窓から広がる未来

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 家に帰った聡一郎は、鈍い痛みを感じる足をさすりながら今日の事を振り返っていた。楽しかった記憶よりも何より強烈に残っていたのが別れ際の雄介との会話で、本当に自分が綾香のことを好きなのだろうかともう一度振り返ってみることにした。  初めて綾香と会ったのはやはり部活の時で、走り込みをしたあとタオルや飲み物を用意されている場所にいた。その時のことを思い浮かべようとして聡一郎は驚いた、その時の顔がはっきりと思い出せたからだった。にっこりとした笑顔で一瞬目を奪われたが、休憩を挟んだらまたすぐに走るという指示が出ていたことを思い出して、気持ちを切り替えたのを覚えている。  それまで靄がかかったかのように思い出せなかった記憶が、いまはっきりと残っているということが、聡一郎の中にはその記憶がずっと残っていたことになる。つまりその時既に聡一郎は綾香のことが気にはなっていたのだということでもあったが、それでもその時はサッカーを取ったのだと思うと、雄介に指摘されていたとしても『少年』という言葉の意味が少しわかったような気がする、もっと正しくいうなら『お子様』というニュアンスだったのだろうと。その意味を理解できた聡一郎は少し悔しくなっていた。  自分の気持ちに向き合ってみると、どんどんとその印象が変わっていった。手を引かれて歩いたことは驚きの方がまさっていたが、いまそれをやれば心臓が鳴りやまないに違いない。一緒に歩いていた時も、とぎれとぎれとはいえ話をしていることが楽しかった、ただ自分が話下手だったのか会話はうまく続かなかったようにも感じていたが、そればかりはしょうがないと思った。  色恋の付き合うということがどういうものか、聡一郎は物語の中でしかよく分からない、そしてそれも結局また聞きの様なものなのだから正確なものだとも言えない。ただ他の男と仲良くして、あの笑顔を向けている姿を想像したくないと思ってしまうのが普通ではないと分かっていた。こんなにも独占欲の強い人間だったのだろうかという、自分の中にある自分ではどうしようもないくらい溢れてくる思いが聡一郎をどんどん焦らしている。意識をし始めるとそれは加速度的に止まらなくなっていった、次会ったときはどんな話をしようかと、どうすれば綾香を楽しくさせることが出来るだろうかと、だけど自分の中ではそれを整理することが出来なかった。  ほんの少し前に別れた雄介に聡一郎はメールを送ってみることにした、ぼんやりとした答えは聡一郎自身の中にあったが、そのことがそんなに難しいことじゃないと自分の中ではわかっていても、いざ行動に移すには勇気が必要でもあった、誰かにその行動が正しいのだと言ってもらう、お墨付きが欲しかったのかもしれない。  雄介からの返信はすぐに来た、『それはわからない、でも普通に話をして嫌われることはないだろう、特にお前は』そんな返事が返ってきた、最後の一文の意味はよく分からなかったが、言いたいこともある程度はわかるような気がしている『それが分からないから悩んでるんだ』と返した。聡一郎自身が気づいていた、こんなことを聞いても明確な答えが返ってくるわけではないのだということを、本当はただ話を聞いてほしかっただけなのだろうと、自分である程度答えが分かっていると思うと少しだけ無様にも思えてきた。  メールを送って少しすると返信が返ってきた『仮に聡一郎が誰かのアドバイスでナイスガイなムーブを決めたとする、でもそれはお前じゃない、他のやつの行動だ。それを常にできるような人間じゃなければどれだけ背伸びしたって変わらないんだ、素のままの自分で当たるしかない、そもそもお前は演技できる人間じゃない』聡一郎はそういわれて頭を殴られたかのように感じた、答えがないとばかり思っていたから、ある程度方向がしっかりとしたアドバイスが強い説得力を持っていたのだった。最後の一文には納得がいかない思いこそあったが、自分をよく見せようとしても自分が変わってなければ意味がない、そういわれるとそれまで焦っていたことがあまり意味がないことだったように聡一郎は納得がする、だけどそれといま思っている不安は別の話だった、自分だけでは整理できない心の荒れ狂いようを誰かに落ち着かせてもらいたかった。  頻繁にやり取りをしていたが、メールでやり取りをするのも効率が悪いと電話をかけることにした。荒ぶる心臓がそのコールを聞くほどに落ち着いてくる。 「さっきぶり」 「おう、なんだ、さっきの続きか、気にすんななんとでもなる」 「いや、言いたいことはわかるんだ、だけどそれじゃ納得がいかないっていうか、自分がおかしなことを言ってるってことも良く分かってる、あんまりあいまいな言い方もあれか、とりあえずできることからやりたいと思ってるんだけどなにからやればいいか聞いてみたいと思った」 「その心がけはナイスだ、そうだな、まず連絡先知ってるのかその子の」 「うん、こないだ交換したけど」 「じゃあこの話が終わったらすぐに電話かけろ、いいな」 自分で考えていた以上の速度で距離を詰めさせようとする雄介に、聡一郎は呆気にとられた。想像するだけで頭の中がぐちゃぐちゃになっているのに、今すぐに行動をしろと言われているのだ。 「そんな急に電話とかかけても迷惑じゃない」 「そんな迷惑に思ってるやつを遊びに誘ったりしないさ、それに何事もスピードだ、どんなものだって人より先に始めた方がリードできるんだ、そしてそのスタートが遅くて大事なものを失うやつだっている、そして後悔したときには、もう遅いんだ」 その最後の言葉にやたらと重みを感じた、電話越しの重量感を感じるかのようで、だからでこそ聡一郎にその言葉がすっと入っていった。 「でも、何話せばいいのか」 「んなもんなんだっていいんだよ、大事なのは相手に意識させることなんだから」 「意識させるって」 「知らないやつを好きになることなんてないだろ、おまえもあの子を意識し始めたきっかけがあるだろ、そういうことだよ」 「な、なるほど」 「いいな、この電話きったらすぐだぞ、絶対だからな、やらなきゃしばらくお前と遊ばねえからな」 「それはいやかな」  そんな軽口で電話を切った、実際はバイトがあると聞いているのでそれほど頻繁に遊びに行ったりは出来ないだろうと思ったが、そういう問題ではないことも聡一郎は理解していた。そして携帯のアドレス帳から綾香の名前を引っ張り出してきた。電話番号が表示され、だけど通話のボタンが押せない。何を話すのだろうかと。そもそもこんな時間に迷惑ではないだろうかと、いろんな言い訳があふれ出てきて、何より心臓の高鳴りがうるさかった。  結局通話ボタンは押せなかった、その代わりにメールフォルダを開いて打っていく。『こんばんわ、何をしていますか』必死に考えても何も浮かばなかった、無難なメールの内容に、むしろ無様さまで感じるような文章に聡一郎は送ってから悶絶をしていた、何をやっているんだ自分はという思いは簡単には誤魔化せない。  しばらく待っていたがすぐに返信は来なかった、ひょっとしたら何か忙しい時にメールを送ってしまったのかもしれない、ひょっとしたらもう気づいていて無視されているのかもしれない、ひょっとしたら笑われているのかもしれない、いろんな考えが頭の中をぐるぐると回り、どうしようもない気持ちでいると夕食が用意できたと母に呼び出されたので、携帯をベッドの方に投げてから向かった。    部屋に戻ってみると携帯が点滅していた、それをベッドに倒れ込むように手に取り開いてみると、メールの返信が届いていた『ごめんなさいすぐに気づきませんでした、本を読んでいました、あの時買った本です』そういわれて聡一郎は気づいた、うってつけの話があったじゃないかと。どうして言われるまで気づけなかったのだろうかと、それまでの葛藤が正常な判断に覆いをしていたかのようだったが、今では前が開けている『自分はもう読み終わったんだけど、もし良かったら今度貸そうか』具体的な日時を指定こそしなかったが、早い行動が次の約束を結び付けられたとすればあながち雄介のアドバイスは馬鹿にできないものだと思っていた。そして返信を待つこと自体が楽しくなっていた、こんなにも楽しいのかと少し怖くなるくらいには、でもそれがなぜ怖いのかは聡一郎にも良く分からない『私もあとちょっとで読み終えそうなので、じゃあ明日会いませんか』聡一郎は自分から言うべきだと思っていた言葉が相手から出てきたことに嬉しくなっていた。ひょっとしたら相手もそうなのかという期待も湧いてくる。だけど確信は出来ない、人の心なんてそう簡単に分かるものではないと痛い目をみたのだから。  メールでの話が終わってみると、それまであらぶっていた心臓が嘘のように落ち着いてきていた。明日の放課後に会うという約束、そしてその時に本を交換することになった、こうなったのも雄介のおかげだとまたメールを送ろうとした、だけど時計を見ればもう夜もいい時間でメールを送るのが阻まれた。寝る前にまた少しだけ本でも読もうかなと、ベッドに入ってうつぶせになっていたが、どんな風に読もうとしていても頭の中には入ってこなかった。聡一郎は本をよけてベッドに横になっていた。外が暗くなってそれなりの時間がたっていたが、まだ眠れそうにはなかった。
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