窓から広がる未来

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 足が思うように動かなくなったのは3か月ほど前の話である、横断歩道を渡っている最中に交通事故に遭い、サッカー部のレギュラーは断念しなければならなくなった。道路を渡っていた聡一郎はぼーっとしており、その目に信号機が入っていなかった。点滅している状態でわたりそして渡り終えることができなかった。  病院で目を覚ました聡一郎は、その天井をぼーっと眺めながら周りを見渡し、ここが病院であることはなんとなくわかった。自分の身に何が起こったのはすぐには分からなかったが、身体の芯に残る鈍い痛みの様なものが気持ち悪く、身体は軋みを上げているかのようにぎこちない、まるで金属をこすり合わせるかのような重々しさを感じていた。  最初は頭の中に靄がかかっているかのようで、なにを言われてもよく理解できなかったが、時間をかけると少しずつだったが聡一郎にも理解できるようになっていた。自分は車にはねられたという事、相手が治療費をかなりの割合で出してくれること、それなりの期間入院するかもしれない事、断片的にわかったのはそのくらいだった。レギュラーを取ったこと、そうして変わった周りの環境に聡一郎は耐えられなかったのかもしれないと思うと、他のメンバーに迷惑をかけたなくらいにしか考えていなかった。 「聡一郎さんの足には障害が残るかと思われます」 医者のその一言を聞いたとき聡一郎はまた頭の中に靄がかかるような気持ちになった。骨折はギプスでなんとなくわかっていた、だけどそれほど酷いものだとは思っていなかった聡一郎には、その心から芯を抜かれてしまうような感覚を感じた。入院して次の日、少しは頭の中がはっきりしていたと思っていたはずが、いまは昨日よりも酷く感じている。 「それは、どんな」 不安が聡一郎を押しつぶそうとする、そんな圧に反発するように聡一郎は聞いた。嫌な予感は目覚めた時からあった、骨折は初めてで不安も大きかったからだと思っていた。 「膝の半月板というところを酷く痛めており、リハビリを終えても激しい運動をしようとすると膝から崩れ落ちてしまい、うまく動かない可能性が高いです。暫くは歩くのも難しいかと思われますが、リハビリを繰り返せば日常生活を過ごすことには問題がないくらいには回復すると思われます」 聡一郎の耳には激しい運動は出来ないから先が聞こえていなかった、サッカーはどうなるという言葉だけが頭の中をぐるぐると周り続け、だけど口から出ていくことだけはなかった。それを意識的に食い止めていたのは他ならぬ聡一郎自身だった。未成年という事もあって保護者同伴で話を聞いていたが、そこから先を聡一郎には聞く勇気はなかった。 「あの、それってサッカーなんかは」 そんな空気を察してか同伴していた父が質問をしていた、聡一郎にとって聞きたいが、聞きたくもない質問を。だけどそれを聞いたら終わるかもしれないという質問を。 「非常に厳しいと思われます」 医者のその暗くなる顔色は、膝の状態の悪さを表しているかのようでそれ以上聞く気持ちを失くさせるほどに真実味を伝えていた。聡一郎の生活からサッカーが抜け落ちたことも理解できていた。  茫然自失とした入院生活だった、リハビリにも力が入らない。これからサッカーができなくなった自分はどうすればいいのだろうか、ベッドの上でぼーっとする、一日の中心にあったものが無くなった衝撃はそう簡単には埋まらない。定期的に来る作業療法士も、その芳しくない経過に少し頭を悩ませ、聡一郎の両親に相談を持ち掛けることにした、そこで大人たちはサッカーの代わりになる何かが見つかればどうだろうかという話になった。  運動が好きだった人間が、サッカーに命まで駆けていたのではないかというような人間が、それでも足を奪われても楽しめる何か、それまで他人であった作業療法士に答えは出せなかったが、両親はもしかするとという気持ちで、小説を差し入れしてみることにした。サッカーを勉強する為ならと本を読んでいたことを思い出しただからだ。 「これ、最近出た小説で面白かったから聡ちゃんも読んでみたら」 「……うん」 両親は祈るしかなかった、できる事ならその怪我を代わりに背負いたいくらいの気持ちだったが、それは出来ないことなのだからと。  差し入れした小説はサッカーの話でもなく、何かしら障害を負った人の本でもない。ただ店頭でおすすめとされていたミステリーの小説だった。最初は見向きもしなかった聡一郎だったが、病院でぼーっとするには入院はあまりにも暇だった。定期的なリハビリの時間があり、それ以外は備え付けられたテレビを眺めるくらいで、たまに面白いものがあったとしてもずっと見続けていられるほどでもなかった。  だからふとした時、そのテレビの傍らに置いていた小説に手が伸びていた、本当に何気なく、暇さえ潰せればそれでいいかなと思うくらいの気持ちだった。よくサッカーの指南書の様なものを読んでいたからだろうか、運動とは対極にあるものにだが聡一郎は抵抗を全く感じていなかった。  そうして読み始めるとテレビの音がうるさいと感じるようになった。読み進めていくと頭の中には物語の光景が、自分の記憶を元に浮かぶようになってきた。読み終えたときには外は真っ暗で、気づくと夕飯を運ぶ看護師の姿があった。 「聡一郎さん、楽しそうですね、その本面白かったですか」 顔を上げたとき目が合った聡一郎に、看護師はそう言った。  暇で退屈でしょうがなかった入院生活は読書の時間になった。3日おきぐらいに顔を出してくれる両親に『もっと本を読みたい』そういうと聡一郎の母は嬉しそうな顔をして『リハビリも頑張らなきゃね』と言った。聡一郎自身、何度も本を買いに行ってもらう両親に申し訳なくも思っていた。だから『日常生活を過ごすことには問題がないくらいには回復する』そんな医者の言葉が頭の中をよぎった。サッカーができないのは本当に悔しい、だけど自分は死んだわけでもなければ、歩けなくなったわけでもない。最悪なのはこのまま腐っていく自分と、それを許す自分だと思った次の日には、歯を食いしばってリハビリに挑む聡一郎の姿があった。  聡一郎が退院をする頃にはある程度歩けるようになっていたが、まだどこか不格好なところが見られ、それが少しだけ悔しかった、医者が言うには定期的に歩くようなことを繰り返していけばその違和感もなくなっていくという話だった、まだまだ時間はかかるという事らしい。 退院してすぐに両親とともに高校へ行った、スポーツ特待で入った人間がスポーツができなくなったらどうなるのかということを聞くためにだった。幸いなことに事故だという事もあってペナルティといったものはなかった、ただ勉学の方にこれまで以上に力を入れて欲しいという一言は、スポーツで成果を出せないのだから、勉強で結果を出せと言われているような気がして、聡一郎は少なからず圧力を感じていた。  別の日に登校して教室に入ると、よく話すクラスメイトが心配をしてくれた。どこから漏れたかは知らないが、聡一郎が既にサッカーができるような身体ではなくなったという話は伝わっていて、それまで休んでいた分のノートは貸してくれるということだった。その申し出がなんとも心強くて、嬉しくて、勉強は大変だろうが、なんとかできそうな気持ちになっていた。  そんな心持で、サッカー部へと出向いていった。恐らく最後になるであろうサッカー部への訪問、部室に物を置いていない聡一郎はここへ来る必要はなかったが、それでも義理があると思ったのだ、せっかく目をかけてくれた監督や、レギュラーを勝ち取って共に切磋琢磨していた他のメンバーに急に穴をあけたことは詫びなければいけないと思ったからだ。  監督は大層心配してくれた、サッカーというスポーツでしか繋がっていないと聡一郎は思っていたからで、 「サッカーができない事は聡一郎にとって途轍もなく悔しいことかもしれない、だけど死ぬほどなんかじゃない。今までに何人かその道が閉ざされたからと全てを投げ捨てた奴らを見てきた、だから聡一郎がこうして挨拶に来れるほど強い奴だってことがおれにはうれしい、聡一郎に違う道が見つかることを心から願っているよ」 だからそんな言葉を投げかけられた時、思わず泣きそうにさえなっていた。よほど気に入られていたのか何かあれば頼ってくれという申し出で、聡一郎の気持ちはだいぶ安心していた。 その流れで部員のいるところへ向かおうとした、サッカー部には短いとはいえいろいろな思い入れや出会いがあった部員は当然のこと、同じ部員にレギュラーメンバーにマネージャーと、そのまま立ち去るには色々なものを残しすぎているようなそんな気持ちが聡一郎にあった。。残念な結果にはなってしまったが、だからといってそのまま別れをする気持ちにはなれなかった。好きだったからでこそ早く離れたいという気持ちもあったが、その気持ちの方がはるかに強かった、  聡一郎はサッカーの練習がいったん終わり、部室にメンバーがいるところを挨拶しようと思った。レギュラーメンバーはまだ続けていたり、自主練習をすることが多いので順番にしていこうと思っていたのだった。陰口を叩かれたりと嫌なやつもいたが、それとこれとは別だと割り切ることにしていた。アポは取っていなかったが、その時間であれば基本的に全員いるのを知っていたから直接向かった。ミーティングの際に皆の前で挨拶をするだけの度胸や強さは持ち合わせていなかった。  半開きの扉の向こうから声が聞こえてきた、 「聡一郎の奴やっぱサッカーだめらしいぜ、今日監督と話してるの聞いちゃったわ」 「うは、ざまみろ一年で調子乗ってるからだろ」 「レギュラーのチャンスくるじゃんやったー」 まるで悪意が扉の隙間から漏れだしてきているようだった、自分たちの声が大きいのが分からないのか、外にいる聡一郎にもその声がはっきりと聞こえていた。聡一郎はドアに掛けた手を一旦引っこめた、こんなのに挨拶する意味があるのだろうかと、だけどそれでも義理は通しておこう、そう思ったとき 「そう思いませんか、明人せんぱーい」 そう話しかけられていたのは3年レギュラーの明人浩二だった、チームのエース的存在であり、聡一郎が尊敬している人の一人だった。 「ん、まあ、いろいろあるじゃない」 明人浩二は誤魔化すような物言いをする、 「でも先輩ラストっすよね3年だから、そんな時期に抜けられちゃ迷惑じゃないっすかあ」 明人浩二も卒業後はサッカーでその先を進むと聞いていたため、3年の結果が大事だという事は皆が知っていた、悪態をついていた部員たちは何かと聡一郎にあてつけたいかのようでもあった。聡一郎自身特に申し訳ないと思っている相手が明人浩二であったために、そこから先の言葉を聞き逃すことがなかった。 「まあ、確かに、この時期にされるのは迷惑かもね」 曖昧なもの言いながら、明人浩二のその言葉だけがはっきりと耳に入ってきた。  聡一郎の頭の中に浮かんだのは練習中の光景だった、サッカーは大好きだったが練習とは何も楽しい事ばかりではない、体力的精神的につらいときなども励ましあいながらグラウンドで共に頑張っていた。同じ部員から冷ややかな態度を取られていることを相談したこともあった、だがサッカーを失ってしまった聡一郎は明人浩二にとっては迷惑な存在でしかなかったのかもしれない。    まだ中で何かを話しているのが聞こえてくるが、その言葉はもう頭にさえ入らない。そんな尊敬していた先輩の一言は何よりも痛かった、dかあら聡一郎はその場から逃げた。既にサッカーから距離を取らなければいけないという気持ちが先立って、できる事ならこの挨拶も早く終わらせ塔と思っていた聡一郎はもはや義理などを考える余裕もなかった。少し離れたところから女性の呼びかける声が聞こえたような気もしたが、それさえ無視してしまうほどにサッカーとの縁は切れてしまった。
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