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第一話 予告なしで
晩春のある日のことだった。
私にとっては通常通りの一日を終えて帰宅すると、家の留守番電話にくぐもった声で瞳の母親からの伝言が残されていた。
娘が、瞳が事故に遭いましたと。
瞳は昔から何をするにも心の準備をさせてくれない娘だったが、スーツ姿のまま呆然と電話を見つめた私は最期までこれかと耳を疑った。
瞳の母親の声は電波の届きにくいところからなのか、初めよく聞き取れなかったので、とりあえず私はもう一度メッセージを聞き返してみた。
しかし何度聞いてみてもそれは瞳が二十八歳にして生涯を終えたという内容のものだった。
言葉を失った私は、すっかり乾いてしまった口になんとかつばをためてごくりと喉を鳴らした。
弟と二人で住むこのアパートは大通りに面しているわけでもないのに普段は車の騒音にいらいらさせられるのだが、このときばかりは外の音が耳に届かなかった。
少しの間あたふたと意味の無い行動をしてしまったが、取り急ぎ身の回りの準備だけをして病院へと向かった。
こういうときは迷わずタクシーを使うものなのだろうが、根が貧乏性な私は気が付くと地下鉄を利用していた。
外は先ほどまで降っていた雨のニオイがまだ残っている。
電車に揺られながら、病院に着いたら真っ先にさやかと律子に連絡を入れなければと思った。
瞳を含む私たち四人は中学からの同級生だった。
誰よりもツキがある娘だったのに、まさかあの瞳が事故に遭うだなんていまだに信じられなかった。
病院へ着いて瞳の両親と初めて対面すると、ますます驚かされることになった。
兼ねてから奔放な瞳を見ていると、どうやったらこういう人間が形成されるのかと、親の顔が見てみたいと思っていたのだが、はっきり言ってすごく地味な二人だった。どこかから派遣された両親役のエキストラなのではと疑ったほどだ。
後々聞いて、ああ、なるほどと納得したのだが、小学生の頃瞳の実の両親は離婚をしてどちらも瞳を引き取らず、母親方の伯母夫婦のところに養子に入ったということだった。
聞いてもいない男の話は多かったが、瞳はその話題に触れたことはなかった。
死因は酔っ払った瞳がふらりと中央分離帯から車道に飛び出したところを、覆面パトカーを振り切ろうとしていた高級車に轢かれたということだった。
酒に飲まれてしまうにも関わらず、瞳はアルコール度数の強い酒を好み、酔っ払うと本当に性質が悪く、ただの通行人にも喧嘩を吹きかけたりすることがあった。
汚物を見るような目で見られた瞳がその相手に向って見世物じゃないんだよ!と叫んだときは彼女を中学時代から知っているさすがの私もこの女の連れだと思われたくないと思ったものだ。
私も人の事は言えないが、瞳にとって道路の信号とは無視するためのものであったので、今回の件も分からないでもないという結論に至ってしまったのだった。
けれど後になって、私はまんまとやられたと思う事になる。
それは瞳に対してではなく、彼女を執拗に追いかけていたストーカーのような人物に対してのことであった。
以前瞳と一緒に夜道を歩いていたときのこと、彼女から突然「後ろを見ないで」と言われたことがある。せーのでダッシュをさせられた私はそのとき初めて瞳からかつて交際を断った男に付きまとわれているという事実を知らされた。
詳しく聞いてみると、その人物は瞳の家のインターフォンを押しては姿を見せないという、昔でいうピンポンダッシュのようなことをしたり、一度などは宅配の人を装って彼女の部屋に侵入しようとしたことがあるらしかった。
その他にも些細ではあるが、私なら参ってしまう数々の嫌がらせを瞳は受けていたのだが、彼女はそれに全く屈しなかった。
逃げ切れると思っていたのだ。
瞳の家に泊まりに行ったときに、ドアチェーンすらない事に気が付いた私は、少しは用心しろと警告しておいたのに。
結局瞳が歩道に飛び出したのはそのストーカーから実際に追われていたのか、もしくは幻覚を見ていたのか定かではなくなってしまったが、どちらにしろ、忙しさにかまけて彼女に注意を払っていなかった私にも責任があると、かなり落ち込んだのだった。
おかげで瞳の訃報に接してからというもの、幾晩も泣き明かした私は、目が腫れぼったい日々が続いた。立ち直れずにうだうだとしていただけで、瞬く間に半年の歳月が過ぎてしまった。
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