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暗い。
真っ暗だ。
どこまで続いているのか分からない暗闇に囲まれて押し潰されそうだ。
体が動かない。
手を伸ばそうとしても何かが強い力で押さえ込んでいる。
自分の体を見てみると、無数の手が暗闇の中から伸びて四方に引っ張っている。
苦しいよ──苦しいよ──
助けて──助けて──
助けを呼ぶ声の数が次第に増えていく。
痛い……痛い……!
このままだと体は千切れてしまうのではないか。
助けて……っ!
誰か────!!
「……っ!!」
布団から飛び起きると額に滲んでいた汗が顎まで落ちてきた。心臓が強く脈打ち、嫌な夢から覚めたと分かると背中が一気に冷えた。
肩で息をしながら枕元の目覚まし時計を見るや時刻は深夜の二時を回っていた。嫌な夢はこれまでに何度も見た事があるが、痛みまでリアルに感じたのは初めてだ。もし目が覚めなかったら。あのまま両手両足が千切れてしまっていたら。想像するだけで恐ろしい。
それにしても、夢で見た無数の手は今日に見たあの不気味な魂塊蟲とやらにそっくりだ。あんな目に遭ったせいでリアルな夢を見たのだろうか。心臓の鼓動も落ち着いてきたその時、千縁はふと何かの音が近付いている事に気付いた。
ズル……ズル……。
重たくて巨大な何かが地面を這いずる音だ。
音が間近に接近していると感じると同時に、月明かりに照らされたカーテン越しに大きな影が現れた。
嫌な予感しかしない。息を飲んだ次の瞬間、窓を沢山の手で叩く音が一斉に鳴り出した。
夢の中で聞いた助けを呼ぶ悍ましい声が重なり始め、千縁の頭の中はパニックに陥りそうになる。
「誰か……誰か助けて!!」
大声で叫んだその時、一発の銃声が耳に飛び込んできた。
窓を叩く音は鳴り止み大きな影が銃声に反応するように蠢いた。千縁の頭にまさかの三文字が過ぎり、ベッドから降りて窓辺に駆け寄りカーテンを一気に開けた。
目の前には二階建ての家の高さと同じ背丈の黒い物体が脈打って佇んでいるが、今日見たそれとは大きさが大分異なり千縁は微かに目眩を覚えた。
「やっぱりあんたか」
聞き覚えのある声が部屋の中でしたかと思えば、いつの間にかあの黒服の男が背後に立っていた。驚くあまり声を出せずにいる千縁。男が何の音も立てずにいきなり背後に現れたのもそうだが、黒い手袋を嵌めた右手には缶ビールが握られ、この緊迫した状況には大きく不釣り合いなアイテムにこれもまた悪夢なのだと思い始めた。
しかしそれも束の間だ。窓の外から無数の手が窓を通り抜け侵入するや、千縁の足を掴んで窓の外へと引きずり出そうとした。足を取られフローリングの床の上を引きずられていく。
「え!?やだ!ちょっと!助けて!嫌ぁあああ!!」
黒い物体は大きな口を開けて千縁を迎え入れようとしている。
男は缶ビールを持つ手とは反対の左手を持ち上げ、その手には銃が握られていた。窓に接するまであと数十センチという所で一発の銃声が部屋の中に轟き、無数の手が千縁の脚から離れていく。
地響きを招くような大量の叫び声が辺りに響き渡り、黒い物体は月明かりの中に消えていった。
静寂を取り戻した部屋の中で、千縁は恐怖のあまり缶ビールを片手に近寄る男に顔を引きつらせた。
「大丈夫か?」
「……な、何とか……」
「そうか。じゃ、とっとと寝ることだ」
男が踵を返そうとしたものだから千縁は慌てて男のジャケットにしがみついた。
「待って下さいよ!あなた何者なんですか!二度も同じ目に遭ってすんなり眠れるわけ無いじゃないですか!」
おかげですっかり目が覚めてしまい逃すものかとジャケットを引っ張る手にも力が入る。千縁の必死な姿に男は根負けして溜め息を吐いた。
「分かった分かった。とりあえず離せ」
「逃げませんか?」
「逃げねぇよ。まぁ、どうするか考えてなかったわけでもないからな」
男の言葉を信じて千縁はジャケットから手を離した。部屋の明かりを点けて床に胡座をかく男と改めて向き合うと、男は缶ビールを一口飲んでから話を始めた。
「まず俺についてだが、俺は黒服案内人という迷える魂を成仏させる役目を担っている。対象となる魂はその辺の浮遊霊からさっきの魂塊蟲まで多岐に渡る。無論、もう分かってるとは思うが俺自身も死んだ身だ」
あの世にも死者を弔う存在があるとは思いも寄らない。そしてやはりこの男もまた、あの世からの使いである事を改めて知った。
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