《海神の巫女》の葬送

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 白い日差しのなか、粘ついた海のかおりがたちこめる。シャノは短く刈られた草を踏みしめ、『家』の広い外庭を渡る。  打ち鳴らされる鼓の軽やかなリズムに、自然と歩調が合う。奏者をねぎらうように、ときおり風が吹きすぎ、ついでのようにシャノの空色の祝い着の裾を揺らしていった。  こんなにやさしい風は、夏には吹かない。夏に吹くのは、雨雲をつれた大風だ。島に秋が訪れたことを感じながらも、じりじりと肌を灼く日差しには閉口する。  石造りの倉庫の陰に入ると、頬にひんやりとした空気がふれた。なかはからりと冷えてここちよさそうだ。  倉庫の壁に、外からの鉄琴の音が響く。階段をのぼりおりするような旋律に乗って、笛がきこえる。たくさんの鈴も。  『家』の庭で楽が催されるのは、慶事のときだけだ。ふだんなら、楽はタキハヤを介して海神に捧げられるが、今日は違う。この楽は、蒼穹の神へのとりなしを願う捧げ物だ。蒼穹の神と約定をかわすのは、アカサの仕事。『家』は、場を提供しているに過ぎない。  ひとの声や気配がうるさい。近隣の住人がたくさん、シャノの曾祖母の葬儀の手伝いに来ているのだ。おかげで朝から、どこもかしこも知らない顔ばかり。いつもならば、家族以外は使用人とみてよいが、今日ばかりはうかつにものも頼めない。  島では、葬儀はいっとう特別な祝いごとだ。地につなぎ止められていた魂が蒼穹へ帰り、からだは海へ還される。晴れやかな儀式に涙はない。タキハヤであった曾祖母の葬儀ともなれば、規模はそれこそ別格で、祭りのような盛大な葬儀になる。  代々、タキハヤを務める『家』は、島いちばんの土地持ちだし、島じゅうのどんな子どもであっても、タキハヤの祝福なしでは成人できない。関わりのある人間が出るだけでも、島民が総出で執り行う儀式になるだろう。  暗がりに目が慣れると、倉庫の壁ぎわに立てかけられた花輪飾りのそれぞれの色もわかるようになった。両腕を伸ばしてやっと抱えられるかどうかの花輪を吟味して、ひとつを選びとる。  薄紅の花輪飾りは、シャノのまとう青空色の祝い着によく映えた。まるで、暮れなずむ空の色だ。  裏側に渡された木の持ち手をつかみ、顔をあげると、外から歌声がきこえた。鉄琴よりも高く、清らかに澄んだ声は、葬送の調べのなかでひときわ目立っている。  フェリだ。  シャノは倉庫を出た。日のまぶしさに目を細め、日傘がわりに花輪飾りをかざす。  ああ、やっぱり。  求める姿はすぐに見つかった。蜂蜜色がかった金の巻き毛は、フェリが頭を揺らすたびにきらめく。同じ色のまつげに隠された濃いすみれ色の瞳は可憐だし、色もめずらしい。くすみのひとつもないまっしろな肌と、すうっときれいにとがった顎は、腕利きの職人が丹念に作りこんだ人形のようだった。  母親ゆずりの異国風の容姿は、同年代の娘のなかでも際だってうるわしい。蒼穹の神は金を好むと言う。彼女は、もしかしたら蒼穹の神に愛されているのかもしれない。  花輪飾りの陰で、シャノはちょっぴり、くちびるをかんだ。  ゆるく波打つのは同じでも、シャノの髪は漆黒だし、しなやかさに欠ける。肌は煮詰めた蜜の色だし、瞳は海色で、ありふれている。手足はひょろ長くて、やせっぽちだから、ほんとうはフェリのような太すぎず細すぎずふっくらとした四肢がうらやましい。  いえ、実はそこだけではない。  シャノは胸元に目を落とした。たっぷりと取られた祝い着のひだは、ふくらみもなくすとんと落ちきっている。  こう、もうちょっとこのあたりにメリハリがあっても!  シャノのよいところはぜんぶ、『家』の直系の娘であれば、持ち合わせているものだ。曾祖母も母も姉たちも妹たちも、みな似ている。──やせているのはシャノだけだけれど。  フェリの歌声が、神経を逆撫でる。  いったい、だれが歌い手を頼んだのだろう。シャノは負けじと、くちびるを開いた。  フェリは、母の弟の娘。従妹ではあるが、『家』の娘ではない。『家』は母系でつながるからだ。彼女が蒼穹の神に愛されていたとしても、シャノが海神に溺愛されていることに変わりはない。  低めのまろやかな声が延びる。硬質なフェリの声をふんわりとくるみ、覆っていく。  ほら、こんなにも、シャノとフェリは違う。  やがて、庭に響くのはシャノの声だけになった。フェリがうたうのをやめてぼうぜんとしているのを横目に、シャノは楽団を奪いとり、従える。  得意になって、かざしていた花輪飾りを下ろす。両手で持ち手をつかんで、その場でくるりと回る。振り回された薄紅の花輪飾りがふわりと浮かび、祝い着の裾がふくらむのをみて、姉や妹が歓声をあげた。  シャノが歌い踊るのを真似て、妹たちがそれぞれに花輪飾りを持ち出してくる。姉がシャノのうたに声を被せる。似通った低めの響きは、フェリのときのようには反発しあわない。互いの響きは重なり、とろけていく。  いつのまにか、葬儀の手伝いに来ていた者たちも巻きこんで、早くもお祭り騒ぎになっていた。どの顔にも笑みが絶えない。  楽しい!  笑顔で周囲を見渡したときだ。すこし遠巻きにしている一団に気がついた。椰子の木の下で、フェリとその父親である叔父が、シャノの両親とことばを交わしている。母がこちらを一瞥し、あきれたようにするのを見て、シャノは踊るのをやめた。ふいに歌声が止むと、葬送曲まで止まった。気まずいふんいきは瞬く間に広がる。  父のため息が聞こえるほど、あたりは静寂につつまれた。男衆に指示が出され、楽団には曲の続きが依頼される。母は、女たちに細かな仕事を言いつけるや、シャノを見据えた。 「こちらへいらっしゃい」  有無を言わせぬ口調だった。シャノは隣にいた姉に花輪飾りをまかせると、きびすをかえした母のあとを追った。
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