フィクションは存在しない

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読んでくれてありがとう。 フィクションは存在しない、でした。 人が書物に触れ感傷に浸る時。 映像や音楽でもいいです。 その世界の住民に確かになり、 物語が終わると寂しくなって、 失恋に似た孤独に浸ります。 例えば勉強をしていて、 とある学者の語りを聴く時、 私は学者自身の感傷を私にします。 同じで、あなたという存在があり、 そこから出たものや、そこで感じたものは、 一つも作り話などはないです。 嘘をつくのも作り話ではありません。 心からの嘘なので、真実です。 人は真実にしか生きられず、 また、真実に生きる人が描いた世界は、 架空ではありません。存在します。 フィクションはありません。 存在しないものはもっと様々に、辞書に載っていると思うこともあります。 説明のための言語は、誤魔化しに使われる。 甘え。諦め。生きていない為に。 人によって違いますが、 概念が存在していなかったり、 概念を明確に否定する必要はあります。 優しさ、とかです。 性悪説の立場はひどく冷静で、 優しさはエゴです。 本質的に優しくありたいのが人ですが、 それは自分が嬉しいからです。 全ての善は偽善です。 自分が失くならない限り相手だけのためはありません。それは聖人より私のような愚か者がよく知っています。 存在しない言葉があります。 当たり前のことですが、単に言葉を知らなくても、それは存在していないとは言えません。 フィクションは存在しない。それは、すべては架空だとも言えるし、すべての架空は、生き物皆共通に持ってるという確信でも言えます。 詩は人間が言葉に出来ないことを、暗がりから膿み出すことで、存在が危うい大切なことを伝える、表現とはその様に思います。 信仰を表現する人はなんでしょう。 最も存在を認識され、最も認識されないもの。その前でどうして冷静でいられますか。
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