このまま一緒に

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このまま一緒に

私はバンガローをそっと抜け出して、夜の森の中を散歩しようと思いました。 お父さんが夏休みの長期休暇をとりました。山奥のバンガローに家族で4日間ほど宿泊する予定です。昼間は森の中を弟とお父さんと探検をして、小さな池の前に来ました。 立札にはヒカリモ、どうやら光る藻が生えているらしいことが書いてありましたが、ちっとも光っていません。なんで光っていないのか聞いたら、夜にならないと光って見えないんだろうとお父さんは笑っていました。 本当は今夜、もう一度見に来る予定でしたが、疲れてしまったとお父さんは早々に眠ってしまいました。しばらく滞在するのだから、明日の夜にしようと約束をして今日は家族みんな寝床に向かいました。 丸太を組み立てたバンガローの一室が私の寝室です。キルトのカーテンやベッドは外国の絵本にでてきそうな、かわいい花柄だったので私はすっかり気に入りました。グリーンを基調にした布地に、ピンクの花がぽつりぽつりと咲いている柄です。机もあるし、クローゼットもありますが私は旅行カバンから洋服をあまり出しませんでした。4日間だからすぐにしまうことになりますから。 残念に思ったのはネットが使えないことです。ここから数キロ離れた場所だ使えるそうですが、お父さんとお母さんはスマホもパソコンも使わずに過ごそうと張り切っています。私は使いたいと思いましたが、ほんの4日間のことなので我慢することにしました。 だからだと思います。夜はあまりに静かで、葉っぱの音が私の部屋の中で大きく響きました。風が吹く中、知らない動物の鳴き声が聞こえます。あまりに静かなので私は落ち着かず眠れませんでした。 そう、だから外に出ることにしたのです。 すぐに帰ってくるつもりでした。光る藻がある池は近いし、私はもう小学六年生。来年からは制服を着て地元の中学校に通います。ちょっとはお姉さんになるんです。お父さんとお母さんがいなくても、暗い夜道ぐらい平気で歩けるようにならなければと思いました。 お父さんとお母さんはぐっすり寝ているので、こっそりバンガローを抜け出しました。この時ハンドライトを持っていましたが、月明かりがあまりに綺麗だったのでハンドライトのスイッチをつけるのはやめておきました。 ホーホー ぐわっぐわっ 暗闇に潜む動物たちが夜に出歩く私をじっと見ているような気がして、少し怖くなりました。両肩に下がるみつあみを右手で払うと、私は黙々と池まで歩いて行きました。 遠くありません。近いです。舗装されているわけではありませんが、小道があるので道に迷いません。道からそれて森の中に入っていくような度胸は私にはありませんでした。 しばらく行くと昼間に見た池が見えてきました。立札もあるし、お父さんと一緒に来た場所で間違いありませんでした。ただ昼間と違うところがありました。 「こ、こんばんは」 何とか絞り出した声は軽く震えています。私の目の前に私と同じくらいの男の子が立っていました。池の方をじっとみていた男の子は私の方を振り向きました。男の子の目は金色に光り、黒い髪の毛は月の光のせいか淡く金色に光っています。 人間でしょうか。反射的に身を引いて私はすぐに戻ろうとしました。けれども私の足はその男の子に吸い寄せられるように歩んでいきます。声なんかかけるんじゃなかったと後悔していると、男の子がにこっと笑いました。 「お客さん?」 「え?私?」 男の子は私が泊っているバンガローの方を指さしました。私がこくんとうなづくと、男の子が横にずれて今度は池の方を指さしました。 「これ、見に来たんでしょう?」 男の子に言われるまま私は池を覗き込みました。昼間はどこにでもある普通の池だったのに、今では金色に光っています。澄んだ池の水底からぼうっと金色の光が浮かび上がってきそうでした。あまりに水が綺麗だから、葉っぱが浮かんでいなければ、私は金色の光に触ろうとして手を伸ばしていたことでしょう。身を乗り出して池に落ちていたかもしれせん。 「本当に光るんだ」 「うん。夜でないと見られないから」 男の子の金色の目に思わず見とれてしまい、慌てて目をそらしました。さっき人間じゃないかもと思いましたが、きっとハーフなんでしょう。お父さんかお母さんが外人に違いありません。そして、このあたりに住んでいる男の子なのなんだと考えました。そうでないと説明がつきませんから。男の子を不気味に思った自分を心の中で責めました。人をみかけで決めてはいけないのに。私は自分の気持ちを落ち着けるように、目の前の男の子に微笑みました。 「ヒカリモって言うんでしょ?とてもキレイね」 私の言葉に男の子は嬉しそうに笑いました。ほうっとため息がもれて体の力が抜けそうです。こんな経験は初めてでした。男の子が私の手をそっと握ります。 「一緒に光ってみる?」 どういう意味か私にはわかりませんでした。ただただ私の目を見る金色の瞳があまりに綺麗なので、思わずうなづきそうになりました。 「おーい!どこにいるんだ?」 うなづきかけた私の耳に、私の名前を呼ぶ声が聞こえてきました。お父さんの声です。私は男の子から視線をそらし、声のする方を見ました。 「お父さん!こっちよ!」 黙ってバンガローを出てきたので決まりが悪く、思わず男の子の手を振りほどきました。真っ赤な顔は暗闇の中では目立たず、男の子には分からなかったでしょう。ですが私はあまりに恥ずかしかったので、男の子の方を見ないようにしていました。ほんの数十秒の間に、ライトの明かりが見えてお父さんの影がぼんやり浮かび上がりました。 ほっとしたような残念なような思いをこらえて男の子の方を見ると、男の子はどこにもいませんでした。目を離した時間は1分とありません。一体どこに消えたのでしょうか。ぼんやりしている間にお父さんがやってきて、良かったと笑ったり、夜中に出歩いちゃダメじゃないかと怒ったりして私の肩に手を置きました。 バンガローを勝手に抜け出したことを謝り、しばらく池の中で輝くヒカリモを眺めてからバンガローへと向かいました。もしかしたら男の子がいるんじゃないかと思って後ろを振り向きますが誰もいません。 お父さんの後ろを歩きながら自分の手を見ると、男の子が握った方の手が金色に光っています。キラキラ光る金粉は一体何なのでしょうか。わからないことばかりがあった夜でしたが、その後は何事もなく過ぎていきました。 山の中を歩き、バードウォッチングをして、釣りをします。夏休みの自由研究のために山の中で過ごしたことをこうして日記に書いていますが、この初めの夜の出来事を書いて提出するのはやめようと思います。誰も信じないでしょから。 さて、バンガローで過ごした最後の夜、私はまた眠れなくなりました。昼間の間たくさん体を動かして、ご飯もお腹いっぱい食べたというのに、不思議と目が開いて眠くならないのです。 もう一度、あの池に行きたい。 金色に光る池のそばに立つ男の子。もう一度会いたいと思いました。一緒に光るとはどういうことなのだろう。うなづいていたら私はどうなっていたのだろう。私の手についた金色の光は、今もキラキラ光っています。だけど私にしか見えないようで、お父さんやお母さん、弟も気づきませんでした。 ベッドから体を起こして外の音に耳をすませます。夜闇の中でうごめく動物たちは何と言っているのでしょうか。高なる胸を懸命に右手でおさえて私は布団の中に潜り込みました。男の子の誘いにうなづきそうになった時、私の耳に届いたお父さんの心配そうな声がよみがえります。お母さんの笑顔と弟の憎たらしい顔が思い浮かびました。先生の顔や友達の顔、近所の駄菓子屋さん、学校の様子を思い浮かべている内に私はぐっすり眠りこんでいました。 夢の中で私はあの男の子と一緒に光っていました。体中が金色に光り、辛い気持ちや悲しい気持ちが一切ありません。他にもたくさんの人が私と同じように光っていて、どの顔も幸せそうでした。私とあの男の子は澄んだ池の水底で、手をつなぎながら微笑み合っています。あまりに幸せだったので、私は泣きながら目を覚ましました。 キラキラ光っていた手は、家に帰ってしばらくしたら消えていました。 そうそう、ヒカリモは確かに光りますが、キレイな水の池や洞窟で自生し、暗所で光を反射させることで金色に光っているように見えるのです。ヒカリモ自身が光っているわけではないそうです。 では、なぜ夜に水底から浮かび上がるように光って見えたのでしょう。月の光のおかげでしょうか。一度きりのことで、私には何がなんだかわかりません。朝に何度か池に行って、太陽に照らされて光るヒカリモは見ましたが、夜のヒカリモを見たのはバンガローを抜け出した時だけです。 お父さんに聞いたら、夜の池で見たヒカリモのことは、すっかり記憶から抜け落ちていました。しばらく一緒に見たのに覚えていなかったのです。私がぼんやり池のそばに立っているのを見つけて、安心したとしか言っていませんでした。やっぱり私の胸の中にしまっておくことにしました。 あの日の夜のことは私とあの不思議な男の子だけの秘密です。
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