《海神の巫女》の葬送

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 今日の空は抜けるように青く、高い。葬儀のような祝いごとに、まさにふさわしい。鳴り続ける葬送の楽はもう、遠くなっている。 「メーナは飴が好きなの?」  問われて、メーナはかぶりを振った。 「ケチャがね、歯が痛くなるから、甘いものはくれないの」  初めて食べるのか。好物でもないものを時間をかけて買いにやらせるなんて、と、シャノはこめかみを押さえて、ため息をついた。  飴屋までは、メーナの足では長い道のりになる。島の南に位置する『家』の敷地をこのまま抜けて、棚田の脇の坂道をのぼり、農村を抜けて、アカサの一族が住む山を遠く左手に見ながら、海の見えるところまで下る。砂浜を行くと消耗するから、シャノはもっぱら、崖の上の道を歩く。海辺の道沿いには、外からの客向けの宿もあれば、民家もある。でも、店はない。店を利用するのは、外の人間だ。だから、そうしたものは島の北側に集まっている。  棚田へと歩くほどに、道は狭くなっていく。さきほどまでは『家』の敷地の周辺だった。ここから先は集落だ。もうちょっと行けば、もっと道幅が狭まり、家々のあいだも近くなってくる。  また、風が出てきていた。助かる。緩やかな上り坂は思いのほか、シャノのからだをほてらせている。メーナはと見やれば、頬は赤いながらも余裕があるようで、先に行きたそうにうずうずしている。 「先に行ってもいいよ。てっぺんに着いたら、待っていて」  走るように飛び出していく小さな背を見送り、シャノはいったん足をとめた。  乾季が終わりに近づくいま、田は青々としている。年に二度取れる新米は、『家』にも納められる。儀式にも使うし、食卓にも上る。水門や耕作具の管理に、『家』出身の男性が多く関わっているからだ。  むこうのヤシの林が揺れ、シャノのもとまで風が届く。メーナが不安そうに少し戻ってくるのが見える。シャノはそちらへ微笑んでみせながら、どうやって時間をつぶそうかと考えを巡らせる。  メーナと手をつないで、海のほうへ続く道を選ぶ。ゆるい風で、服の裾が脛にまとわりつく。べたついた海風に、メーナもふらついた。鼻の奥につんとくる潮のにおいが戻ってくる。  歩みの定まらない妹を引きよせ、自分の影に隠す。メーナは顔をあげてシャノを見て、また前をむいた。  服の裾が風をはらみ、ふわりとまくれあがる。とっさに空いた手で裾を押さえてみて、メーナが真似をしていることに気がついた。小さな五指をひろげて、たいしてめくれてもいない裾をぺたぺたと叩いて押さえつけている。  口元がこらえきれない笑いを刻む。目があった。歯を見せて笑みかえされて、ふたり、まるで共犯者のように声をころす。  シャノはその場にしゃがみこんで、メーナの腰を片手で支え、行く手を指さした。視線の高さをあわせると、世界は大きく広くなる。  道のずっと先、大きく弓なりになった湾の対岸、岬のあたりに、黒ずんだ寺院の尖塔が屹立している。  天を突くかたちではない。燃え立つ炎のように、いくつもの尖塔が集まっている。 「見える? 飴屋は、あの寺院のすぐ傍よ」  寺院は、北側との中間地点に当たる。外からの旅人は、ああいう古びた寺院が大好きだ。外の人が外から持ってきて、勝手に植え付けていった建物。それを見て、いかにも島らしいと言って感心する。  タキハヤもアカサも、寺院が祭るのは別の神なのだからと存在を認め、好きにさせている。その証拠に、次期タキハヤのはずの母だって、寺院のそばまで我が子に飴を買いにやらせるのだ。  でも、あちらの態度は違う。島に元々いた蒼穹の神も海神も、他のたくさんの神々も、寺院に祭られている者の顔のひとつだと言って憚らない。  恥ずかしいふるまいだと、シャノは思う。  巫女や巫人がいる限り、神の声は届く。寺院で信じられているのとは違う神がいることや、海神と蒼穹の神は別々であるということくらい、どうして受け入れられないのか。  メーナが立ち止まる。 「……どうしたの?」  シャノの顔色をうかがうように見上げて、つないでいないほうの手で、服の裾をぎゅっと握る。 「ジイン、怖い?」  怖い? どうしてそんな話になるのだろう。いぶかしむと、メーナは心配そうにする。 「お姉ちゃん、怖い?」  シャノは自分の頬にふれた。そんなに険しい顔になってしまっていただろうか。 「怖くないわよ、平気よ。おいしい飴を買いましょうね」  努めて笑顔を作って、やさしく言って、先をうながす。メーナは「ほんとうかな」と疑うような顔をしながら歩きはじめる。シャノはかけっこを提案したり、歌に誘ったりと、忙しく妹の気を紛らせつづけた。  やがて見えてきた茅葺き屋根の下には、数人の少年がたむろしていた。見知った顔があるかどうか、この距離ではわからない。店を示す幕は、飴と同じ濃い黄色をしている。  タキハヤの葬儀は島ぐるみで行うものだが、親族や使用人、よほど近所に住む者の子でもないかぎり、子どもの出る幕はない。彼らも暇を持て余しているのだろう。 「あれが飴のお店?」  メーナがようやく前をみて、指をさす。 「そう、あれよ」  うなずくと、メーナの足取りは目に見えて軽くなっていった。シャノをなかばひきずるようにして、メーナはまっすぐに飴屋に近づいていく。  生姜のすっきりした香りと、ねっとりとした甘いにおいが混じって届く。メーナがうずうずしている。  少年たちの声が聞こえる距離になった。ひとりと視線が合い、シャノは首をかしげる。知り合い、だろうか。相手は笑顔になって、集団から離れ、一直線にシャノたちのほうへ歩いてきた。
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