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砂が白く目を焼く。履物が砂にめり込む。日差しから隠れる場所を求めて、シャノは大きなヤシの木を探した。いつもなら、木陰は海辺で働く者の休憩所になっているものだ。漁師の妻たちがおしゃべりをしながら投げ網を繕ったり、男たちが戻ったときのための食事を用意していたりする。
だが、今日はどこにも、女たちの姿はなかった。そういえば、海にも船影がない。漁師の手伝いをしていると言うクロゥも、陸で暇そうにしていたではないか。
もしかしたら、漁師もみんな、『家』の葬儀の手伝いに駆りだされているのだろうか。
無人の休憩所に腰をおろして、シャノは膝元にメーナを呼びよせた。メーナはシャノにだっこされることにためらいはないらしかった。遠慮のない重みが膝に乗る。見た目よりもずっしりと詰まった重さがある。ふくふくとしたおなかに手をまわしてみて、シャノはふしぎな気分になった。
もう二、三年もしたら、シャノも子どもを産むだろう。いちばん上の姉が生まれたのは、母が十八のときだと言う。島の娘は、早ければ成人してすぐに結婚し、家庭を持つものだ。
きっと、自分もそうなるのだろう。結婚相手もいないのに、それだけは確信する。母も、祖母も、祖母の母も、祖母の祖母も。タキハヤの血筋を支えてきたのは、常に娘だ。シャノは五番目の娘だから、たぶんタキハヤになることはないけれど。
飴が白くなる。メーナが小さじで飴をすくいあげる。口元にふくむと、こちらにもすこし焦げたような甘いかおりが届く。
はじめての子がメーナくらいの大きさになるころには、三児の母にでもなっていそうだ。想像したら、ふしぎを通りこして不可解になって、目を遠くへ転じる。
メーナが飴のついた小さじをはみながら、こてん、とシャノの胸に頭を預ける。風の吹くなかでは、高い体温も悪くない。
しっかりと抱きとめたまま、シャノもまたうしろに背をかたむけた。木によりかかり、海をながめる。
その年に焼いた骨は、年の末にくだいて海に撒く。海の底、根の下の国にからだは還り、魂は煙とともに蒼穹の上の国へ還る。
海は、大きくて広い墓だ。海神の巫女は、墓守でもある。
骨を撒く段になって、アカサからタキハヤへと、葬儀の祭司はうつる。アカサは汚れとは無縁だ。魂のなくなったからだや、骨は汚れている。ふれられない。
変なの。シャノは目を閉じた。
いまの自分も、アカサにとっては汚れだ。成年の儀式を経て、清められなければ、魂はからだに入れない。
古い言いかたをすれば、シャノはまだ、『生きていない』。儀式は今年の末に控えているけれど、産もうとすれば子どもをつくることができると知っているけれど、シャノは『生きていない』。ひとではないから、産むこともできない。
ずしり、メーナのからだが重くなる。椀が手からこぼれる音がする。地面に落ちて、近くの小石にあたって、とまって。
耳をすませて波の声を聴くうちに、シャノもまた、まどろみにつかまっていった。
「そんなのいや、お姉ちゃん!」
叫んだとたん、視界が明るくなった。びっくりして目をすがめ、おなかにもたれかかる重みに気がついた。メーナが気持ちよさそうに吐息をたてている。顔にかかる髪をよけてやり、シャノはぼんやりとまばたきをくりかえした。
むかしの夢でも見たのだろうか。
木陰から外れ、メーナの足元がひなたに出ている。ずりおちた妹のからだを膝にひきあげる。
さて、影が動いたということは、日が動いたということで。
からだがはねた。膝のうえでメーナが身じろぐ。シャノは妹をたたき起こした。
「起きてっ! 火葬にまにあわなくなっちゃうわ!」
目が覚めたはいいが、メーナは歩けそうにない。抱いていたので気がつかなかったが、手も頬も飴でべとついていたらしい。飛んできた砂がくっついて、酷いありさまだった。
「ほら、メーナ。手と顔をすすがなきゃ。歩いて!」
腹に力をこめて、えいっと抱きあげ、あやうく前に転びそうになる。四つともなると、いくら子どもといえども重い。小柄でよかったとは思うものの、それでも、シャノの手には余る。腕の皮がちぎれそうだった。
なんとか波打ち際につれていき、手を洗わせる。飴の椀をすすぎ、汲んだ水で顔も撫で洗う。体裁さえ整えばよい。
火葬場に行くには、『家』まで一度戻らねばならない。もたもたしている時間は無い。シャノはメーナの手を引こうとして、諦めた。歩いてくれない妹をどうにかこうにか肩に抱え上げ、砂浜から道へ上がろうと試みる。岩場でふらつきながらも、途中まであがったときだ。
道のほうから、呼び声がした。
「シャノ! 莫迦、何やってんだよ!」
またたく間に駆けおりてくるや、彼は手を差しだした。意味がわからないでいると、少し怒ったように、メーナの両脇に手がかかる。
「メーナをよこしな。シャノには無理だ」
そう言って、シャノから重みを取り上げて、クロゥは軽々とメーナを抱き、あっという間に斜面をあがっていく。
ぼうぜんとしてそのようすを見上げていたシャノのもとに、クロゥはまた降りてきて、今度はシャノの手を取った。
「あがれる? ここは険しいから、慣れてないと危ないんだ」
「そうなの?」
岩場など、どこも同じだと思っていた。
言われた側から足を踏み外しかけたシャノを見て、彼はためらいなく判断を下す。
「悪い、急ぐから」
断りを入れるなり、横抱きにされて、シャノはひゃあっと声を漏らした。頭が真っ白になる。クロゥは両手が塞がった状態でも、難なく道へとむかっていく。その横顔を見て、呼吸の音を聞いて、クロゥは違う生き物なのだなと感心する。
彼の額から流れる汗が、まぶたに伝う。とっさに手を伸ばして指で拭ってやると、クロゥは驚いたようにこちらを見た。
「えっ、どうしたの?」
ふりむかれたシャノのほうが困惑していると、クロゥは喉を鳴らして顔をそむけた。
「なんでもない」
つぶやくように言い、道でおとなしく待っていたメーナの側に、シャノを下ろした。
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