金持ち、喧嘩せず

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「な、何だよあんたは……」  橋本啓二(はしもと けいじ)は、掠れた声を出した。  この橋本、身長はさほど高くないが体重は百キロを超えている。人相も性格も凶悪であり、広域指定暴力団『銀星会』の武闘派幹部として知られている。好き好んで、彼と敵対する者などいない。  しかし今、橋本は腰を抜かしており、床にしりもちを着き震えていた。しかも、股間には大きな染みが広がっている。傍から見れば、実に情けない姿だ。  そんな彼の周囲には、四人の死体が転がっている。しかも、事務所の床は血まみれだ。まるで、赤いペンキを大量にぶちまけたかのように。 「これは、どういうことかな」  橋本の目の前にいる男が、穏やかな口調で言った。その顔には、大量の返り血が付着している。今、事務所にて生者と呼べるのは、橋本とこの男だけだ。 「た、頼む、助けてくれ! 今は一千万しか出せないが、明日になれば一億くらいなら用意できる──」 「俺は、電話で伝えたはずだ。今日の五時、あなたを殺しに行くから万全の体勢で待っていてくれ、と。これはいたずらでも脅しでもない、とも言ったはずだ。ところが、いざ来てみれば、この体たらくか。君には、俺の言葉が伝わっていなかったのかな。それとも、俺の言葉を信用していなかったのか」  橋本の必死の懇願を遮り、男は静かな口調で言った。彼の身長は百六十センチ台、作業服らしきものを着ている。彫りの深い顔立ちは、外国人のそれだ。もっとも、話す言葉は完璧な発音の日本語だが。  この男、いきなり事務所に現れたかと思うと、組員四人を数秒で殺してしまったのだ。彼が軽く手を振ると、組員たちは首から大量の血を吹き出し倒れていった。武器らしきものを持っているようには見えなかったのに。  この数秒間の出来事は、裏社会で修羅場をくぐって来た橋本すら、腰を抜かして失禁するほどの事態であった。一方、仕出かした本人は涼しい表情だ。震えている橋本を見下ろしながら、静かな口調で語り出す。 「こうなるに至った経緯を説明しよう。俺は先日、ある遊びを思いついた。コンビニで買った、どこにでもある普通のボールペンだけを武器に、武闘派ヤクザの事務所を襲撃する……というものさ。ただ、不意打ちをかけたのでは面白くない。遊びというのは、少しは真剣になれなければ意味がないからね。そこで俺は、襲撃の予告をした」  淡々と、男は語っていく。だが、橋本には話の内容が全く理解できない。ボールペンとは何だ? これは、遊びなのか? 「ところが、君は襲撃に対する備えを全くしていなかった。本当にがっかりしたよ。俺の襲撃の予告は、単なるいたずら電話として処理されたようだね。君のいるヤクザという組織は、いたずらや嘘やハッタリと、真実との違いが見抜けなくても務まるのかい? だとしたら、随分と気楽な稼業だね」  男の口調が、僅かながら変化した。橋本は身の危険を感じ、ヒッと悲鳴を上げて後ずさる。いや、後ずさろうとした。 「金持ち喧嘩せず、という言葉がある。金持ちという人種は、基本的に頭がいい。彼らは危険がまだ小さなうちに察知し、本格的な戦いになる前に事を穏便に収められる。したがって、喧嘩などする必要がないし、危機に陥ることもない。結局、君は無能だったということだ。はっきり言って、君はつまらない男だよ」  直後、橋本の眼球に何かが突き刺さる。その何かは脳にまで達し、橋本は即死した。  ・・・  ペドロは、橋本の死体からボールペンを引き抜く。 「さて、帰るとするか。実につまらない男だった……もう一度、入来くんと会ってみるとしようかな」    
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