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放課後を迎えると同時に、千縁は葉月に未だ貼り付く霊の姿を確認してから急いで教室を出た。いつも下校を共にしている花実には早く帰って寝たいと言い訳をして、そうしなさいと言わんばかりに見送ってもらった。
葉月の件を早く知らせたいというのもあったが、何より家に置いてきた坂城の事も心配だったせいで家までの道のりを全速力で走り抜ける。
おかげでいつもの半分の時間で自宅に到着した千縁は門扉、玄関と関門を通過していく。
「ただいま!」
一言家の中に声を投げるや、一目散に二階へと上がる。
「千縁ー?お帰り。早かったわね」
夕飯の支度をしていた清香がダイニングから廊下に顔を覗かせる。しかし既に二階に上がった千縁の姿は玄関に見当たらない。確かに玄関のドアを開ける音と声がしたが、いつになく慌てて帰宅する様子にまた変なものにでも追いかけられたのだろうと、清香も慣れた解釈で火にかけた鍋の元へと戻った。
二階に上がって自室の扉を勢いよく開けた千縁。肩で息をしながら部屋の中を見回すが坂城は居ない。次いで寝床となったクローゼットを開けてみるも、敷かれた布団で寝ていたであろう形跡はあるもののそこにも不在だ。
一体何処へ行ったのだろうかと外を探しに部屋を出る。ふと、宵壱の部屋から何やら音が聞こえ足を止めた。車庫に宵壱のマウンテンバイクは無かったように思えるが、扉に耳を当ててみるとゲームのサウンドが鳴っている。
(まさか……)
恐る恐る部屋の扉を開けてみると、案の定黒いスーツを着た曇天色の頭をした男がテレビ画面の前で宵壱のゲームコントローラーを操作していた。
「ちょっとっ、坂城さん!坂城さんッ!」
清香に聞こえぬよう声を絞りつつ強く呼びかけると、声に気付いた坂城が振り返った。
「帰ったのか。ご苦労さん」
「何してるんですか!ここ弟の部屋ですよ!」
「仕事から戻ってもお前の部屋が退屈だったんでな。ゲームなんかやった事無かったが……これ面白いな」
そう言ってコントローラーを操作する手とは反対の手にはビールの缶が握られ、グビグビと喉を鳴らしながら飲む姿に部屋が酒臭い事に気付いた。ついでにゲームをしている坂城の脇には空き缶が二本置いてある事にも気付く。
「こんな所でお酒なんか飲まないで下さいよ!弟ももうすぐ帰って来ますからゲームは終わりです!早く私の部屋に戻って下さい!」
「あー分かったからジャケットを引っ張るな」
坂城を自室に引きずり戻し、宵壱の部屋に戻ると部屋の窓を全開にして途中だったゲームの電源を落とした。ゲーム機はいつもテレビの前に放置されている。宵壱が勘付かない事を祈るだけだ。空き缶を回収して急いで自室に戻ると、部屋の真ん中で仰向けに寝転がる坂城の頭上に膝をついて忠告した。
「坂城さん、お願いですから私がいない間に私の部屋以外にある物は触らないで下さい」
「分かった悪かった。退屈だったせいでつい魔が差したんだ」
そう言い訳する坂城は傍に置いたビールを再び飲み始めた。そのビールと、回収した空き缶のラベルを見た千縁は再び顔を青くさせる。
「これ……どこから持ってきたんですか?」
「この家の冷蔵庫に決まってるだろ」
(やっぱり……)
坂城が飲んでいるビールは単身赴任の父親が帰って来た時に晩酌用として保管しておいた分だ。坂城が持っている缶を含めて飲んでしまったのは三本。冷蔵庫にはビールだけの棚があるが、清香に減っているのがバレるのは時間の問題だ。
「ちゃんと一番奥から取ったから心配するな」
「心情を勝手に察しないで下さい。ハァ……お母さんに説明出来れば苦労はしませんよ」
今朝になって分かった事がもう一つある。
昨夜の魂塊蟲に襲われた時、近所迷惑になってもおかしくないくらいに声を荒げてしまった筈なのに、それとなく昨夜はうるさくなかったかと尋ねてみると同じ二階で就寝していた清香と宵壱は特に騒音で起きるような事は無かったという。
どういう事かと坂城に聞けば、魂塊蟲と接触している間は坂城たち案内人の次元に身を置いていたとの事で、魂塊蟲に襲われていた間の千縁の叫び声は元々千縁が身を置く次元に存在する清香と宵壱には聞こえなかったというわけだ。
そんな別次元にいる化け物排除をお願いする代わりにとある幽霊に寝床と酒を献上しているなど、上手く説明出来るわけがない。
「お酒の件はお母さんにも頼る事は出来ませんし、私は未成年だから店頭でアルコールは買えないし……。一応どうにかしますけど、用意できる目処が立つまでは冷蔵庫の中のビールには手を出さないで下さいよ。……って……」
坂城の顔を覗き込みながら釘を刺すが、当の本人は瞼を閉じて寝息を立てている。
この男、こうして酒に酔っては寝ての繰り返しでろくに仕事をしていなかったせいで三年経っても腕の点数はあのザマなのではないだろうか。と、千縁の中で疑いが浮上する。
「坂城さん、寝てる場合じゃありませんよ。お仕事ですよ」
千縁は腹を立てながら坂城の両肩を揺さぶった。乱暴に起こされ安らかな睡眠は諦める事にした坂城。不機嫌そうに眉間にシワを作りながら千縁に尋ねる。
「仕事だって……?」
「私のクラスの女の子なんですけど、私には祓えない怨霊に取り憑かれてるんです」
「怨霊?そんなの放っておけばいいだろ」
「な……放っておけるわけ無いじゃないですか。クラスメートですよ。それに、一日の大半をあんなものを視界に入れて過ごす私の身にもなって下さい」
「何で俺がお前の身にならなきゃいけないんだ」
「何ですかそれ……話が違うじゃないですか……」
「どう違うっていうんだ。俺はお前に寄ってくる魂塊蟲を祓うと言ったんだ。あれもこれもと、手当たり次第に引き受けたわけじゃない」
何とかしてもらえる。そう思って相談したというのに全くやる気の無い返事を聞く結果となって、千縁の体からは力が抜けて床にペタリと座り込んだ。
「あなたはやっぱり、そういう人なんですね」
「何が言いたい」
「そんなだから三年かかってもその程度の点数しか稼げないんじゃないですか」
本音を吐露した瞬間、千縁は押し寄せる後悔に青ざめた。皮肉を浴びせられた坂城の目は冷ややかに、それでいて針で刺すような鋭さを醸し出し千縁を見据えている。さすがに今の言い方は酷すぎた。謝罪を告げようとしたが、先に動いたのは坂城の方だった。
無言のまま立ち上がって茜色に染まる窓辺へと歩み寄ると、スゥッと頭から霞がかって消えてしまった。
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