はじまりの文

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 手渡された文は、桜の枝に薄紅の紙が結ばれていた。結び目をほどくと香の芳しい匂いが広がる。 「……この匂い、先日も文を寄越してきた――」 「こ、こら! 勝手に覗いてはだめでしょう」 「では一緒に見ましょう。私めが見定め返事をしなければ柊木様は甘いですから」  そう言って隣に座ると文の片側を手に取って覗き込む。柊木は一つ溜息を吐いて、文に目を落とした。  『この春麗らかな日に如何お過ごしでしょうか。満開の桜が舞い散るさまは美しく自然と楽しくなるものです。しかし先日の文を拝見したところ、乳母の方が亡くなって塞ぎ込んでいるようにお見受けしました。そのような時分に桜などと思われるでしょう。』 「……松川、どのような文のやり取りをしたのですか」  柊木がこの人物からの文を直接手に取るのは初めてだった。いつの間にか松川が先方の従者から文を受け取って返事をしてしまっているので、ほとんどの文は柊木が目にすることもないのである。 「春になると桜も咲いて浮かれるものだが、貴女のことを思うと胸が苦しい、という歌を詠んできたので、あなたは逢いたくて苦しいかもしれないけれど、私は亡くなった乳母に逢えないことが苦しいの。部屋に籠っていて桜が咲いたことも知らなかった、というような歌を返しておきました」  松川はしてやったりという顔である。確かに松川の小言を聞いていなければ、先月亡くなった津川のことを思い出して塞ぎ込んでしまう状態ではあったが、桜の開花ぐらいは庭にこれほど咲き誇っているのだ。御帳台で寝ていても気づくだろう。少々大袈裟である。 「あれだけ冷たく当たったのに返事を寄越すところは見込みがあります。さあ、どのような歌がくるか楽しみです」
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