態度すんだよ。わけわかんねー」
それこそ、なんでミドリ君も今になっていきなり他の女の子の名前なんか出すの?
そう浮かんだけれど、言ってしまえば「何でそう思うの?」と返されるに決まってる。
私だって知らないよ。何でこんな気持ちになるのか。
わざわざ考えなくたって、ミドリ君に女の子がいて当たり前なのに。
それなのに、ミドリくんが誰かを想うことを想像したら、なんかものすごくモヤモヤする。今更そう感じる自分が嫌だ。
気が付けばミドリ君はいつもそばにいた。子供の時からずっと。
ドウモトさんの他愛のない話なんてミドリ君にしか話してないし、
進学先、就職先が分かれても、どんなに忙しくても連絡は取りあってた。
会おうよと言えば、気軽に会えた。
前の職場で色々あって退職した後、外に出られなくなった時だって、落ち込みそうな時に限ってミドリ君が連絡をくれて、外に連れ出してくれた。
以来、リサーチを名目に二人で話題のお店の美味しいものを食べながら、近況報告する日々が私にとっては当たり前だった。
だから急に渡仏するって聞いた時は素直に寂しいって思ったし、それを直接じゃなくてパパから知らされた時は結構ショックだった。
私の中でミドリ君は、いないと不安になる人になってた。
でもそれってもしかして……
私、そうなの?
そういうことなの?
ひょっとして、ミドリ君のことが好きなの?
その途端、急にカッと顔が火照りだす。耳まで火がついたような気がした。
「カノン?どした?」
ミドリ君の一言で我に返る。
さっきから百面相してる私を不思議そうにしつつも、表情は心配してくれている。
まっすぐな眼差しにますます顔は熱くなり、自分でもワケが分からなくなりそうだった。
気付いてしまった以上、一緒にいることが耐えられないと思った私は部屋へ引き上げることにした。
今日は実家で寝てから夕方から夜営業の職場へ出勤するつもりだったし。
「言っとくけどドウモトさんのこと、好きだけど……もうただの憧れだからっ!
お店の戸締まりお願いね!もう寝るから!じゃーねバイバイ気をつけて!!」
早口で言い残し、自分の荷物をひったくるようにして足早に背を向けた。
「ちがうって!アンジェラもハンナもゾエも、日本人の俺が珍しくてからかってくる、まだ幼稚園の女の子なんだって!」
ミドリ君の慌てた声と、私がドアを閉めたのは同時だった。
……ちょっと待って。
幼稚園の女の子て、完全にミドリ君が向こうでも子供にさえイジられてるだけじゃん!
しょうもない事をドヤ顔で自慢してきたミドリ君が、らしいなぁと笑いたくなるけど、
幼稚園の女の子と知らずにヤキモチ妬いた自分があまりにも早とちりすぎて、笑えなかった。
久々に入った自分の部屋は綺麗にしてあって、ベッドになだれ込む。
布団にくるまってにおいを吸い込んだら少しだけ懐かしい気持ちになった。
見上げた先にある窓枠の隅には、細い三日月が見えていて、空は夜の色から薄色へと染まりつつあった。
その時、スマホがメッセを受信した。見るとミドリ君からだった。
きっとまだ作業場にいて、帰る直前に打ってるんだろう。
『俺が話してて一番楽しいのは、昔も今もカノンだけだから』
今まで何気なかった言葉たちが、少しずつ意味を持つってこういうことなんだろうか。
この言葉にすら胸が高鳴って仕方ない。
ねぇ、これってどういう意味に思っていいの?
ミドリ君も私とおんなじってことなの?
あぁ、こんなことならさっき聞けばよかったかもしれない。
本音はもう今すぐ聞いてしまいたい。
だけど、今聞いてしまったら自分がどうなるかなんて想像するのも怖い。
次にミドリ君に会うときに、どういう顔をすればいいのか、もう分からない。
だけど、だからといって他の子に会ってほしくない。
ヨーコさんの結婚式が終わったら、まっすぐにミドリ君に会いに行こう。
そうして、確かめよう。
これからも、二人で一緒にご飯を食べたりしたいこと。
色んな他愛ない話をずっとずっとしていきたいこと。
それで最後に、私の事を本当のところどう思ってるのかってことも。
くるまった布団を抱きしめながら、たまらず足をじたばたさせる。
人の結婚式が早く終わってほしいなんて、こんなのバチあたりかな?
布団の隙間から見えた外の明るみが、私の心を映していく。三日月はもう見えなくなっていた。
静かな光で昇ってくる朝日に、ミドリ君がまた会ってくれますように、と心から願った。
( この心の鐘は、誰かの恋が報われる予感。寝ても覚めても君だけなのに。 )
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