9人が本棚に入れています
本棚に追加
「もうそろそろ、タキハヤ様の柩が火葬場に着いちまう。だのに、シャノたちが帰ってないって聞いて、心配で飛んできたんだ」
「たいへん! のんびりし過ぎちゃったわ」
口元を覆ったシャノに、なぜかクロゥは少し笑った。メーナを負ぶって、顎をしゃくる。
「急ごう」
うなずき、シャノは走りだした。
火葬場は、『家』よりも海神の神殿に近い。海辺にしつらえてある。そこを往復したのだ。道理で、クロゥが汗だくなわけである。
クロゥの上着や肩にしがみつきながら、メーナは愉快そうに笑っている。馬や車に乗るのと同じような感覚なのだろう。
はしゃぎすぎて落ちないでと声をかけると、はーいと、おざなりな返事があった。呆れたシャノにクロゥが目配せする。だいじょうぶ、俺が支えてるから。笑った目元がそう言っている気がして、ふしぎと安心する。
シャノを抱きあげられるクロゥなら、むざむざメーナを落としはしないだろう。
「あいさつは、順番決まってるの?」
「きちんとは決まっていないの。でも、『家』の人間はいちばん最後のはずよ」
シャノもメーナも、祖母の長女の娘だ。最後のほうになるだろうが、間に合わず、あいさつをしなかった、なんて許されない。
『家』の前にさしかかると、シャノを見て、使用人がこぞってあわてたようすで火葬場の方角を指さし、促すようなしぐさを見せた。
火葬場に近づいていくにつれ、ひとが増えてきた。外からの旅人らしき風体のひとびともある。タキハヤの葬儀はめずらしい。見物でもしにきたのだろう。
神殿の側の広場が火葬場だ。広場の入り口の目印に、背の高い椰子がみえる。まだ青い果実の重みでたわんで、広場の中心にむかって頭を垂れているようにみえる。
ふだんの火葬では、ここにいくつかの柩が並ぶ。葬儀の楽や人手も、火葬のための燃料も、一家族で用意するのはむずかしいのだと言う。だから、いくらか柩が集まるのを待って、合同で葬儀を行うのだ。
だが、タキハヤはひとりきりで葬儀が行われる。馬の柩は、ぽつねんと広場の中心に置かれていた。柩の蓋も、開いている。別れのあいさつは始まっていた。百を超す一族がぞろぞろと列を成し、自分の番を待って並んでいる。
フェリがあいさつを終えて戻ってくるのが見えて、シャノは走るのをやめた。
「シャノ?」
クロゥはメーナを地面におろして、いぶかしそうにシャノの視線のさきを確かめる。
「もう急がなくても、だいじょうぶだわ、なんとか間に合ったみたい」
『家』の兄弟姉妹がこちらに気づいて、小さく手招きする。メーナを先にやりながら、シャノは遠目にも輝く金色の髪から目を離せずにいた。クロゥが気づいて、問いかける。
「あいつも同い年じゃなかったっけ?」
「同い年だけど、よそのひとから生まれた娘だから」
フェリの母親は異国人だ。大陸の中央から来た学者一家のひとり娘だった。叔父と恋に落ちて、娘をさずかって、ずっと島で暮らすのかと思っていたのに、娘を置いていなくなってしまった。
どんな事情があるのか、シャノは知らない。ただ、母が何度か叔父に、フェリを『家』で育てようかと申し出たといううわさだけは、使用人や乳母を介して耳にしたことがある。
叔父は申し出をつっぱねた。そうして、『家』の娘にも負けないくらいにフェリを磨きたて飾りたて、かわいがった。
フェリはいつも、よそゆきみたいな服ばかり着ていたし、髪の毛は稲穂のようにきらめく金色で、ふわふわだった。
シャノたちが泥だらけで転げまわっていても、服や手足が汚れるからと、いっしょには遊ばなかった。ほんとうは誰よりうずうずしているのを、シャノたちはみんな知っていた。
叔父に言わされているだけなのだと。
金髪がゆらめく。近づいてきたフェリは、あいさつの列に歩みよっていくシャノを見て、とてもあでやかに笑った。その笑顔のまま、シャノの隣のクロゥに目をむけ、小首をかしげる。勝ち誇ったような笑みに、なんだか胸騒ぎがした。
「へぇ、意外と仲いいんだな」
「どこが?」
女が笑顔を向け合うからって、仲がよいとは限らない。シャノは、よくわかっていないようすのクロゥを見上げた。
「いまのは媚びを売られたのよ。それくらい気づかなきゃ。もうすぐ成人でしょ?」
「え? ……へっ?」
うろたえるクロゥに、メーナを運んでくれた礼を述べ、シャノは兄弟姉妹の列に入った。
「人前でいちゃつくんじゃないわよ、まだ子どもなんだから」
「お礼を言っただけよ」
姉と囁きを交わし、列の進みを見守る。ひとりずつ、ひとりずつ、シャノの番が近づいてくる。従姉のイシナがあいさつの番を迎えて進み出る。
その表情が凍りつくのが、横顔でわかる。まさか、もう曾祖母の遺体はそんなに傷んでいるのだろうか。それは、あまり見たくないなと思いながら、シャノはまた一歩進む。
戻ってきたイシナはシャノと目が合うと、何か言いたげにする。
──いったい、何なの?
姉や兄も、皆、曾祖母を見て、次々に動きをとめる。何が起きているのだろう。
シャノはおそるおそる馬型の柩にむきなおった。好奇心よりも、すでに恐れが勝っていた。自分の番が来て、柩のなかの曾祖母に膝を折る。そして、さらに近づいて、のぞきこんで、──シャノは、息をのんだ。
「嘘……」
つぶやきがもれてしまった。シャノは口元に手をあて、あいさつも忘れてしりぞいた。
背を強く押し戻す手があった。クロゥだろうか。クロゥなら、わかってくれるはず。期待してふりむいたそこには、険しい顔をした母がいた。無理に柩のそばへ戻されて、あいさつをさせられる。
曾祖母の着る晴れ着のふちで、海色が主張している。《華》と、《馬》と、《海老》。間違いない。シャノの晴れ着だ。成年の儀礼で着るために仕立てた晴れ着が、なぜここにあるのだろう。なぜ、曾祖母が着ているのだろう。
……ひいおばあさまが、ひいおばあさまが着ていたら、このまま燃やされてしまうのに!
文句をいうことも許されなかった。手順のとおりにあいさつを終えたら、問答無用で柩から引きはがされた。
故人の晴れ着は魂に着せるもの。蒼穹の神のおぼえがよくなるようにまとわせるもの。
ことばでは知っている。あたまでは理解している。尊敬する曾祖母の旅立ちにつかわれるのなら光栄だと、思うべきなのだ、きっと。
シャノはくちびるを噛んだ。
──わたし、メーナの子守をまかされたんじゃなかった。晴れ着をとりあげるために、追いやられたんだ!
フェリの勝ち誇った笑みの意味が、いまになってわかった。
曾祖母が火葬にされるあいだ、シャノはうつむいたきりだった。蒼穹にのぼる煙なんて、一度も見送らなかった。
最初のコメントを投稿しよう!