窓から広がる未来

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 聡一郎はすっきりとした頭で針を見つめていた目覚まし時計はまだ鳴っていないが、時計より先に起きることは不思議なことではなかった。学校までまだ時間があるとわかると足をもみ始める、痛みは抜けていたが、やはりどこか違和感があるのは事故の後からずっと残っていた。本当にリハビリでどうにかなるものなのだろうかと不安になる一方、可能性があるなら少しでもできることはしたいという気持ちが強くなったのはここ数日のことがあってからの変化だった。  二日連続で足が痛くなるほど歩いたが、起きてから覗き込んだ時計の針は普段と変わらない、寝坊をしてしまうかと不安にもなっていたから設定していた目覚ましだったが、早く起きた理由を聡一郎が考えるまでもなかったのは、頭の中が放課後の事でいっぱいになっていたからだった。  机の上に置いてあった鞄を手繰りよせ、その中に小説が入っているのを確認した、綾香に貸す約束をしている小説だった。教科書と教科書の間に挟むように入れてあって、それが普段より丁寧に扱おうとしていることに気付いて笑みが零れる。いつもは入れ方を気にしたこともあまりなく、カバンの中にそのまま上から置いたりすることもあるのに、この本だけが他とは違う特別な価値を持っているのだと気づいたからだった。  放課後に会って、本を貸して、それで終わりにはしたくない、だから会ったらこういう話をしよう、こういう話はどうだろう、そんなことを考えながらずっとストレッチをしていた。本来の目覚まし時計が鳴るまで足をもみ過ぎて、少し痛いくらいになっていた。  ホームルームが始まる15分ほど前に聡一郎は教室に着いた。既に同級生はその多くが登校していて、友人と話をしたりしていた。聡一郎はそういった光景をあまり見ることがなかった、ホームルームの時間をサッカー部だけが免除されていたからだった。何か用事があればコーチから伝えられる、それだけサッカーに対して力を入れていたものだから、基本的に1限目から始まるのが学校の授業だった。今日がその初めての日ではない、だけど新鮮に感じていたのは周りをよく見ようとしていたからだった。何かと楽しい気持ちがそこから溢れてくるのだ。見慣れたはずの違う光景が聡一郎には見えていた。  入ってすぐ真っ先に自分の席を覗いてみるとそのすぐ後ろに雄介が座っていて、その周りにも人だかりができているのはいつもの光景だった。雄介の周りには人が良く集まる。まっすぐその席に向かっているとその周囲の男子生徒と目が合って、すると周りの学生たちは一様に散らばって行くのだった。 「おれ、なんかした、かな」 聡一郎は不安になった。自分が来た途端にに人がいなくなると、たとえ自分が何もやっていなくても何かやらかしたような気がしてならない。 「あー、へーきへーき、気にすんな、別にあいつら悪気があってやってるわけじゃないんだ、ただお前にまだ近寄りがたいってイメージがあるんだと思う、これに関しちゃいままでのおまえの態度も悪かった」 「そうなのか、どうすればいいのかな」 「いい心がけだな、そうだな、例えばだけど教室に来て目が合ったら挨拶をするとかどうだ」 「そういうことでいいの」 「結構馬鹿にできないぞ挨拶は、どんな時でも挨拶して損することなんかない、部活の様な上下関係でも挨拶って強制されなかったか」 聡一郎は思い返してみたが、あまりしていなかった、最初の頃はしていたのだがあとからくる部員に挨拶をしに行くと、露骨にいやな顔をされたからだった。ひょっとするとあのころから目をつけられたのかなと嫌なことを思い出し、それを振り払うように頭の中をリセットしようとした。あの時と今とは違うのだと。 「じゃあ……おはよう」 聡一郎は思い立ったように挨拶をした、疑問形になっているのはすぐに実行に移すことを馬鹿にされたりしないだろうかと思ったのだ。 「おう、おはよう」 雄介はそれに嬉しそうに返していた、その返事に聡一郎もうれしくなっていた。 「なるほどなあ、わるくないや」 「だろ、俺の師匠も挨拶は大事って厳しく言われたもんよ」 聡一郎は雄介の師匠というものが何なのかを知りたいと思ったが、時計を見るとホームルームまでの時間があまりないのに気づいた。それよりは朝からずっと報告しなければいけないと思っていたことを切り出した。 「あ、そうそう、昨日のあの電話の後さ、すぐに連絡してみたよ」 「お、やるじゃんか。なんて返事きたんだ」 「といってもメールで何だけどさ、今日の放課後に会うってことになった」 「ひゅー、なんだなんだ手がはええな聡一郎は、恋愛もストライカーってやつか」 「そんなんじゃないって、それに電話しろって言ったの雄介じゃん、そういう意味じゃ雄介の功績だよ、ありがとう」 「そりゃどういたしまして、でもな、行動したのはお前なんだから、お前の功績だよ、んでどうすんの」 「どうするって」 「告白するのかってことだよ、何事も早い事に越したことはないってもんよ」 「まだ早すぎるだろ、いくら知り合いって言っても顔見知り程度じゃんか」 「ってことは、その予定はあるんだな」 にやついている雄介の顔をみて聡一郎は嵌められたと思った、誘導尋問に引っかかったのだ、そして自分の心の内を透かされたようで悔しかった。やられっぱなしは納得がいかないと聡一郎は反撃をしてみることにした。 「じゃ、じゃあおまえはどうなんだよ、ほら、バイト先の」 「あー……あの人な、社会人だし、客だからいつも来るってわけでもねえのよ、こないだは来なかったし」 途端に歯切れの悪くなる雄介をみて聡一郎は少しだけ胸が晴れた、してやったりと思うのと同時に、社会人というワードが引っ掛かった。学生と社会人の恋愛、つい最近読んだ本の内容そのものだった。だけど雄介のことをまだよくわからない、そして女性の方も良く分からない。聡一郎は無責任にアドバイスなどできないと思った。それでも自分より上にいる人間に追いつきたいような、そんな気持ちで、だけどこれだけは確かにそうかもなと思った小説のフレーズを一節だけでもぶつけてやりたいと思った。 「顔を合わせる回数が」 「え、なんて」 一言一句覚えているわけではなかったので、少しだけ自信が無さそうに喋ってしまったことを聞き返される。そしてニュアンスだけ伝わればいいのだと考えて聡一郎はつづけた。 「最近読んだ本にあったんだけどさ、顔を合わせる回数が少なかったら意識もされやしないってフレーズあって。バイト先で会うだけじゃ弱いんだから少し話しかけるくらいは、していった方が、いいんじゃないかな、って」 後半消え入るような声になるのは、これが本当にアドバイスになっているのだろうかという不安の表れのようで、寧ろこういったことは当然の考えなのではないか、笑い飛ばされたりしないだろうかと聡一郎が不安になる程、尻切れトンボのように後半はもはや消えそうになった。  雄介からの返事はすぐに帰ってこなかった、顔を上げてみるとその様子が、言われた言葉をじっくりと考えているようでもあって、そんな真剣にとらえてくれる姿が聡一郎には不安であり、嬉しくもあった。 「なるほどなあ……まずは客と店員って立場から抜けなきゃ勝負にもなりゃしないってことだよなつまり。言われてみりゃその通りだな、でも言われなきゃわからないもんだなこういうことって」 「恋ってさ、そういうものなのかもしれないね」 聡一郎は自分の言葉でそう語っていた、自然と出ていた言葉だった。 「くっさ、なにいってんだよおまえ、恥ずかしくなるわ、あー痒い痒い」 ストレートに受け止められるよりも楽だった、聡一郎本人が痒くなるようなセリフだったと言ってすぐに気づいたからだった。 「恋とはー、えー化学変化である、既存の物質をー、別の性質に変えるものでありー」 続いて雄介が茶化してきた、それも教師の真似を入れながらするものだから聡一郎はついつい吹き出してしまった。学校でしたことのないようなバカ騒ぎを自分の席でやっていた、周りの目はあまり気にならなく、その声は窓を越えてどこかに消えていくように感じた。 「まあとりあえず、俺らは進まなきゃ始まらないってことだ、おまえは放課後……いやおれも放課後か」 「うん、頑張ろう」 ホームルームの鐘がなって教師が入ってきた、頼もしい味方の存在に聡一郎は朝とは違う安心を得ていた。
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