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男の装いが喪服のように全身黒なのも、俄かに信じ難い話ではあるが迷える死者の魂を葬う身ならば不思議と頷けた。
「でも、私あなたに触れましたよね?あなたが死者であるならどうして……」
「それは最初にも言ったがあんたが俺の領域に足を踏み入れたせいだ。俺たち案内人は多少霊感のある程度の人間には見えない。けど稀に、あんたみたいに祓える程の強い霊感の持ち主には見える事もある。そんな普段見えない筈の俺の存在にあんたが気付いた時点であんたは俺たちの世界に立ち入った事になる。そうなったあんたは、本来あんたがいる次元に身を置きながら俺と同じ次元にも存在してる。だから互いに肉体的にも接触可能な現象が生じてるってわけだ。ここからが本題だが、あんたが俺たちの次元に足を踏み入れたおまけで付いてくるのがさっきの魂塊蟲だ」
気怠そうな男の顔が神妙な面持ちへと変化するにつれて千縁の背筋は緊張から自然と伸びた。
「あれがただ見えるだけなら良いんだが、俺と同じ次元に存在するようになった事であんたは自動的に俺と同等のリスクを背負う。魂塊蟲の餌は基本的に弱体化した霊魂か怨霊だが、俺たち案内人は奴等にとっては特殊なご馳走なんだ。俺と関わったからには、あんたにも俺と同じ奴等にとってはご馳走の印が付いた。大方、さっきのデカイ奴はあんたに付いた俺の匂いに誘われたんだろ」
それを聞いた千縁は愕然とした。
それで襲われたというのなら、今後も同じ目に遭う可能性は充分にある。
「待って下さい……私、あなたの言う通りお風呂で時間かけて体洗ったんですけど……」
「悪いが気休めだ。俺が人間に見られたのはあんたが初めてでな。体洗ったくらいで匂いが落ちるとは思っちゃいなかったが、実際事に直面してこれといった対処法が思いつかなかったんだ」
皮膚を痛めてまで清めたつもりだったが気休めは所詮気休めだったようだ。
(私、これからどうすれば……)
その辺の霊であれば対処出来るが、あんな化け物を相手にするなど到底無理な話だ。現にさっきも喚くだけで何もしようがなかった。絶望が押し寄せるあまり目にうっすらと涙を浮かべる千縁を前に、男は缶ビールを飲み干すと景気良く膝を一つ打った。
「そこでだ。これはあんたにとっても俺にとってもメリット尽くしな悪い話じゃ無いんだが……聞く気はあるか?」
手立てのある言い回しをする男に正座する千縁は前傾姿勢になる。
「何か対処法があるんですか?」
「対処法というか、取り引きだ」
「取り引き?」
「俺の仕事は死者の魂を葬い成仏させる事だが、その仕事をこなすと仕事に見合った点数が付与される。低級の浮遊霊を成仏させれば雀の涙程度の加点だが、それが魂塊蟲となればデカイ点数が得られる。俺にはその点数が必要でな」
そう言うと、男はジャケットの袖を捲り白い腕を見せてきた。肘から下の皮膚に黒い数字が〝310/100,000,000〟と刺青のようにくっきりと刻印されている。
「一億分の三百十……?」
「この分母が俺のノルマで分子がこれまでの得点だ。ノルマ達成まであと99,999,690点だが、仕事を始めてから三年近く経つ」
「さ、三年経ってもこの点数なんですか!?」
「点数稼ぎは容易じゃない。案内人に課せられるノルマは案内人によって十人十色だが、その基準は死んだ時の年齢が関係してる。生前長く生きた案内人には達成も目に見える数字だが、俺みたいな気が遠くなるような数字の奴は生前若くして死んだって事らしい。ま、ノルマってのは命を無駄にしたツケってやつだ」
「無駄にしたツケ?でもそれだとなんか、病気や事故などの不可抗力で亡くなったのなら可哀想な気もしますが……」
「黒服案内人は不可抗力なんかで死んだんじゃない、自殺者の集まりだ」
(え……)
千縁の心臓は僅かに跳ねた。男の視線はまるで他人事かのようで当事者とは思えない冷静さを放っている。
「恐らくノルマから察するに俺は十代そこらでこの世とおさらばしたらしい。生前の俺がどういう人間だったのかは全く記憶に無いけどな。だが十代で自殺するくらいだ。相当精神的に拗らせてたんだろ」
聞けば聞くほどに遣る瀬無さで心臓が締め付けられるが、十代で、下手したら自分と同じくらいの年で自ら命を絶ったという男は相変わらず落ち着いた口調で話している。他人事でいられるのは生前の記憶が無いからだろう。
「前置きが長くなったが取り引きについてだ」
仕切り直した男に千縁は改めて真剣な眼差しを向ける。
「あんたに寄り付く魂塊蟲は俺が成仏させる。その代わりにあんたは俺に寝床と酒を提供する。これが俺とあんたの取り引きだ」
千縁は瞬きを数回繰り返し、男の言葉を頭の中で反芻させる。
「え、寝床?お酒?」
「実はこの辺のエリアに配属してから寝床が定まってなくてな。酒もコンビニのバックヤードから拝借してるがまるで犯罪者の気分だ」
「気分じゃなくて、それはれっきとした窃盗罪で捕まる犯罪ですよ……」
「俺だって好きで盗っ人やってたわけじゃない。黒服案内人は生前の記憶こそ無いが生きてた頃の未練が性格と嗜好品に影響してる。死んだのは十代らしいが、酒の味も覚えずに死んでったのが生前の俺の未練だったんだろ。初めてこっちの次元でビール飲んだ時、死ぬ程美味かったんだ。もう死んでるけどな」
真顔で冗談を交えて言い訳しているが、死んだ後に犯罪に手を染めるのは引導を渡す役としては道徳的に、いや仏道的にマズイのではなかろうか。
「生前の自分のせいにするのはやめて下さい。……分かりましたよ。寝床とお酒を提供しますから、二度と盗むような事はしないで下さい」
命を取られずに済むのなら寝床と酒を用意するくらい安いものだ。渋々だが千縁は取り引きを受け入れる事にした。
「取り引き成立だな」
男は黒い手袋を嵌めた手を差し出した。恐る恐る男の手を握り返すと、本来掌にある筈の温度は伝わってこなかった。それどころか氷のように冷たくて、男がこの世には存在しない死者であると改めて認識させられた。
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