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南の『家』と北の港町
葬儀のあとの宴は、ほとんど記憶にない。宴がおひらきになってすぐに寝床に臥して、気づいたら眠ってしまっていた。
起きたのは昼過ぎだった。いつもは寝坊をきつくしかる乳母も、今日はお小言の長さも声量もひかえめだった。
井戸の水で顔をひやして、目元の腫れをおさえる。いつもより、水がつめたい気がするのは、顔が熱を持っているからだろう。
すれちがう使用人の態度も、どこか腫れ物にさわるような感じがして、シャノは散歩にいくことにした。
乳母に行き先をつげて、『家』を出る。足取りはおぼつかない。……とりやめて、岬のほうへいって、神殿に参ろうか。
タキハヤの祈りをささげる神殿は岬の崖下にある。遠いむかしに、波が岩をえぐった洞穴だ。大風の日に海が荒れれば、洞穴の祭壇もすっかり流され、さらわれてしまう。
今日なら、問題なく行けるだろう。
そう思ったが、足は火葬場を過ぎ、島の西側へとむかっていた。
石造りの平屋がみえた。長屋の窓のいくつかからは、いつでも湯気があがっている。
入り口の奥は暗くかげっていた。気づかれないように近づいていくと、歌と機の音がきこえてくる。
いちばん手前は、機織りの工房だ。女たちが歌をうたって拍子をとって、かたんかたんと足をふみならしている。
ひょいとのぞきこむと、だんだんと暗がりに目がなれて、工房のようすがみえてくる。
織機のペダルが鳴るたびに、経糸が交互にせりだしてくる。女たちは老いも若きも一様に、手に短剣のような糸巻きをいくつも持って、経糸のあいだをひゅうっと滑らせる。
色とりどりの緯糸が見る間に《鹿》を草原に放ち、《首架木》に笑顔の首を実らせる。さいきんはあまりつかわない文様だ。大陸の人間との交易で売る品物なのかもしれない。ぶあついところをみるに、敷物だろうか。
隣の工房からは濃い草木のにおいがする。四角く空けた高窓から、白い湯気と熱気とが、一直線に天をめざす。染料を煎じているのだ。
しきりに行き交うひとびとのきびきびとした動きに、シャノはみとれた。
この工房にあの晴れ着の仕立てを頼んだ。できあがるまでに幾度か見に来たこともある。何人かと目があったが、会釈ひとつ返ってこないところをみると、機織りの工房にはシャノを知る者はないらしい。
工房で働いているのは、主に女だ。シャノと同年輩の娘から、五十くらいの女性までがめいめいに機を操っている。あの女たちの手元で生まれる新しい布地の一枚でも、自分のものであればいいのに。
曾祖母の葬儀には、大金がかかった。葬儀代で、一年ぶんの田畑の収入はゆうに出ていったらしい。棺や葬式飾り、臨時雇いの人夫や楽団のお給金に、宴でふるまわれた酒や食事。方々から集まってきた親族の舟代や宿代もこちら持ち。巫人のアカサにも、ただびとではなくてタキハヤの魂を蒼穹に送ってもらうのだから、相応の志を包まねばならないし、新しいタキハヤのお披露目の衣装だって、仕立てなければならない。長女でもない五番目の娘のことなんか、後回しだ。
たまたまシャノの儀礼が重なっていなければ、曾祖母には新しい晴れ着ではなく、いつもの装束を着せただろう。どうして、それではいけなかったのか。着古しているからか。
──もう一度晴れ着を仕立ててもらうのって、やっぱり無理なのかなあ。
フェリはあのきれいな晴れ着をまとうのに、自分はもしかして、葬儀に着ていた着古しの祝い着で儀礼にでなければならないのだろうか。
──そんなの、恥ずかしすぎる。
『家』は、もっと裕福なのだと思っていた。たった一回の葬儀でふきとんでしまうような財産しか持っていなかっただなんて、思いもよらなかった。嫁いだ姉や親類に金の無心をしなければ、新しい晴れ着など仕立てられないだろう。
タキハヤはいろいろなときに島の方々に呼ばれる。まじないでひとを直すこともする。そのたびに多額の謝礼を受けとっているはずだし、祭司やまじないだけではなくて、田畑の収入もある。それでも、足りないものなのだろうか。
わからなかった。
あれ? と、シャノは口元に手をあてる。よく考えたら、具体的には知らない。とにかく、いっぱいお金がかかることしか知らない。
葬儀って、いくらかかるの? 晴れ着って、いくらぐらいするものなのかしら?
金額を言われたところで、自分にはわからないだろう。飴が何人ぶん買える、なんて、陳腐な換算がやっとだ。
『家』への道をぼんやりと歩きながら、空を見上げる。空から晴れ着やお金がたくさん降ってくればいいのに。そんな馬鹿げたことを考え考え歩いて、自分の部屋に帰りかけたときだ。
ぽん、と肩に手を置かれた。びっくりして振りかえったシャノに、しぃっと、人差し指を立てて、にこりと笑う。そこにいたのは、イシナだった。
嫁いだ娘が、『家』に顔を出せる機会は滅多にない。葬儀も終わったばかりだから、まだ『家』には多くの親類が逗留しているが、外に嫁いだ親類と違って、いまも島の北側に住むイシナは、船を待つわけでもないのだから、ここにいる理由もないはずだ。
こちらが何か問う前に、イシナは物陰にシャノを引きずりこんで、耳元で囁いた。
「パサーに気づかれないうちに、ついていらっしゃい。あたしなら、きっとシャノを助けてあげられるはず」
「!」
頼もしく言って、返答も聞かずに彼女は踵を返す。シャノは希望に目を輝かせた。
もしかして、お金を融通してくれるのだろうか。確か、イシナは大きな旅籠のおかみに収まっている。暮らし向きも悪くないのかもしれない。
イシナを追わない手はなかった。シャノは人目を忍んで、ふたたび『家』の敷地を抜け出した。
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