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Sleeping Rose 2-1
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日曜日の朝、未来が清人と実家へ行ってくると飛鳥に告げると、飛鳥は未来を安心させるように笑って手を挙げた。
「行ってらっしゃい。俺も百合と動物園に行ってくるよ」
「済まないな。お願いします」
未来は飛鳥に未来の実家の事情を話したことがなかったが、飛鳥はそれを一度も詮索しなかった。清人からある程度話を聞いているのかもしれないが、飛鳥は人のデリケートな領域には踏み込んでこない息子だった。飛鳥のそういうところを、素直にありがたいと思う。
清人の車に乗って、家を出る。咲山家の事情を知っているのは清人だけだった。緊張する自分に、清人は笑い皺を深くして微笑みかけた。
「未来のお母さん、驚くほど若く見えるって、母ちゃんズが言ってたよ」
「……覚悟しておく」
「綺麗な人は老けないよね。未来のお母さんは綺麗だったから」
「見た目にお金、かけてたんだよ」
未来の母親の:佐羽(さわ)は、会社の社長をしていた夫を、家でもスーツを着て出迎えるような人間だった。自分が身綺麗にしているのが、社長夫人としての責務だと思っていた。几帳面で何ごとにも手を抜かない性格だったせいか、未来の父親が家からいなくなっても、佐羽の身辺はまったく変わらなかった。思春期のときの未来は、それを母親の精一杯の虚勢だと思っていた。
自分が夫に捨てられた女だと認めたくない母親の虚勢なのだと思っていた。
未来にはそれが憐れに思えてならなかったが、母親は未来の同情を受け入れるような人間ではなかった。
母親は、夫を奪ったオメガの女性を憎むかわりに、オメガの自分を憎んだ。自分を敵視する母親の目に、未来は誰にも弱音を吐くことができない母親の脆弱な影を見ていた。
未来は母親がそうすることでしか精神の均衡を保てないのだとわかっていた。だから黙って、自分を軽蔑する母親の目を受け入れた。未来は、自分にはどこか精神が欠けた部分があるから、母親に軽蔑されても大丈夫だろうと思った。それでも母親といっしょに暮らすのが辛くなって、大学に入学して以降、実家には帰らなくなった。
母親も自分を引き止めなかった。
車窓の風景が見慣れたものに変わってきた。未来は自分の眉間を撫でた。顔の筋肉が強ばっているような気がする。手で頬の肉を和らげる。
母親は未来に悪いことをしたと思っているようだった。二十年以上経って、母親の見方も変わったのだろう。
そう思っても、母親とどんな顔をして会えばいいのかわからなかった。思い出すのは、母親の上目遣いで自分を睨む目つきだけだった。
頬を押さえる自分の手に、清人の手が触れた。
「大丈夫だよ」
自分を落ち着かせてくれる声だった。身体の緊張が緩んでくる。
「……ここまで連れてきてくれて、ありがとう」
自分をいつも後ろから支えてくれる手に、未来は目を閉じて頬を寄せた。
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