第5章 悪夢の再来

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第5章 悪夢の再来

悪夢は、突然襲ってくる。 ―悪夢の、再来。予測不可能。 突如襲ってくる悪夢に、心愛は怯えた。 「嘘、でしょ…」 信じたくない現実が、そこにはあった。 「また、血が…」 また、下血しているのか。 様子を見るしかない。 病状の悪化による下血でないことを、祈らずにはいられなかった。 しかし、事態は好転しなかった。 出血は出たり止まったりを繰り返す。 それは腸からの出血を意味していた。 ―ああ、またか。またあの苦しみを味わわなければならないのか、と 心愛は思った。 「どうしよう…どうしよう…また血が出るなんて…」 良くなったり悪くなったりを繰り返す病気だとわかってはいても、怖かった。 下血して更に悪化していく自分の体調が、とてつもなく怖かった。 「うっ、いたたた…」 激痛が襲う。心愛は、左手で痛むお腹を擦った。 心愛はベッドの中で考えごとをしていた。私は、他の女よりも 体がかなり弱い。 だから、博人さんに迷惑ばかりかけてしまう。 こんな私はいない方が良いー私は、博人さんの邪魔になってしまう。 心愛は、そう思った。 涙が、とめどなく溢れてくる。 ―もう会わない方がいいー ベッドの中で悪夢に苦しむ心愛は、次第に底知れぬ深い闇へと堕ちていった。 「保乃果、相談があるんだけど」 博人が保乃果に連絡をしたのは、三週間前。 「相談?どうしたの?」 「会えないかな」 「いいわよ」 「じゃあ、今夜」 「…随分、急ね」 保乃果は驚いたが、内心嬉しい気持ちでいっぱいだった。 「うん。緊急事態なんだ」 「緊急事態?どうしたのよ」 「今夜、話す」 博人の声には、元気がなかった。 保乃果は心配になった。 「何でも言って。相談に乗ることぐらいしかできないけど。」 「それだけで十分だよ。ありがとう、保乃果」 「うん、じゃ、またあとで」 保乃果は、電話を切った。 一体、どうしたというのだろう。 心愛ちゃんとうまくいっていないのだろうか。 いずれにせよ、それは今夜はっきりする。今夜―。 「で?緊急事態ってなんなの?」 保乃果が話を切り出した。 「うん…彼女と、ここ最近ずっと会えてない。 それに、全く連絡が取れないんだ。 何度電話しても出ないし、メールの返信も全くない」 「電話に出られなかったとか、電源切ってたってことは考えられない?」 「僕も最初は、そう思ってたんだ。でも、明らかにおかしい。 三週間も音沙汰なしなんて」 博人は切ない目で澄んだ空を見上げた。 空はこんなに綺麗で澄み渡っているのに、僕の心はどんより曇り空だ、と 博人は溜息をついた。 保乃果は博人の隣をゆっくりと歩いた。 「じゃあさ、今から電話しちゃう?」 保乃果は自分の携帯を出した。 「そんなことしても、出ないかもしれないぞ」 「分からないわよ?案外出るかも」 保乃果は、心愛に電話をかけた。 「そうかな…」 博人は、弱気になっていた。 「はい、もしもし」 心愛の柔らかい声が、保乃果の耳に届いた。 「あっ…!」保乃果は、声を上げた。 博人は保乃果を見た。 「心愛ちゃん?どうしたのよ」 「えっ…ほのちゃん…どうしたの」 「それはこっちの台詞。どうしたのよ。彼氏が悶々としてるわよ。 全く連絡がつかないってすごく落ち込んでた」 「あっ…それは、ごめんなさい…」 心愛は申し訳なさそうに言った。 「もう、だめよ、心愛ちゃん。博人を困らせちゃ」 「う…まず…」 「え?心愛ちゃん?」 「う…痛…っ、いたたた…」 「えっ…!?心愛ちゃん、大丈夫!?」 保乃果は思わず身を乗り出した。 博人の顔が、更に曇った。 「…い、た…」 「心愛ちゃん、しっかり…!今すぐ、そっち行くから。だから待ってて」 保乃果は電話を切り、すぐに心愛の家へ向かおうとした。 しかし、心愛は力を振り絞るようにして言った。 「…こ、ない、で…」 「なに言ってるのよ。そんなこと言ってる場合じゃないでしょ」 「お願い…こ、ないで…」 「なにバカなこと言ってるのよ。博人はずっと心配してたのよ! なのにどうして…」 「迷惑、かけちゃうから…」 「迷惑なんかじゃないわよ」 「ううん…迷惑なの、私」 「そんな弱気になったらだめよ。しっかりして!」 保乃果は心愛を宥めた。 「いい、の…これ以上…迷惑、かけられない」 「迷惑なんかじゃないったら」 「おねがい、だから…ひろとさんには…何も、言わないで」 「強がったってだめよ。心愛ちゃんは素直なところが良いんだから」 「あ、りがとう…ほのちゃん」 だんだんと、心愛の声が遠のいていく。 ただでさえか細いのに、次第に弱まっていく声。 「わ、たし…ほのちゃんと友達になれて、よかった…」 「何言ってるのよ。しっかりしてよ」 「ひろとさんに…伝えて。わたし…ひろとさんに会えて、 ひろとさんのことを好きになってよかったって…ありがとうって…」 「ちょっと、まるで別れのあいさつじゃないの。やめてよ。 博人と別れるなんて、私、絶対に許さないから」 保乃果は力強く言った。 「ほの、ちゃん…」 「いい?別れちゃだめ」 「でも…わたし…めいわく…」 「こら。さっきから、迷惑ばかり言ってる。 博人はそんなこと思ってないの。自信持ちなさいよ」 「でもわたし…難病だし…」 「それがなによ。そんなこと関係ないわよ。 大事なのは、互いに愛し合っていること、でしょ?」 「ほのちゃん…」 「ね、しっかりするのよ。今からそっち、行くから。 博人も行くからね。しっかりしてよ」 「ありがとう…、ほのちゃん…」 「うん。博人に代わるね」 「うん…」 「もしもし、心愛ちゃん!?」 「ひろと、さん…」 「今すぐ、そっち行くから。待ってて」 博人の優しい声が、心愛を癒した。 「嬉しい…ありがとう、ひろとさん…ごめんなさい… わたし、ひろとさんに迷惑ばかり…」 「迷惑なんかじゃない」 博人ははっきりと言った。 「ほんと…?」 「ほんと」 「…ありがとう、ひろとさ…」 「心愛ちゃん…?」 ばたん、という物音がして、心愛の声が途切れた。 「心愛ちゃん…?心愛ちゃん…!」 博人は何度も心愛を呼んだ。 しかし何の反応もない。 不気味な静けさだけが、そこにはあった。
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