思い出の先に

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思い出の先に

 撤収作業が思いの外早く終わり、三時前には喫茶店に着いた。やることもないので、ブラックのコーヒーを飲みながら、店の外の景色を眺める。駅の改札が見える位置にあるので、誰が降りて来てもすぐに分かる。そうして次第に募ってきたのは、不安。  今更ながらに思うのは、姫野がメールをくれたからと言って、特別な感情がそこにあるわけではない、ということだった。懐かしい人に会ったので昔話をしたいとか、三谷の近況を聞きたいとか、そういう理由であるのが普通なのだと。  でも、そんなことよりも大事なのは、今の俺があの頃の俺の気持ちに「恋」だと名付けることができたことだ。何とも言えないもやもやした気持ちを抱いたまま高校を卒業してしまった俺が、姫野と離れて成長して気付いた「恋」という感情を伝える最後の機会だろう。  当たって砕けろ、と砕けたくはないけれど、それぐらいの気持ちでなければ、面と向かって話すことさえままならない。  駅の改札から帽子を目深に被り、大きめのサングラスを付け、白いシャツの上に黒のベスト、ダメージジーンズというコーディネートの男が走ってくる。サングラスとガラス越しに目が合う。どくん、どくんと心臓が早鐘を鳴らし、全身が緊張する。  店に入るなり俺の席に真っ直ぐに向かってくると、立ったまま変装用なのか帽子とサングラスを外した。 「……榊君」  顔を見た瞬間、目を見開いた。彼の顔が、耳まで真っ赤だったから。 「こ、これ……ほんと?」  彼は手に持っていた俺の渡した名刺を裏返しにして机の上に置き、向かいの席に座った。そこには、昨晩渡す機会があれば、とメッセージを書き添えていた。 『出会った瞬間から、好きだった』  自分でまともに見たのは二回目だったせいか、姫野の顔を見たせいか、途端恥ずかしくなり、顔が火照ってくるのが分かる。そんな顔見せたくなくて俯くのだが、耳まで赤ければ意味が無い。 「……ああ、本当だよ」  素っ気なく聞こえただろうか。目を逸らしたまま、はっきり言わなかったせいか、姫野は沈黙したままだ。俺は覚悟を決めて彼に向き直り、色素の薄い透き通った茶の瞳を見詰める。びくりと彼が肩を震わせた。 「あの頃は自分の気持ちに気付かなくて……いや、気付かない振りをしていたんだが……俺は入学式でお前を見た瞬間から、ずっと魅かれてた。一目惚れだったんだ」  言い終える頃には、肝が据わったせいで少しずつ冷静になってきていたが、逆に姫野は完熟した林檎みたいに顔も耳も真っ赤になっていた。 「……僕も、そう」 「え……?」  何が「僕も」なのか。脳味噌は冷静に分析し論理的に考える力を失ってしまったようで、何も考えられず疑問符だけが浮かんでパニックになっていた。 「入学式の日、並んで座っていた時、榊君だけ何となく他の子たちと違ってた。僕と同じで浮いてて、それでも気にしてないみたいで、すごいなって思ったのが最初。それから、たまに見かけると、どうしてか気になって仕方なくて」  ああ、同じだ、とずっと喉に引っ掛かっていたものが、ようやく取れたかのように、すっと言葉が胸の中に下りてきた。俺も姫野も、互いに違う場所に居ながら、意識し合っていたのだ。 「それが『恋』だって気付いたのは、修学旅行の夜、榊君と話した時だった」  月明かりに照らされて、ひまわりが花開いたように美しくも無邪気な子供のような笑顔を浮かべた姫野を思い出す。心の中に押し隠したけれど、あの時、俺は姫野に触れたかった。抱き締めたかった。でも、初めての恋に戸惑って、恋だと認めるのが怖くて、気付かない振りをして目を逸らして逃げた。  今は、今の俺なら、終止符も打てずにずるずると引き摺っていたこの『恋』を終わらせて、『愛』に変えることができるかもしれない。そう思えた。 「今でも好きか? 俺は、一度も変わらず、お前だけが好きだ」  大学在学中に出会った女と二回ほど付き合ったが、どちらにも姫野の話をしていて女は好きになれるかどうか分からないと話した。美術系の学科には変な奴らが多く、逆にそれがいいと言って付き合ったのだけど、結局男か女かよりも、相手に興味が湧かないことが根本的な原因だと分かった。  本来、他人に無頓着な俺が、これほど執着して、これほど好きだと思うなど有り得ない。姫野は、俺にとって特別で大事な存在なのだと気付かされた。  姫野は顔を真っ赤にしたまま俯き加減に「うん」とはっきりと頷いた。瞬間、今まで五年もの間抑えていた感情が一気に溢れ出してきて、もう止めることなどできそうになかった。 「……ここから、俺の住んでるアパート近いんだわ。振られたら誰にも見られず、家に帰れるからって最寄駅に呼んだんだが……」  弾かれるように顔を上げた彼は、目を丸くし硬直したまま俺の言葉を待っている。 「……単刀直入に言う。俺は今、お前を抱きたいと思ってる」  馬鹿だ、と自分でも思うが、俺も男だし、これほどあからさまな欲望をぶつけたことは無かった。互いの気持ちが一緒だと分かった瞬間から、何も怖くはない。 「連れてって」  沸騰しそうな真っ赤な顔を覆ったまま、姫野ははっきりとそう言った。 「僕も、榊君に……」  がたん、と椅子が大きな音を立てる。反射的に立ち上がると、俺は姫野の手を掴んで早足で店を出た。歩き慣れた家への道を脇目も振らず歩いた。引っ張られるように、だが俺の歩くペースに合わせて小走りで付いてくる姫野が、愛しい、と思った。  年代物の小汚いアパート、一階の奥まった日陰の部屋に一直線に向かう。彼の手をようやく解放すると、ジーパンのポケットに入れた鍵がなかなか出てこないので焦る。  がちゃがちゃといつもに増して手荒に鍵穴を回し、ドアを開ける。姫野が、一呼吸置いて一歩玄関に歩を進める。  ドアを勢いよく閉めると、靴を脱ぐ間もなく俺は壁に彼を押し付けるようにして唇を重ねた。無理矢理重ねた固く結ばれた唇の間に舌を這わせると、ゆるゆると開いて、その隙間に捩じ込むように口内に侵入する。  姫野の口の中を隅々まで弄る。彼の全て触れ、自分の物にしたいという支配欲が、そうさせたのかもしれない。  息苦しくなって口唇を離すと、浅い呼吸を繰り返し、熱に浮かされたように潤んだ瞳で俺を見詰めていた。 「もし嫌なら本気で嫌がれ。少しくらいの抵抗なら、簡単に力で押さえ込んじまうから」  そう言って姫野を抱えると――痩せ型なのでほとんど苦労せずに持ち上げられた――、ワンルームの部屋の半分を占めているベッドの上に横たわらせる。動揺している姫野に構わず、シャツに手を掛けてボタンを外していくと、彼の上気してほんのり赤みがかった白い肌が露わになる。  首筋から胸へと舌を這わせると、びくびくと小刻みに身体を震わせた。白い胸に浮かぶ桜の花弁のような乳頭を舌先で舐め上げると、大きく身体が反応する。両方の乳首を舌と指で弄ると、身体を震わせながら淫らに喘ぎ始めた。 「んっ……榊君、も、う……やだ、よっ……」  姫野に覆い被さるような格好の俺の腹部に硬いものが当たる。見てみるとジーンズのボタンがはち切れそうなほど、そこは盛り上がっていた。姫野は恥ずかしそうに顔を手で覆っている。  ジーンズのボタンを外し、チャックを下ろすと、履いていたグレーのボクサーパンツが露わになる。パンツには既に染みが出来ていた。  ディープキスと乳首を弄っただけでこんな風になるとは、もっと責めたらどうなるというのだろう。パンツを下ろすと先端から先走りの透明な液体が糸を引いていた。 「き、汚いからっ、やっぱりお風呂に入ってから――」  話の途中で俺は姫野の先走りの液体を舐め取るように先端を舌で這わせた。瞬間、姫野の身体は大きく仰け反る。もっと淫らな姫野の姿が見たい、とそう思った俺は、姫野のズボンとパンツ脱がすと、彼の両脚の間に自分の身体を入れて足を開かせた。 「そんなに、見ないで……僕ばっかり恥ずかしいよ……」 「……そうだな、姫野だけそんな格好させてすまん」  自分が服を着たままだということに気付いて、Tシャツ、ジーパンとパンツを一気に脱ぎ捨てた。俺の下半身は完全に勃ち上がって、その先端は透明な液体で濡れていた。明らかに自分のものより大きな俺の雄を目の当たりにして、姫野は微かに身震いした。 「多分もう止められないが、大丈夫か」  身体の奥底から突き上がってくる衝動を理性で押さえ込みながら訊ねる。と、姫野が唐突にくすっと笑った。 「お互いにこんなで、止められるわけないでしょ」 「……じゃあ最後までするぞ」  姫野の華奢な両脚を抱え込むようにして持ち上げると、彼自身見たことないだろう双丘の谷間の蕾が晒された。指に唾液を丹念に絡ませ、その搾まりにゆっくりと挿入していく。姫野は堪らず身を捩り震わせたが、それは苦痛と快楽の間の様で、中で指を動かすと淫らに喘ぎ始めた。 「あっ……榊、君っ……そんな、同じとこばっか……んっ、あ……」 「悪い……でも姫野がそんなエロい声出すからだぞ」  気持ち良い方が勝り始めたのか、解されてきた搾まりにさらに一本指を挿入し、内壁を弄ったり、挿入したりする。次第に彼の茎の先端から溢れ出す液体が蕾を濡らし始めると、ぐちゅぐちゅと淫靡な水音が部屋に響き始めた。 「姫野の中……凄いことになってるぞ」 「も、いや……あっ……榊君……っ」  瞳に涙を浮かべ、まるで懇願するように言うその姿が、本人の意思とは関係なく、あまりにも淫らで誘うようだった。身体が衝動的に動き、指を荒々しく抜き去ると、愛撫を待ち兼ねて昂ぶった茎を解されたとは言えまだ開かれていない蕾にあてがい、一気に腰を押し進めた。 「っん……! あっ、う……」  顔を苦痛に歪める姫野を見て、止めようと理性がちらつくのに、身体は快楽を貪るように姫野の身体を突き上げた。きっと苦痛のせいだろうが、腰を突き上げる度に彼の中が絞まり、まるで両手で搾られているかのような感覚が猛りを伝わり、全身を突き抜けていく。  しかし、いつの間にか姫野のそれが萎えてしまっていることに気付き、手で扱いて刺激を与えた。すぐに反応し勃ち上がった茎への愛撫と、ようやく馴染んできた俺の雄が内壁を擦る律動によって、快楽の渦に身を委ね始めているようだった。 「榊君っ……あっん……も、いく……っ!」  姫野がびくんびくんと大きく身体を震わせ白濁の液を俺の掌の中に出すと同時に、一気に彼の中が搾まり絞め付けられ、俺も絶頂に達して中にどろりとした精液を吐き出した。  ゆっくりとまだ半勃ち状態の茎を抜き、溢れ出てきた精液を慌ててティッシュで拭い取った。  互いに呼吸を整えながら横になる。そして急に、大人になったはずの俺達が衝動的にやってしまったセックスが、恥ずかしいもののように思えてきた。 「……高校生の時、互いの気持ちを知ったら、同じことしてそう」  姫野はそんなことを言いながら、くすっと笑った。彼の微笑を見詰めながら、俺は彼の額に口付けた。そして、互いに幸せを噛み締めるように笑った。  ――ああ、好きで好きで、仕方が無い。 「今月号の『α』、かなり売上良いらしいですよ」  出勤して荷物をデスクに置いたところで、中田が先日撮影した姫野が表紙の雑誌を差し出す。内美さんの写真はいつみても光と陰影がはっきり出ていて綺麗だ、と思う。 「あ、今俺の恋人きれいーって思ったでしょ」 「茶化すなよ。俺は内美さんの写真が――」  言いかけたところで、携帯の着信音が鳴り、液晶画面には「姫野」の文字が表示される。メールだ。  中田がにやにやしながら覗き込んでくるので、隠すように彼女に背を向けてメールを開く。 『部屋にプライベート用の携帯忘れてきたみたい(汗) 今日また家に行ってもいい?』 「仲が良いですねえ」  と、いつの間にか目の前に内美さんが居て、微笑を浮かべながら画面を覗き込んでいた。 「早く帰りたいでしょうけど、お仕事も大事です。今日の撮影はスタジオですから、機材の搬入作業頑張りましょう」 「はい!」  俺は中田を引き連れ、大型機材用の事務所裏の倉庫に向かった。  高校時代の初恋の思い出を、俺はずっと引き摺って生きてきた。ついこの間まで、こんなことになるとは想像もしなかったけれど、結ばれ恋人になって、恋は愛に変わった。  そんな今、姫野と思い出すあの頃の思い出は、ほろ苦いだけの辛く切ない思い出では無くなった。むしろ、口にすれば思わず笑みが零れるような、甘い、甘い、幸せな思い出に取って代わった。  そして、これからも、そんな甘い思い出が、もっともっと増えていくことを願うのだ。
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