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「ひさしぶり! 今日は忙しいのかと思ってた」
黒々とした瞳がシャノを見る。返答を要求する。相手の名もわからずに、シャノはあいまいに微笑んだ。てきとうにやり過ごしてしまおうとしたのに、彼の目はメーナを捉えた。
「……妹?」
「メーナって言うの。葬儀のあいだ、お守りをしてくれって母に頼まれて」
シャノはメーナの手を軽くひっぱった。あいさつをと思ったのだが、メーナのほうは何をうながされたのかわからなかったのだろう。姉を見あげ、母に甘えていたときのように服をつかみよせ、そそくさとうしろに隠れてしまう。
「メーナ、あいさつは?」
たしなめようとしたのを片手で制して、彼はシャノの足元に片膝をついた。メーナと同じ高さにかがんで、目を合わせる。
「俺はクロゥ。お姉さんと同い年なんだ。漁師の手伝いをしてる」
さっきまで名も思いだせなかったクロゥのことを、シャノはまじまじと見おろした。優男然としているが、漁師ということは、家業を手伝っているのだろう。言われてみれば、年齢の割に肩と胸にいくらか厚みがある。
「メーナね、いま、このくらい!」
指を四本立てて年齢を主張したメーナに、クロゥの手が伸びる。
「そうか、四つかぁ。うちの弟より小さいのに、しっかりしてる」
褒められたメーナは、もう怯えても恥ずかしがってもいなかった。頬にふれられ、一拍置いて、にこりとする。気持ちを共有しようと言うのか、うれしそうに見あげられ、ついつい口元がほころぶ。
シャノも膝を曲げる。風で乱れていた髪をなでつけてやると、笑ったまま、くすぐったそうに身をよじらせる。クロゥの手があやすようにメーナの頬をつついた。
「メーナはお姉さんにそっくりだね」
「ほんとうっ?」
「ああ。ほんとうだよ。大きくなったら、きっときれいになる」
人見知りもなんのその、大喜びのメーナにつられて、「よかったわね」と言おうとして、思考がとまった。鼓動が跳ねる。
いま、なんて……?
クロゥも言ってから気がついたらしい。ふれれば届くような距離で視線がかちあった。口を開こうとしたのは、ほぼ同時だった。
「わ、悪い。そんなつもりじゃ」
とっさにことばがでなかったシャノに対して、クロゥは不自然なほど大きな声をだして、メーナから手を離した。そのせいでメーナがまた不安そうになったのを、シャノは見逃さなかった。
「メーナは、『家』の娘ですもの。お姉ちゃんとそっくりで当然よね」
微笑んで、シャノはメーナの両頬を手で包んだ。額と額をくっつけて、互いの瞳をのぞきこむ。
「ほらね、みんなとおんなじ目をしてるわ。遠浅の明るい海の色」
最後に、祝福をほどこすように額にくちづけて、シャノはたちあがった。妹の背に手をあてて、しゃがんだままのクロゥを一瞥する。
「じゃあ、またね、クロゥ」
有無をいわせず別れのあいさつをして、飴屋の露店にむかう。銅貨をとりだし、メーナの手に握らせてやる。
「ほら、自分で買ってごらん」
メーナは銅貨をつきかえして、頭をふった。くちびるをまげて、目でうったえかける。
シャノはちらりと露店の店主をみやった。注文待ちの体勢である。どの飴が欲しいのかと、弱ったようすだ。
問題は店主の人相だろうと、なんとなくシャノにも見当がついていた。シャノもはじめは怖いと思った。だが、何度目かには慣れた。
愛想がないように見える。単に口べたで照れ屋なだけなのだ。根本的なところでは、ふたりとも同じように恥ずかしがりなのである。
太い眉の下、店主の黒い瞳にじろりと見据えられる。無言で『なんとかしてくれ』と訴えかけられて、シャノは苦笑いをかえした。
「メーナが買わないんなら、飴はお姉ちゃんが買って、ひとりで食べちゃおうかしらね」
固い飴は、まだ喉に詰まらせるかもしれない。シャノは水飴の入った壺を指さし、目で合図する。店主はうなずき、ひしゃくと器を手にした。
銅貨をとりあげるふりをすると、メーナはさっと手をうしろに隠す。さきほどまで、あんなにつきかえそうとしていたのに。
笑いそうになりつつも、シャノはせいいっぱいしかつめらしい顔をしてみせた。
「飴代だからね?」
釘を刺して、うながす。他に客の居ないときでよかった。時間はたっぷりある。店主も根気強く待ってくれている。
メーナは決意したように顔をあげ、銅貨を握った手をかかげた。
「飴、……ください」
尻つぼみではあるが、ちゃんと言えた。店主はわずかに目を細め、掬いだした飴を木の椀に注いだ。
小さな手が受けとった椀には、飴がなみなみと注がれていた。たぶん、おまけしてくれたのだろう。ケール銅貨一枚では、きっとこの量は買えない。
飴にささった店主手製の小さじをつまみ、食べかたを思案するメーナに、店主がはじめて口を開いた。
「白くなるまで練って、さじにからめて食べるんだよ」
素直に従って、メーナは飴を練りはじめる。妹の背に手をやり、シャノは店主に目礼した。
「椀は、あとで下男に持たせます」
「はい。なんなら取りにうかがいましょう」
小声でやりとりして、そそくさと立ち去る。だいぶ店から離れたころに、何気なく半身ふりかえった。もしかしたら、知らずに視線を感じていたのかもしれない。
クロゥがこちらを見つめていた。視線が絡んだとたんに、にかっと人のよさそうな笑顔を浮かべた彼を見て、シャノは声にならない悲鳴をあげた。いやだったわけではない。なんだかとても、恥ずかしかった。
──何よ、何よ、もうっ!
隠れるように彼の笑顔に背をむけて、シャノはメーナの手を引き、少しでも暇をつぶすため、砂浜へと降りていった。
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