稲荷編その2

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稲荷編その2

遡ること5時間ほど前、宏一郎は夜更かししたにも関わらず朝5時には目を覚ましていた。 宏一郎の仕事は建物の設計だった。父も同じ仕事をしていたがそれを受け継ぐ形だったのでそれなりに生計が立っていた。昨日まで大型の仕事に掛かっていて、今日は久々の休みだった。 なぜか朝からそわそわしていた。 何だ、この気持ちは。いつものように神棚のお世話をして祝詞を唱えているときふと太鼓谷稲成神社のお札に目が止まった。 そろそろ行かねば…津和野は雪深いので年末年始のご挨拶は遠慮していたのだ。 十一月に年末の挨拶をすると翌年雪が溶けるのを待って新年の挨拶に行くのだった。今年は仕事が忙がしくて今まで伸び伸びになってしまっていた。 なぜ岡山県の総社市から島根県の津和野まで行くのかと言えば、ご先祖が津和野藩に連なるものだった、としか聞いていない、しかし宏一郎の方も商売の神様くらいで、さして疑問にも思わなかった。 宏一郎はなぜか太鼓谷稲成の神様に目を掛けられていた。 「この者の心根は清い、力になってあげたい」という、お嬢、いや大神様のご意向によって眷属の中からはやが選ばれて宏一郎のもとに派遣されていたのだ。 暮らし向きがたつようにな、というのが大神様のお言葉だった。 眷属というのは神様のお使いのようなものだが精霊であったり、人からなったものもあり、もちろん実態としてはこの世のものではない。 以前人であったのだから姿もそうであるはずが、眷属となったとたんに見た目が決定的に違う、これについては後で話すこともあるだろう。因みにはやは、狼とも狐ともつかない毛のふさふさした被り物を被ったようでその下に気の強そうなはやの顔が見えたが、その後ろ姿はどう見ても狼のようである。 そのはやが狼のような風貌の上に、今はレーシングスーツに身を固めている。 宏一郎はいたって真面目な男であるが、一つ趣味があってそれが車だった。今はMAZDAのロードスターという車に乗っていた。2シーターでなければスポーツカーじゃあない、というのが彼の持論だった。  ここで眷属というのはサポートについた先の全て同じものを得ることができる仕組みになっている。だから、宏一郎の家ははやの家でもあった。 もちろん、ロードスターもはやも乗ることができた。 はやはパラレルワールドのように重なった世界に住んでいたのだ。 ゆきはビックリするだろうな、私がこんなスポーツカーに乗って帰ったら。 はやは想像していたずらっぽく笑った。 はやも朝からそわそわしていた。そろそろ津和野に帰るように仕向けているとはいえ、やはり最後は本人の気持ちだったからだ。 外は花曇りという風情だった。桜も咲いているようだった。宏一郎は窓を締めた。 三次から中国道に乗るとしても、4時間はかかるな。そう呟くと、宏一郎はそそくさと支度を済ませると、車を走らせた。 「ちょっと津和野に行ってくる」 家内が何か言ったようだったが、よく聞き取れなかった。 もちろん同時にはやのロードスターも滑るように走り出した。どう見ても狼がレーシングスーツを着ているようにしかみえない。 ゆきにも大神さまにもいろいろと話すことがたくさんある…はやはそういうとアクセルを踏み込んだ。 はやはロードスターで太鼓谷稲成神社に乗り込んだ。タイヤがキイーと鳴った。 次回に続きます。(©️2019 keizo  kawahara 眷属物語)
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