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どうして、日も暮れたころにこんな道端にいるのか。なぜ、クロゥがいっしょなのか。問いただされて、シャノは答えに窮した。
それに、クロゥに申し訳ない気持ちにもなった。彼だって、フェリにこんなところを見られたいとは思わないだろうから。
「シャノが歩いているのを見かけたから、『家』まで送るところなんだ。こう暗くっちゃ、ひとりは危ないだろ?」
クロゥはできるだけ、嘘をつかずにやり過ごすつもりらしい。ふたりとも北の港町に居たということや旅籠のことは話さずに、堂々とした態度でフェリの糾弾をかわす。
「ふぅん、そうなの」
納得していないようすで、フェリは腕を組み、牛車に乗ったまま、シャノたちを見下ろす。話を続けようとしたところで、やんわりと遮る声が上がった。
「嬢様。長話すると、油が切れちまう」
御者の男が面倒くさそうな顔でふりかえり、灯りを親指で示す。フェリの付き添いのおとなしそうな女が同調して、口を挟んだ。
「遅くなれば、旦那さまが気を揉まれます」
叔父のことだ。フェリは話の腰を折られて忌々しそうな顔をした。席に腰を下ろして、こちらを流し見る。
「せいぜい、ゆっくりとお帰り遊ばせ」
嫌みを言われたと気づいたのは、牛車が走り去ったあとだ。シャノより先に、クロゥがぼやく。
「『家』のほうに行くなら、乗せてってくれりゃいいのに」
そのとおりだ。牛車には走れば追いつけるものの、シャノにはそんな気力はなかった。クロゥに手を引かれて帰宅し、何事もなかったかのように部屋に滑りこむ。
パサーは、帰宅が遅れたことへのお小言を口にしたものの、もともとシャノに甘い彼女だ。空腹だろうと、すぐに夕食の支度をしてくれた。美味しい食事を摂って、疲れたからだを寝台に横たえると、もうフェリと会ったことなんて、すっかりと忘れてしまっていた。
だから、寝しなにたたき起こされたとき、シャノはその意味がすぐにはわからなかったのだ。
「お母さまがお呼びですよ。さ、主寝室へ」
あくびをかみ殺す。こくりと縦に首をふる。着替えをすませ、ふらつきながらもパサーに手をひかれて、主寝室のある棟へと歩いた。
母に呼ばれるということは、どういうことか。戸をくぐるころには目が覚めて、あらかた腹も据わっていた。
謝って、どうしても晴れ着が欲しかったのだと主張するべきか。妙な小細工などせずに、話の進むままにまかせたほうがよいのか。
迷ったが、垂れ幕をめくってみて、心配は無用だと思った。両親は夜着をまとっていた。深刻な話をするにふさわしい格好ではない。
安堵して、示された場所に腰をおろす。パサーもついてくるかと思ったが、彼女はさっと席を辞して行ってしまった。
「旅籠で働いているとか」
不意打ちだった。シャノは面をあげた。驚きのあまり、返答は喘ぎまじりになった。
「どうして、それを……?」
母は端然と座ったまま、ほほえんでいる。父はひとことも発さない。微動だにしない。
「どうして、知らないと思ったの?」
なんでもないように聞きかえされて、シャノは目を見開いた。
自分でも思いかえしてみる。旅籠のご主人はイシナの夫だ。働きはじめる前に『家』に連絡のひとつもないわけがなかったのだ。いまも毎晩のように夕食直前に帰って、朝早くに出かけている。疑う余地はたくさんあった。
「晴れ着のことは、悪かったと思ってるのよ。でもね、シャノ」
──働くなと、言われてしまうのだろうか。
耳を傾けて動けないでいるシャノに、母はゆっくりとたたみかけた。
「パサーが言ってたわ。あなた、戸棚にお給金を隠してるんですって? 不用心ですよ」
ころころと上品に笑って、母は、ねぇ、と隣に同意をもとめる。拍子抜けしているシャノに気がついているのか、いないのか。父もかすかにうなずいてよこす。
「夜道も港町も、危ないのはわかったろう。送り迎えは、必要か?」
「あら、それは引き続きお願いしておけばいいわよ、ねぇ?」
首を傾げるシャノに、母がうふふ、と笑う。
「幼なじみですよ。男の子が『家』まで送ってくれているのでしょう?」
それを聞いて、父は渋面になったが、特段何も言わなかった。母は続ける。
「来年には大人になるとは言っても、シャノはまだ子どもなんですからね。隠れて勝手な真似はおやめなさい。いざというときに守ってやることもできないわ」
うなずく父のまなざしは、厳しくもやさしい。言いふくめられて、シャノは頭がさがる思いがした。叱られるだの怒られるだの、両親がとる行動にばかり思いをめぐらせていた。
それが子どもだというのだ。なんのための行動かも考えずに、うっとうしい束縛だと思い、かえって自分の身を危険に晒して。
「ご心配をおかけして、すみませんでした」
謝罪のことばが口から滑りでていった。自分から、深々と頭をさげる。
「やあね、他人行儀な」
苦笑して、父母は目を見交わす。そうして、話の後を父が引き継ぐ。
「できるかぎりのことをしてみなさい」
からだの底から、笑みがわきあがるのを、押さえられなかった。
「……はい!」
威勢よくを返事をするのを認めると、父は戸口に目をあてた。笑いぶくみで声をかける。
「聞こえたろう? 話は終わったよ」
かたり。物音がして、気兼ねしたようすの乳母が、顔をのぞかせる。
「あとは頼んだよ」
声も出なくなったらしかった。感激したように何度もお辞儀をして、パサーはシャノをひきたたせた。
主寝室の外に出るとき、入り口に焚かれていたかがり火にパサーの目がひかった。双眸に涙が浮かんでいる。原因を考えてみて、やっと、シャノはそのことに思いいたった。
「ごめんね、パサー。あなたの責任じゃないのに。言っておくべきだった」
目元のうるみが、増した気がした。パサーはかぶりをふる。それから、ちょっと笑う。
「……でも、そうですね。もうすこし、信頼してほしかったとは思います」
「知っていても、お父さまたちに言わないでおいてくれるとは、信じてた」
ふふっと声をたてて、そんなことを言うと、パサーはシャノが幼いときのように、メッと表情でしかるフリをした。
それにしても、と、パサーは頬に手を当て、ため息をついた。
「見て見ぬふりをなさるおこころづもりでいらしたでしょうに。どなたかが、わざわざお耳に入れたのでしょうか」
両親に要らぬ告げ口をする人物。シャノにも、ひとりだけ、こころあたりがある。つい先刻会ったばかりの美しい娘の顔を思い出して、シャノは少しだけ、憂鬱になった。
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