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《海神の巫女》の葬送
今年で七十六になる曾祖母がもうすぐ死ぬとわかったとき、シャノは「ああ、やっとひいおばあさまも蒼穹の神の御許にむかうのか」と思った。島の人間で六十歳を超えて生きる人間は少ない。その長女である祖母でさえ、すでに亡いのだ。きっと曾祖母は、神々に特別に愛され、慈しまれていたに違いない。
曾祖母は、《海神の巫女》だ。『家』の長女に生まれ、婿を取り、祖母をふくめて十人もの兄弟姉妹を生み育て、上のこどもたちが成人したころにタキハヤを継いだ。高祖母が死んだからだ。
次の成人儀礼のときには、直系の長女である母がタキハヤを継ぐだろう。シャノたちは新しいタキハヤの祝福を受ける世代となる。
曾祖母を看取るために、島じゅうから親族が集まっていた。他の島にいる者にも、母が手紙と迎えを届けた。
曾祖母の兄弟姉妹も子の幾人かも、もうなかったが、十人の孫はだれひとりとして欠けずに、曾祖母の枕辺にそろった。ひ孫は百人近く、玄孫は床をちょろちょろする子どもばかりだったので、何人いたのか数える気も起きなかった。
床についたままの曾祖母に、みなで順繰りにあいさつをする。親族のひとりひとりに、うっすらと微笑んで、うなずきを返すちいさなちいさな曾祖母。
彼女の弱り切った姿を見たとき、シャノはくやしくなった。どんなにちいさくなっても威厳のあった曾祖母を記憶に残せないなんて。このしわのよった指で、まじないの蔦模様を描いてもらう日を心待ちにしていたのに。
こうも具合が悪くなるとは、思いもよらなかった。去年だっておととしだって体調をくずした。けれども、ひとつ上の姉まではみな、曾祖母の祝福を受けられたのだ。
「ひいおばあさまに成人儀礼の晴れ着を見せてさしあげたらいいんじゃない?」
そう言ったのは、去年おとなになった従姉のひとり、イシナだった。曾祖母の祝福を受けられた最後の世代の娘である。
あっけらかんとした提案に、とびつかんばかりにうなずいて、シャノは両親に許可を請うた。儀礼用の新しい晴れ着が縫いあがったばかりなのを、イシナはきっとどこかで聞いていたのだ。曾祖母に対するシャノの淡い尊崇をも、知っていたのかもしれない。
許可がおりると、従妹のフェリもこちらに倣うように自分の屋敷へ晴れ着をとりにやらせた。シャノはよろこび勇んで自室に戻った。
できあがりと前後して曾祖母が床にふせったので、新しい晴れ着に袖を通すのも見るのも初めてだ。乳母のパサーが着付けのために晴れ着の包みを解く。シャノはわくわくして、待ちきれずに手元をのぞき込んだ。
布地の縁には、姉たちの晴れ着と同様、瞳とそろいの海色を選んだ。中央には、あでやかな色彩の《華》や、伝統文様の《海老》や《馬》が品良く配置されている。できばえにシャノは口の端をあげた。とてもいい色が出ている。これなら、黒髪に映える。
パサーは、晴れ着を着付けてくれると、数歩離れて全体を確かめた。うえから下まで見まわして、大きなからだを揺するようにして、笑顔でうなずく。
「よく、お似合いです」
パサーのことばがお世辞ではないとわかったのは、曾祖母の前に出たときだ。同じように晴れ着に着替えて隣に並んだフェリが、くちびるをかすかにこわばらせた。
うつくしいフェリ。なんでもこなせるフェリ。彼女には決して纏えないものをまとっている。誇らしかった。優れたところの多い従妹に劣等感を抱いたことは、一度や二度ではない。同い年の彼女とはいつも比べられていたから、なおさらのことだ。
《海老》はゆであがったときのあざやかな赤い色や、曲がった腰などで長寿を表す縁起もの。だれでも使える文様だ。フェリの晴れ着にも織られている。それに対して、《馬》は、『家』などの長老筋の直系だけに許される。勇壮に前足をふりあげ、むかいあった《馬》は、戦いと統率の象徴だ。ひとむかし前までは、争いがあると、族長だけが舶来の馬に乗った。部族の皆に、指揮官がだれであるか知らしめるためだ。《馬》は、その慣習を示している。
馬は、タキハヤや長老の魂を火葬場へと運ぶ役割も担う。馬をかたどった棺をつくるのだ。馬型の柩は、火葬されて煙となり、魂を天につれていく。
馬に乗る魂は、神と相乗りをするのだ。タキハヤは海神と、《蒼穹の巫人》は空の神と。
馬型の棺を真似して、長老以外の者の棺も牛だの鹿だの、ひとが背に乗れそうな獣にすることが多い。でも、馬のほうがずっと優美だ。頭から首、背をなでて尾にいたるまで、流れおちていくような線がうつくしい。
タキハヤの棺は芦毛の牝馬をかたどる。張りぼての馬は、親族が集まるのと同じころに、庭先に用意されていた。
陽に灼かれる沙のようにまっしろな背。シャノとおなじ海色のおだやかな瞳。
馬は若衆たちに担ぎあげられ、庭や屋敷の前から火葬場までの道のりを縦横無尽に、軽やかに駈けまわり、練り歩くだろう。
あいさつを終え、ふたたび自室に戻り、晴れ着を脱ぐ。パサーに片付けを任せながら、シャノは目を伏せ、近づいてくる曾祖母の葬儀を思った。
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