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第九話 案ずることなかれ
「元カレとの密会はどうだった?」
サイドボードの上の小皿に鍵を置くと、弟の純一が興味深そうな顔をしてそう聞いてくるので、私は大きな収穫があったわと言った。
「元の鞘に収まるとか?」
「人聞きの悪い事言わないでくれる?」
私が冷蔵庫を覗きながら食って掛かると、居間の方から往々にしてそういうことがあるじゃんという純一の声が返ってきた。
「取り合えず功太郎は修平みたいに女にグチを言うタイプじゃないってことを思い出したわ」
私は自信に満ちた顔でそう言うと、純一は功太郎さんは硬派って感じだもんねと言った。
「なんでわかるのよ」
「・・・。だってたまに電話で話してるもん」
しれっと言う純一の発言に対して、私は思わず飲んでいた緑茶を吹き出しそうになった。
「は?!なに勝手に話してるの」
「だって姉ちゃん最近携帯に出ないんだろ?」
「当り前よ。功太郎とは別れたんだもの」
純一は私をちらりと見ると、ちょっと歯車が合わなくなったからって簡単に別れるとか言うなよな。
これだから女は・・・とぶつぶつ言った。
「あんたねえ、私は肉体関係を彼に拒まれたのよ。きっと私と付き合ったのはボランティアみたいなものだったんだわ」
そう吐き捨てる私に純一は功太郎さんが姉ちゃんは瞳さんのことを割り切れないみたいだって言ってたぞと言った。
「仕方ないじゃない。実際に功太郎とは瞳を介して知り合ったんだから」
瞳のことを口にする度に、彼女との思い出が走馬灯のように私の頭には浮かんできてしまう。
「そんなのは功太郎さんと付き合う当初からわかってたことだろ。
いい加減卑屈になるのは止めろよ」
「ちょっとお・・・」
私が言い返そうとすると、純一はなおも続けた。
「姉ちゃんは考え過ぎなんだよ。功太郎さんは自分に値しないだとかぐちぐち考えてないで手玉に取るぐらいの勢いでいけよ」
「・・・・・・」
私は即座に返す言葉が見当たらなかった。
「あの人とうまくいかないだのなんだの考えてるのは、姉ちゃんの取り越し苦労だよ」
「何でそう断言できるの」
「だってあの人姉ちゃんのことけっこうよく分かってるもん」
少し不安になって、何を分かっているのかと問うと、純一はそうだなあ、と功太郎との電話でのやり取りを思い出しているようだった。
「姉ちゃんの何事に対しても一喜一憂するところが魅力みたいなこと言ってたな」
私は耳を疑った。
「そんなこと言ってたの?!」
「うん。俺から見ればただの単純な人間っていうだけだと思うけど・・・」
単純な弟にそんなこと言われたくない。
「あとはそうだなあ、姉ちゃんのいろんな仕種が好きだとか言ってたかな」
功太郎の口からそんなセリフが吐かれただなんて全く信じられない私は心底驚いた。
「ホントに功太郎がそんなこと言ったの?!あんた作ってない?」
すると純一は嫌そうな顔をしてそんなことをして俺に何の利益があるんだよと言った。
「ねえ、どういう仕種がいいって言ってた?」
「忘れたよ、そんなの。とにかく、功太郎さんはけっこう歯の浮くようなセリフでいかに姉ちゃんを大切に思ってるかを説いてくるよ」
「私にはそんなこと一言も言わないのに・・・」
私が少し顔を赤らめてそう言うと、純一は彼はそれなりに姉ちゃんを好きなんだよと言った。
本当に単純だが、このときから私の心の中に鬱積していたものが徐々に解消されてきて、寝汗をかくほどうなされることはなくなった。
功太郎に体の関係を求めて鼻であしらわれたのは、都合のいい解釈かもしれないが、タイミングが悪かったのかなと思った。
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